病論
佐藤豪泰
第1話 病論
病気になって、すること。
体験的に思うのは、
休みたい。
て思う事。
だけど、仕事が原因で休めない。学校が理由で休めない。
というのは結構、簡単に想像できます。
休みたい時に休めれば、病気は治るだろうか?
そもそも、そんな環境、暮らしができるのであれば、治療の必要は無いという
説が思いつく。
誰しもが大きくなるにつれて、責任がでてくる。という前提でこの論文を書いています。
病気ではないが、休みたい。て思う人は、
休める場所を体験的に知っていると思えます。
適度に休みながら仕事をしていく。
それが健康的な暮らしをしていく上でいる事のように思えます。
病気を自覚するのは、以外と難しい。
1つ論じたい事が在る。
病気に思える人に、
『病気に思えるよ。』
と伝える事。はよいだろうか?
伝える人が健康ならよいことという結論がでる。
また、僕の見解としては、治療の知識があるのであれば
病名をハッキリさせる必要はないと思う。
根拠はある。病気を分かることが必要なのではなく。
病気を治して、治療ができて、健康になればよいのだ。
その過程で、病名を知るかもしれない。理屈を知り、理屈で治療する
事も想像できる。
何の病気か?と考える人は多いだろうか?少ないだろうか?
著者は、治療業を専門とした専門家ではない。
病気を速く治したいのであれば、
自分で自分の体を触り、自分で、自分を分かろうとすることだ。
お腹が空いているのだろうか?
それとも、不健康な食事をしているのだろうか?
と気が回るだろうか?
全く食事に気が回っていないのであれば、
誰に相談するのがよいだろうか?
この読者は病人だろうか?
考えるに、パソコンやスマートフォンで読めるだけの元気はあるように思える。
一人で治療できる病気は、一人で治療しよう。理由は割愛する。
一人でも治療できない病気は、難病、重病の可能性がある。
さて、困ったどうしよう?と思う。
深く悩むだろう。
今の治療は、病院に行って、診断されてそれから治療していくという過程を
通らざるえないように思える。
これはアイデアだろうか?
病名は伝えずに、健康的な食事はしているものの調子が悪い。
運動不足でもない。恐らく難病だ。
それを伝えて、それでも治療してくれる専門家とあえれば
病気が治っていく可能性はでてきて速まる。
病院抜きに治療する是非を問いたい。
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