Neutralita !

あきら るりの

はじまり

 バイクを降りた瞬間、砂の匂いに混じって海の香りが鼻をついた。

 エンジンを切り、キーをさしこんだままザックをとり歩き始める。治安はあまり良くないと聞いてるから、喜々として無断で持っていってくれるだろう。


 共和圏内のオーダーを受けたのは1ヶ月前のことだ。普段なら理由を立てて断ってしまうが、『教授』直々のオーダーとなれば話は別だ。

 打ち合わせをざっと終わらせ、出された紅茶に口をつける。

「……俺が断るかもしれない、とは考えませんでしたか」

「お前は義理固いからな」

 『教授』はにやっと笑う。

「この仕事はBK社から回って来たんだ」

「外注を受けたんですか」

 あまりにも意外な言葉に思わず訊き返す。

「あそこは仕事の中身を吟味しないからな。貸し出しすぎて在庫がないんだろう」

「『教授』は仕事を選びすぎです」

「俺が選んだ奴らをそうそう使い捨てられてたまるか」

 そうだこのヒトはそういう人だった。

「だから、このオーダーもお前が見極めてこい」

「……受けるか受けないかを俺が勝手に決めてしまっていい、ということですか」

「ああ」

「俺が向こうに行ってから仕事を蹴ったら詐欺じゃないですか」

「そうだな。まあそのくらいのリスクは負うさ」

「……理由は」

「勘」

 ……勘、か。『教授』は自分の勘に基づく博打を厭わない。

「了解しました。現場に行ってきます」

「助かる」



 そんなやりとりを経たのち契約書を交わし、クライアントのいるこの土地へやってきた。

 服装はチェックのボタンダウンシャツにデニムジャケット。私服さえ着ていれば実年齢よりは相当若く見られる。職業を推察されることもまずない。

 到着は明日の朝を約束している。半日ほど寄り道することに決め込んで、手近な店に立ち寄った。

「ぼうず、学校はどうした」

「休学中です。旅の途中なんですよ」

 声をかけてきたマスターにそんな返事を返し、さりげなくタブロイド版の新聞を手にとる。日付は月曜。……てことは3日前か。

「ゆっくりしてけ……と言いたいところだけどな。近くでドンパチやってるからたまに流れ弾が降ってくる。あまり長居しないほうがいい」

 お礼を言って、持ってきてもらったモーニングをかじりながら新聞に目を通す。新聞の中身は入国する前に調べ上げた状況とそれほど変わっていない。持ってきた地図で信用できるのは地形だけで、情報がまるで更新されていないのはここまで歩いてきた道のりで把握していた。

 午後には市街地を出た。10kmも歩くと人家はまばらになっている。放置されている民家も多い。より安全な地域へ流れていったのだろう。

 目的地まであと半分というところだろうか。懐に入れた地図を取り出そうとした瞬間、鋭い音が鳴った。

 聴き慣れた音。意外に近い。手近な民家の影に隠れ、音のやってきた方向を窺う。

 ──後頭部に、金属の感触。

 ゆっくりホールドアップする。

「こっちを向け」

 若い声だった。建物の中にいたのか……思わぬ失態に内心舌打ちする。

 相手の言うままに振り返る。

 黒い髪。東洋人か。だが、瞳の色は深い緑。……指示されたクライアントの外見と一致していた。

「何だガキか」

 そういいながらも、銃口は頭から離れない。

「ここは危険だから近寄らないようにってママに教えてもらわなかったのか」

「あの、僕旅行中で」

 大きな溜め息が聞こえる。──銃口が頭から外れた。

「行け」

 銃を持った手が方向を差し示す。……元来た道の方だ。

「帰ってママのおっぱいでもしゃぶってろ、『僕』」

 慌てたふりをして走り出した背中にそんな言葉が突き刺さった。



 指定された場所に着いたのは夜半。目印がわりの樹の根本に座り込み、幹にもたれかかる。

 闇に目が慣れたころ、前方に小さな赤い光が見えた。

「……昼間のガキか」

 彼だ。

「ちゃんと方向は教えてやっただろう」

「迷ったらしいです」

 言うと苦い顔をして煙を吐いた。『ったく、面倒くせぇ』という小さな呟きが聞こえる。

「他にいくらでもルートがあるだろう……こんな小競り合い真っ最中の場所を突っ切らなくても」

「おじさんいい人ですねえ」

「おじさんじゃねえ」

 あ。気にした。

 実際は2~3歳年上というところだろう。最初は同じ年かと思ったくらいだ。東洋人は実年齢より若く見える。

「危ないと分かっていて迷いこんだガキなんざ撃ち殺したってよかったんだよ」

「でもそうしなかった」

 微笑ってみせる。一方彼はますます苦い顔になった。

 その時。彼の背後に小さい光が疾った。

 銃を抜く。途切れ途切れに映る光の軌跡を銃口で追う。

 轟音とともに鳥が一斉に羽撃く。

「……お前」

 再び俺のほうを向くグロック。

 静寂が戻るとともに息を吐いて、俺は懐に自分の銃をしまいこんだ。

「マティアス=シーヴァーズといいます。BK社から派遣されてきました」

「最近のコーディネータはガキまで雇うのか」

 彼は吐き捨てるように言う。

「すみません。あのタイミングでクライアントに鉢合わせるなんて思っていなかったので」

 掌を差し出す。彼は銃をホルスターに収めたものの、新しくくわえた煙草に火をつけると腕組みを決め込んだ。

「オーダーしたのは狙撃手だ。高校生のガキじゃねえ」

「経歴書のコピーは届いてますか」

 彼は少し考え込む表情になり──ぼそっと呟いた。

「25?」

「はい」

「……化物」

 率直な呟きだった。ここまでくるといっそ清々しい。

 彼は踵を返し、元来た方向へ歩き出した。

「行くぞ」

「面接は終わりですか」

「俺に選ぶ権利はない」

 煙草を地面に落とし踏み消す。


「……働きが足りなきゃ突っ返すだけだ」

「善処しましょう」


 俺は彼について進んでいった。

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