第十話 正しい知識は身のまもり

 年が明けた二〇〇四年の一月一日。しーなは出勤だった。


 しーなはプライベートでもあまり世間の行事に関わらずに生活してるから、他の人が休みたがる時期でも結構普通に働いてる。

 家の事情があるのか、三が日の間、オーナーと奥さんは交代で、それも朝の発注の締め切り前に一時間くらい顔を出すとすぐに帰ってしまったから、とても仕事がやりやすかったよ。

 二日の朝に、私が一人事務所でレジの本点検をしていたら、SVの竹中さんがやってきた。発注の状況を見に来たらしいけれど、オーナーも奥さんもいなかったから、こっそりストアコンピュータの勤怠表を覗いてもらった。

 なんだか、いろいろいじられている様子はあるんだけど、それがごまかし目的なのか、単なる事務手続き上の処理なのかは、それだけでは判断がつかない。

 やっぱり、自分の働いた時間は、自分で記録しておかないといけないみたい。



 ……こんな心配をしなきゃいけない勤務先って、どう思う?

 しーなたちは特に補償や手当ももらっているわけでもない、ごく普通の、パート・アルバイトなんだよ?




 一連の事柄で、労働基準法に関心を持ち始めた倉沢さんから、市が主催する「パートタイム労働ガイダンス」という講習会に一緒に行ってみないかとお誘いを受けた。一月一三日のことだったと記憶している。

 市に依頼された専門機関の人が、税金や労働基準法に関して判りやすく解説してくれるんだって。

 参考になりそうだったので、一緒に申し込んでもらった。

 それまでに調べて作っておいた資料も、一緒に抱えて行くことにした。できれば、今自分たちのお店で起きていることを、専門の人に聞いてもらって意見を聞きたいとも思ったんだ。


 講習はパンフレットとスライドを利用した、とっても判りやすいものだった。

 おかげで、今までおぼろだった、「労働基準法」そのものの定義について、かなり理解できたんだ。

 法律とは、『社会生活を維持するための決まり』。

 労働法は民法の中にくくられる法律。

 民法は『平等であることが前提の法律』なのだけど、雇用側と労働者側では、労働者側の方がどうしても立場が弱くなるよね。

 労働法は、その弱い部分を補うための『雇用されて働く人を保護する法律』なんだ。



「労働契約は、お金の貸し借りにたとえることができます」

 最初に、こんな説明があった。

「労働者は、先に労働力を雇用者に『貸している』のです。雇用主は、借りた労働力をお金で『返済』するのです」


 これは、斬新な表現だった。

 でもこう考えれば、お給料のごまかし、無茶な罰金、すべてがおかしな事だと確信を持って言えるよね。

 あとからこじつけて作られる罰金制度は、「お金を借りた側が、勝手に契約書を書き換える」ようなものなんだ。

 法律をまるっきり知らない子供だって、それが筋の通らないことだって判る。

 それを「責任」「ルール」だなんて都合のいい言葉に置き換えられてしまって、まどわされていただけなんだ。


『自分のしたことは自分で責任とれ』というのは、確かに一理あるように思えるけど、それならまず、『自分のした約束は、自分できちんと守る』のって、大事な責任だよね。



 あとは、しーなが自分で調べたことを裏付けてくれるような話が続いた。

 勝手に給料から罰金や違算分を引くのは、24条の全額支給の原則に反してる(※1)。

 同意のない罰金徴収は16条(※2)に触れる。

 それが飲料1ケースまるまる分の罰金だったりすると、91条の制裁規定の基準(※3)すらも越えかねない。


 講習会の最後に、説明された内容別に個人的に相談できる機会が設けられたので、しーなと倉沢さんは「労働基準法」の列に並んで、一緒に話を聞いた。

 相談に当たってくれたのは、穏やかな印象の中年の男性だった。

 私が、過去の連絡ノートの記述に基づいて、へこみ缶の罰金やマイナスの違算分を引かれた事柄をまとめた資料を見せたら、感心した様子で、

「労働基準監督署に行く機会が来たら、こういう形の説明があると判りやすいですね。日付があるとなお良いです」

 と、アドバイスしてくれたんだ。


 でも行くときは、「やめる覚悟があるなら」と釘を刺されたよ。 (※4)



「私たちの言ってること、間違ってないですよね」

 というこちらの最後の問いかけに、その男の人が大きく頷いて、

「間違っていないです。かなり悪質なケースです」

 そう言ってくれたのが、やっぱり嬉しかった。




『労働基準法は民法の補助的法律』という知識が与えられたのは、やっぱり大きな進展だった。

 その時は、民法そのものを詳しくひもとく余裕も時間もなかったけれど、世の中で通例的に行われていることを考え合わせれば、いかにオーナーが独裁的で、人の権利を無視したことを押しつけようとしてきたかが判るよね。


 たとえば、 「へこみ缶を作った犯人が見付からなければ全員が罰金を支払う」こと。

『ある事件の容疑者が 五人います。証拠が不十分で絞りきれないのですが、この五人の中に犯人がいるのは確かです。仕方ないので、警察は五人全員を逮捕、起訴しました』

『ある学校の制服を着た子供が、ある家のガラスを割りました。現場にはクラス章が落ちていましたが、そのクラスの誰のものかはわかりません。家の人は、そのクラスの全員に同じ額の修理代を請求しました』

 こんなの、ありえないよね。

 十分な証拠もなく、話も聞かず、「この中の誰かが犯人だから」なんて理由で全員を処罰できるなら、警察も裁判所もいらないよ。

 普通のことを普通に考えれば、オーナーの言ってることのおかしさは、すぐに判ったんだ。




 竹中さんに「罰金は良くない」と言われてから、オーナーは確かになりをひそめているように見える。

 でも、陰で労働基準法をきちんと勉強しているようには思えない。

 またなにかおかしなことを言い出す前に、一度きちんと話し合った方がいいだろうと言うことで、私と倉沢さんの意見はまとまった。

 二年間、一円も時給の変わっていないしーなと違って、倉沢さんは時給も上がりに上がってる。

 予約活動も活発だからノルマ達成の報奨金も毎回もらってる。

 やっぱり今後も同じ店で続けていこうって倉沢さんが思うのなら、オーナーに正しい知識を持って欲しいよね。


 そんな矢先のことだった。 




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 ※1 賃金の支払(法第24条)

 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければなりません。また、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければなりません。


 ※2 賠償予定の禁止(法第16条) 

 使用者は労働契約の不履行について、違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはなりません。


 ※3 制裁規定の制限(法第91条)

 就業規則で減給の制裁を定める場合は、1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が1賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えてはなりません。


 ※4 監督機関に対する申告(法104条)に「(労働基準監督署に申し立てをした)労働者に対して解雇その他不利益な取扱をしてはなりません。」とありますが、やはり小さな職場では難しいものがあるでしょう。

 

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