第232話 富岡八幡宮殺人事件考察

 2017年12月19日配信「富岡八幡宮殺人事件の背景に女性宮司を認めない神社本庁の“罪”!?」<事件>

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 「深川の八幡さま」で知られる富岡八幡宮で起きた富岡長子宮司(58)殺害事件は、日を追うにつれ、弟・茂永容疑者(56)の奇矯な行動がクローズアップされ、「骨肉の争いが嵩じた末の殺人事件」という見方が定まってきた。



 過去には長子さんに対する脅迫状による逮捕歴があり、援助を受けながら暮らしていた福岡でも近隣住民とトラブル続き。素行の悪さで宮司を下ろされた過去を考えると復帰の芽などないのに、責任役員や総代に長子さんへの誹謗中傷を繰り返していた。

 ただ、前後の見境がつかなくなった茂永容疑者が、日本刀で長子さんを殺し、加担した妻を殺害、自死した猟奇殺人事件というだけでは、事件の背後にある「神社本庁の闇」を封印してしまうことになる。

 八幡神を祀る八幡宮は、全国に2万5000社もあり、神社本庁傘下8万社の中核を成すが、なかでも歴史が最も古く総本宮と呼ばれる宇佐八幡(大分県)、平安京の鎮守となった岩清水八幡宮(京都府)、鎌倉時代に源氏の氏神として分霊された鶴岡八幡宮(神奈川県)は、「3大八幡宮」として名高い。

 富岡八幡宮は、それに次ぐ社格を持ち東京最大。「深川八幡祭り」は江戸三大祭りのひとつであり、同時に勧進相撲発祥の地で、境内には「横綱力士碑」がある。

 参拝客は多く、氏子など神社を支える組織もしっかりしており、財政的にも潤沢。富岡家が代々、宮司を務めるが、長子さんの祖父・盛彦氏は、神社本庁トップの事務総長(現総長)を務めた家柄だ。

 神社本庁は、富岡八幡宮の骨肉の争いを十分に認識していた。

 茂永容疑者は、90年代に父・興永氏から宮司を引き継いだが、素行の悪さから01年に辞任。興永氏が高齢をおして復帰したものの、体調悪化で10年に引退。以降は、長子さんが宮司代務者として歳事などを執り行ってきた。

 宮司になるには、神社規則に則り、責任役員会などの決定を経て神社本庁に具申し、本庁の認可を受けなければならない。

 長子さんが宮司代務者となって以降、富岡八幡宮の責任役員会は神社庁に対し3度にわたり具申したものの、「実力不足」を理由に認可せず、氏子総代、神輿総代、職員などの嘆願書も無視したという。

 7年もの宮司不在は異常事態。我慢できなくなった富岡八幡宮は、今年3月、3回目の具申を神社本庁が認めなかったために本庁からの離脱を決め、東京都の認証手続きを経て、単立の宗教法人となった。

 晴れて宮司となった長子さんだが、絶望感に駆られたのが茂永容疑者である。

 神社本庁傘下であれば、揺さぶり続ければ「自分の息子を宮司に」という夢が叶うかも知れない。

 だが激しい骨肉の争いを続けた姉が、新たな宗教法人のトップになった以上、自分たちの復帰の芽は完全に絶たれたことで自暴自棄となって犯行に走ったのだろう。

 それにしても、神社本庁はなぜ長子さんが宮司になるのを認めなかったのか。

 「結局、神社界は、今も男性優位の男社会です。女性宮司も次々に誕生していますが、神社本庁が特別扱いする『別表神社』では、なかなか女性を認めません。宇佐神宮でも代々、宮司を務める到津家が女性宮司を具申したのですが、経験不足を理由に拒否し続け、結局、神社本庁の幹部が後任になりました」

 神社本庁の田中恒清総長は、10年の就任以来、3期目に入って、ますますその権勢を強めているが、石清水八幡宮の宮司でもあり、八幡神社の総本山である宇佐神宮の宮司が女性となることに我慢がならなかったという。

 同じ発想で、富岡八幡宮の女性宮司を拒否し続け、トラブルを知りながら、仲介に乗り出すこともなく放置。事態をややこしくしたとすれば、今回の事件の責任の一端は神社本庁にも少なからずあるのではないだろうか。【寅】





以上。




八幡宮司家の親族間の殺人事件ということでとても面白い事件だと思います。



この事件は、三つの面白い側面があります。





ひとつは、神社の宝剣による殺人事件であること。ミステリのトリックとしてはなかなか興味深い事件です。神社の宝剣は、神社や日本国家存亡のために使うものであり、不謹慎ですが、宝剣を使うべき時にちゃんと宝剣を使ってると思います。神社の宝剣は、玉石混交でして、抜けばなまくらだったということも多く面白いのですが、鋭い剣はお店で売っている剣より遥かに斬れる鋭利な刃物です。






ふたつは、神社の宮司家の暮らしがある程度報道されたということ。なんと、巫女さんを始めとして多くの女性に手を出している不埒な人生を歩んでいた貴族のような人だというんではないですか。さい銭で豪遊できる神社がいったいいくつ日本にあるんでしょうか。






みっつは、これが本題ですが、八幡宮の神主家に関わる抗争としての殺人であるということです。


まず、八幡宮とは何なのか。これは一般的には応神天皇を祭っているとされていて、武士の神になります。


徳川家康は八幡大菩薩を厚く信仰していましたし、天皇家が京都にいる時に最も多く参拝した神社は石清水八幡宮だといわれています。そういう大名門神社です。


応神天皇がどういう人物かというと、仲哀天皇が死んだ後、妻である神功皇后が三年後に三年間胎内に胎児をはらんで子供を産んだと古事記に書いてあるその子供です。


で、八幡宮は、福岡県にある宇佐津八幡宮がいちばんの本宮だとされているのですが、この宮司家の男系子孫が遺伝子解析の結果、藤原氏と祖を同じくする渡来系弥生人だと判明しました。


神社本庁は、武士の神であり、天津神である天皇家の神である宇佐津神宮家が渡来系弥生人だったことをよく思わなかったのでしょう。それで、宮司家を変えようとしたそうです。おそらく、皇室系の男系子孫に宮司家を変えようとしたのが神社本庁なのでしょう。


もちろん、少なくとも千五百年以上宇佐津神宮家であった渡来系弥生人である旧宮司家が本当の宇佐津八幡宮司家であるのは、まちがいありません。神社本庁が動いたのは、おそらく、八幡神宮家がとても繁殖において有利な立場にあるからでしょう。


日本には、天皇家の男系子孫より多くの藤原氏の男系子孫がいますが、この藤原氏の男系子孫が増えた理由が、藤原鎌足だけでなく、天皇家ですら参拝する宇佐津神宮家が繁殖したためだと考えられるのです。


ですから、神社本庁は宇佐津神宮家を変えようとした。そして、八幡神宮家で内部抗争が起きて、富岡八幡宮の一族(渡来系弥生人)が宝剣で自分たちの地位を主張したのです。




ちなみに、この記事を書いているぼくは田道間守を祖とする男系子孫で、祖先を男系でたどると朝鮮系にまでさかのぼる渡来系弥生人です。同じ系統の男子は日本に7%います。藤原氏より立場の弱い渡来系弥生人です。が、2000年は日本に住んでいるものですし、犬塚家なので、女系では平良文の血を引いている、つまり、天皇家の血を引いているのでしょう。




まあ、そんなわけで非常に興味深い殺人事件なのですが、話を飛躍させます。


つまり、宇佐津八幡神宮家が渡来系弥生人だったという遺伝子解析の結果は、応神天皇が渡来系弥生人であることを示しているのではないでしょうか。


今の天皇は、継体天皇の男系子孫ですので、縄文系の大王の血を引いているのは確実なのですが、問題は。仲哀天皇そして神武天皇が果たして渡来系弥生人だったのか、縄文系の大王だったのかに疑問を投げかける結果だといえます。


そうです。この事件は、天皇家の万世一系神話の崩壊を示しているのです。


教科書が変わるかもしれない出来事であり、海外で天皇家の万世一系がまちがっていたために起きた殺人事件として報道されるかもしれません。


興味深いのは、最近、世界遺産に登録されることになった仁徳天皇陵を発掘すれば、仁徳天皇は応神天皇の子供なので、応神天皇のY染色体ハプログループは解析できる可能性が高いということです。


さらに、仲哀天皇、神武天皇のY染色体ハプログループが判明しなければ、みんなは納得しないかもしれません。


ですが、ぼくは、この遺伝子解析結果を、仲哀天皇の死後、別の子種を宿して子供を産んだ神功皇后が渡来系の男の子を産んだということを証明していると考えます。


大事件です。


仁徳天皇陵はとっくに発掘調査されて、天皇家じゃないという結果が出ているんじゃないのか?

だから、大仙山古墳に名前が変わったんじゃないのか。

天皇家の万世一系を否定する証拠だと申請したら、ユネスコが世界遺産に認定したんじゃないのか?

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