Marie Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bony

小町紗良

マリエちゃんの憂鬱

「お人形になりたいの」


 マリエちゃんがその女の子に出会ったのは、学校からの帰り道でした。厚底のローファーをごつごつ鳴らしながらマリエちゃんが歩いていたところ、女の子がとつぜん掴みかかってきたのです。


 マリエちゃんは、街じゅうの誰もが知っている有名人です。なぜなら、泣く子も黙るマッドサイエンティスト、ドクター・ボニファティウスの娘だからです。ドクターはあんなことやこんなこと、口に出すのも恐ろしいことをやらかしているので、ご近所さんに恐れられています。パパがヤバいならまぁ娘もヤバいだろうということで、デンジャラス親子として名を馳せてしまったというわけです。


 女の子の訴えは、どうやら本気のようでした。ときどき「その巨乳お父さんに作ってもらったんでしょ、私にも分けてえ」などと冷やかしてくるアホがいますが(そんな奴はドクターお手製のスタンガンでイチコロです)、マリエちゃんを見つめる女の子の黒い瞳は、どこまでも澄んでいました。敬虔な乙女のようでありながら、望みを叶えるためならどんなことでもしてしまいそうな、あやうさを孕んでいました。


 女の子はつやつやの黒髪をおさげにした、なかなかの美少女でした。名門女子高のえんじ色の制服を着崩すことなくきっちりと纏い、白のハイソックスは脚線にぴたりと密着しています。品があるし、お人形になったら綺麗だろうなと思い、マリエちゃんはにっこりと笑顔を浮かべて女の子の手をとりました。


「わかったわ、ボニーに会わせてあげる」




「お人形になりたいの」


 ドクターはその言葉を聞くなり、注射器を女の子のうなじに突き刺しました。意識を失った女の子を実験室の手術台に乗せ、マリエちゃんとドクターは彼女のやすらかな寝顔をじっと見つめました。


「人形よりゾンビがいい。ゾンビにしよう」


 白衣姿のドクターはそう言いながら、女の子の薄く開いたくちびるを指先でなぞります。


「ねえボニー、この子はお人形になりたいのよ」

「いいやマリー、ゾンビの方がずっと色っぽいぞ。ゾンビになって目覚めたら、この子だって鏡の中の自分に惚れ惚れする」


 たいていの場合、ドクターは人の話なんか聞きません。自分がいかに楽しめるのか、いかに自分が気持ちよくなれるのかが重要なのです。


 ドクターは女の子をゾンビにすることに決めてしまいました。一度決まってしまったら、もうマリエちゃんにはどうすることもできません。邪魔をしないように、マリエちゃんはそっと実験室を後にしました。


 女の子はどうなってしまうのかしらと、マリエちゃんは想像を巡らせます。人形より色っぽいと言われても、出来のいいダッチワイフみたいなものしかイメージできませんでした。マリエちゃんはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVを見たこともなければ、バイオハザードをプレイしたこともありません。だから、ゾンビがどんな存在か全く知らないのです。


 突然、けたたましい機械音が実験室から響いてきました。断末魔が聞こえたような気もしましたが、マリエちゃんはこれも機械音だと思ってやりすごしました。だって、女の子には麻酔を打ってあるのですから。しばらくすると音が止み、しんと静かになりました。マリエちゃんは、実験室の扉をどんどん叩きました。


「ボニー、ゾンビはできたの? 早く見せてちょうだい」


 お母さんの手作りの焼き菓子をせがむような無邪気さで、お父さんの手作りのゾンビをせがむマリエちゃん。ドクターはやれやれ、とため息を吐きながらマリエちゃんを迎え入れました。


「いやだボニー、白衣が血まみれよ、だらしないわ。それに酷いにおい」

「この女が勝手に血を噴き出すんだよ。仕方ないだろ」


 女の子は麻酔を打たれた時と同じ表情で、まぶたを閉じていました。つやつやひかる横一文字にぱっつんの前髪、少女漫画のヒロインみたいにばさばさのまつげ、繊細な輪郭。なにひとつ変わらず美しい少女であると言えば、そうかもしれません。しかし、女の子はもう、さっきまでの女の子ではありませんでした。だって、全身の皮膚が青色になってしまったのですから。


「ゾンビ防腐剤がブルーベリー味のものしか無かったんだ」


 マリエちゃんは女の子の頬をぺろりと舐めました。するとどうでしょう、たしかにブルーベリーの味がするのです。アメリカのカラフルなお菓子みたいな味がするので、マリエちゃんはたいそう気に入り、べろんべろん女の子の顔を舐め回しました。


 すると、意識を失っていた女の子が身じろぎをしました。よだれまみれの顔を拭きながら上半身を起こし、マリエちゃんとドクターを見上げたその瞳は、ミルクキャンディのように濁っていました。


「あなた、名前はなんていうの?」

「ユキよ」

「ねえユキ、あなたゾンビになっちゃったわよ。人形じゃあないのよ」

「へえ、そうなの」


 ユキちゃんはきわめて無感動に答えました。手術台から足を放り出し、退屈そうにぶらぶらさせています。真っ青な足とえんじのプリーツスカートの色合いは、とても鮮やかでした。


「ゾンビになるとな、記憶に障害が出るんだよ」

「でもボニー、この子名前は覚えているわ」

「そういうこともある。幸いなことに人肉を貪ったりしそうにもない」


 ユキの隣に腰掛け、ものめずらしそうに彼女を見つめているマリエちゃんに、ドクターが言いました。


「マリー、この子を君にあげよう。もう私はゾンビに興味がない。思ってたより色っぽくもならなかった」


 マリエちゃんは嬉しくなり、テディベアにそうするみたいにユキを抱きしめました。今までドクターからもらったものといえば、お小遣いとスタンガンと実験で死んだ動物の剥製ぐらいでしたので、ゾンビは今までで最高のプレゼントです。友達がひとりもいないマリエちゃんにとっては、同じ年頃の女の子を手に入れることができたのは何よりも嬉しいことでした。


 それからというもの、マリエちゃんは何をするにもユキちゃんと一緒でした。お揃いの髪留めをつけて、お揃いの色のマニキュアを塗って、私達は親友なのよと言って、寄り添いました。ショッキングピンクの壁に囲われたお部屋で、ふたりだけの世界をつくりました。


 マリエちゃんはクラスのいけ好かない女の子の話と気持ち悪い男の子の話をして、ユキちゃんはそれに相槌を打ちました。マリエちゃんは良い香りのする紅茶と甘いクッキーを用意して、ユキちゃんはそれをお腹の切り傷からだらだらこぼしました。マリエちゃんはワンピースでいっぱいのクローゼットからお洋服を選び、ユキちゃんはそれをマリエちゃんよりじょうずに着こなしました。


 ほとんどのことに、ユキちゃんはぼんやりしていました。ちゃんと人間の女の子だった頃の、きらきらしたものやとげとげしたものを覚えていないので、心がはたらくことが無くなってしまいました。それこそ動くお人形のようでしたが、ユキちゃんはゾンビなのです。


 ぼうっとしているユキちゃんにうんざりした時、マリエちゃんは彼女の華奢なうなじを舐めることにしていました。舌先を這わせるように舐め上げると、いやでもくすぐったくなってユキちゃんは笑ってしまうのです。ユキちゃんがなんとなくいやらしい息を漏らし、おかしなことになる前にはやめるようにしていますが、本当はいつまでも味わっていたいぐらい、マリエちゃんは甘酸っぱいブルーベリーの味が好きでした。じゅうぶん色っぽいんだからボニーもユキを舐めてみればいいのに、と思いました。


 ユキちゃんはマリエちゃんにとって、生まれてはじめてできたお友達でした。パパがマッドサイエンティストというだけで理不尽な差別を受け、誰とも分かり合うことができない自分をかわいそうに思ったことはありませんし、ドクターを憎んだこともありません。けれどもときどき、しくしくと胸が痛み、うつろな気持ちになってしまうのです。けれどそんな気持ちも、ユキちゃんに出会ってからは消えてしまいました。毎日がとても楽しく、とても幸せでした。


 しかし、マリエちゃんにはちょっとした不満があるのです。それは、ユキちゃんのことがひとつもわからないということです。ユキちゃんはユキちゃんのことを話してくれませんし、マリエちゃんのことをどう思っているのかも伝えてくれません。お人形になりたい理由だって、教えてくれないままゾンビになってしまいました。それがなんだか寂しいのです。


 魔がさしたとでも言うのでしょうか、マリエちゃんはユキちゃんの学生鞄をひっくり返し、ユキちゃんのことを知ろうとしました。学生証や保険証など、身分証明書が出てきましたが、マリエちゃんが知りたいのはそんなことじゃあないのです。花柄のポーチに入っている手鏡や櫛やリップクリームの種類、数学のノートに書き込まれた文字の形、空になったチョコレート菓子の箱、書店のカバーがかかった文庫本のタイトル……そういったものに手がかりをもとめましたが、だんだんみじめな気持ちになってきました。


 散らかしたものを元に戻そうとすると、洋書のようなデザインの、鍵がついた小さなノートが入っていることに気付きました。きっと交換日記です。手に取ると、頁のすきまから一枚の封筒がすべり出しました。それが床に落下した瞬間、びりびりに破れた紙片がいくつも飛び出してきたではありませんか。


 この紙切れが便箋だということはすぐにわかりました。どういうわけかマリエちゃんはこわくなってしまい、いそいで紙片をかき集め、封筒をノートにはさみ直しました。ばらばらになった便箋の「別れよう」という言葉と、男の子の名前が目に焼きついてしまったのです。字の形も、ユキちゃんのものではありません。


 マリエちゃんはこの出来事をドクターに話し、ユキちゃんに感じている不満も打ち明けました。するとドクターはにやにや笑いを浮かべながら、マリエちゃんにささやきかけました。


「マリー、友人のことを何でも知りたいと思うのはエゴというやつさ。君を私の娘だからという理由で蔑む、汚いやつらにはたくさん出会っただろう。その自分勝手さもエゴだ。けれどマリー、君は手紙を読まなかったね。つまり、エゴに打ち勝ったということだよ。あのゾンビのことがわからなくても、今までどおり無償の愛を注いでやるんだ。それがうつくしい友情というものだよ」


 ボニーはなんてステキなことを言ってくれるのかしら、とマリエちゃんは感激しました。誰よりもエゴイストなドクターが言うとなんだか理不尽な気もしますが、不良っぽい高校生がおばあさんに席を譲るとめちゃくちゃ良い人に見えるのと似たようなものでしょう。

 マリエちゃんはドクターの言葉を胸に刻み、ずっとずっとユキちゃんと仲良しでいようと思いました。


そんなある日のこと、マリエちゃんとユキちゃんは白黒映画を鑑賞していました。女2人と男1人が繰り広げるドロドロ愛憎劇です。マリエちゃんは退屈してしまい、なんとなくユキちゃんのほうを見ました。すると、驚いたことにユキちゃんが泣いていたのです。ひとすじの透明な涙が、真っ青な頬を伝っておちていきます。


「ユキ、どうしたの」

「せつないの」


 マリエちゃんを振り返ったユキちゃんの表情は、肌は青けれど清らかな少女のものでした。濁った目で放心しているゾンビなんかではないのです。マリエちゃんはどきりとしました。ものすごく申し訳ない気持ちと恐ろしい気持ちになって、ショッキングピンクのお部屋を飛び出しました。


 廊下を駆け抜ける間、マリエちゃんはあの手紙のことを思い出していました。色恋沙汰に疎いマリエちゃんですが、ユキちゃんが映画を観て泣いたのは、手紙と関係があるからだと直感したのです。


 息を切らして実験室に向かい、ドクターの名前を叫びながら必死に扉を叩きました。この日、ドクターは世界マッドサイエンティスト協会の会議に出席するため、フランスへ渡ってしまったのです。それを忘れていたマリエちゃんは、一心不乱にドクターの名を叫び扉を殴り続けました。だって、ユキちゃんの甲高い悲鳴が、ときどき衝突音のようなものを交えて、どんどんこちらに近付いてくるのです。


 とうとう、マリエちゃんの眼前にユキちゃんが迫ってきました。ユキちゃんはこの世の負の感情をすべてつめこんだような歪んだ表情で、マリエちゃんを睨みました。ユキちゃんの顔は涙と血とその他よくわからない液体でぐちゃぐちゃになり、暴れてぶつけたせいでおかしな方向に曲がった身体を必死に支えて立っています。


「どうして、どうしてよ……私、お人形じゃあないわ」


 ひどくかすれた声でユキちゃんが呻きます。そのおぞましさに、マリエちゃんは床にぺたんと座り込んで動けなくなってしまいました。美しい少女だったユキちゃんの面影は、もうどこにもありません。


「アタシじゃないのよ、ボニーがやったのよ!」

「私の頼みを聞いたのはあなたでしょ! ちゃんとお父さんに伝えてよ!」

「言ったわよ、でもボニーは頭がおかしいのよ、まともに聞いてくれるはずないわ!」

「あんたたち親子を訴えてやるんだから!」

「無理よ、だってあなた死んでるもの!」


 マリエちゃんのその一言で、ユキちゃんは崩れ落ち、泣き叫びました。真っ青な肉塊のみにくい声が響き渡ります。マリエちゃんは失禁しそうなのを必死でこらえ、ユキちゃんにたずねました。


「ねえ、ユキ、どうしてお人形になりたかったの」

「うつくしいからよ」

「どうして? あなた、じゅうぶんかわいかったじゃないの。ねえ、まさか好きな男の子に手紙一枚でフラれたとか、他の女の子に取られちゃったとか、もう悔しくて辛くて仕方ないから、心がいらないお人形になりたいなんて魂胆だったんじゃあないの」

「なんでわかるのよお……誰にもひみつでお人形になりたかったのに……」


 見事に言い当てられてしまったユキちゃんは、舌をふるわせ情けない声で言いました。


「そんなのバレバレだわ、アタシ達親友だもの」

「絶交よ、絶交だわ」


 ずきんとマリエちゃんの心が痛みました。身体の中がからっぽになって、とてもおセンチな気分になりました。聞く者を呪わんばかりの悲痛な声を上げ続けていたユキちゃんは力を無くし、虚しくすすり泣いています。


「いやよユキ、さびしいわ」

「マリー、私だってさびしいわ。でもね、ゆるせないのよ」

「ごめんなさい。ねえ、アタシはどうしたらいいの」


 いまにもばらばらに砕けてしまいそうなユキちゃんの身体を抱き上げて、マリエちゃんはすがるように問いかけます。けれどユキちゃんは、すべてどうでもよくなってしまったような目で空中をぼんやり眺め、かすかな声で答えました。


「すきにしてよ。私はもういなくなっちゃうんだから。もういちど言わせてね、マリー。私、あなたをゆるさないわ」


 まもなくしてユキちゃんは死んでしまいました。ほんとうに死んでしまいました。マリエちゃんは、たったひとりのお友達をなくしまったのです。


 ユキちゃんに絶交を告げられたマリエちゃんはやけっぱちになり、交換日記の鍵を壊して手紙もつなぎ合わせて、男の子とどんな関係だったのか洗いざらい覗いてしまおうと思いました。けれど、ユキちゃんの男の子への想いを読んでしまったら、やきもちとさびしさで苦しくなりそうだし、こんなエゴエゴしい行為はドクターの教えにそむくので、やめにしました。ユキちゃんの遺品は学生鞄に詰めこみ、灰になるまで燃やしました。


 フランスから帰国したドクターは、マリエちゃんにエッフェル塔のフィギュアをプレゼントしましたが、マリエちゃんの気持ちは憂鬱なままでした。


「お人形にしてあげて」


 腐乱しはじめたユキちゃんの死体を手術台に乗せ、マリエちゃんはドクターの目を見てしっかりお願いしました。ユキちゃんがマリエちゃんにそうしたように、まっすぐな望みを瞳にたたえて。


 次にマリエちゃんが見たユキちゃんの姿は、一枚のレコードでした。プレーヤーにかけられ、くるくると回るユキちゃんはフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」を歌い出すのでした。おしまい。

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