復員輸送と義勇隊
復員輸送と少女の権利
いつもの復員業務のはずだった。
駆逐艦
「軍医殿、ようこそ。スイートルームは御座いませんが」
「いや、結構。此の世の地獄を思い返せば、軍用ビールもシャンパンになる」
船橋に現れた軍医が、受け取った缶を軽く掲げる。タブが引かれて、炭酸の音がする。
「〈
「今のところは良好だがね、何と言っても
軍医が
其の背に向けて、背を向けて、言う。
「俺は艦長じゃない。今は、
だが、軍医の足を止めたのは、訂正の言では無かった。
船橋に響く警告音は、爆発を検知したものだ。二人の男が、ディスプレイを覗く。
「なるほど、此れが
「ああ。抜けられるな?」
「御任せを」
其処へ、強制的に通信が入る。少女のような声だった。
〈
「本船は、ただの復員船だ。
〈照会を行う。当該宙域は掃宙作業中である。我に続航せよ〉
「承知した」
通信が切れて、即座に軍医が詰め寄ってくる。
「従うのか」
「其れ以外には無いでしょう。あの作業艇には機関砲が装備されています」
「豆鉄砲だ、どうってことは無いだろう」
「本船は、其れすら積んでいないんですよ」
「駆逐艦なら振り切れないか?」
「駆逐艦なら可能でしょうが、本船は、ただの復員船です。其の証拠に、機関の半分は下ろしています」
受信した識別コードは、連合船籍を証明していた。賊の可能性は、ほぼ無いだろう。
作業艇の発光信号に従って、続航するべく舵を切る。軍医が
「あんな
「其れが敗者の義務ですよ」
軍医の視線には、気付かない振りをした。
◇ ◇ ◇
「どうぞ」
「どうも」
〈連合義勇軍掃宙隊〉の司令部で、少女の伍長から湯気の立つカップを受け取った。伍長が飲むのを確かめてから、褐色の液を口にする。
「不味いコーヒーだ」
「此処では、此れでも貴重品なんですよ」
司令部などとは名ばかりで、廃棄の輸送艦を転用したものだ。二人が居るのは、かつての艦長室らしい。
此の「司令部」が、隊員と作業艇の、宿泊と整備の施設を兼ねている。隊員は伍長の妹くらいの年齢で、作業艇は同盟から接収した雑役船だ。確かに、恵まれた環境とは言い難かった。
「何処も同じと言うわけだ。で?」
「所属と航行予定は正式なものでした。非礼を御詫びします」
伍長が素直に頭を下げる。
「いや、伍長は仕事をしただけだ。そして、我々も仕事をするわけだ」
「そう言う訳には参りません。当該宙域は危険です。掃宙作業が終わるまで、通航は許可できません」
「急ぎの案件でな。
「できません。掃宙作業の進捗は、軍機に当たります。迂回して頂くしかありませんね」
口調も表情も柔和だが、有無を言わさぬ内容だった。澄んだ瞳は真っ直ぐで、意志の強さが見て取れる。
「ならば、俺たちの自己責任だ」
「其れも無理です」
「無理にでも通航したら?」
「無理にでも止めるでしょうね」
「何故だ? 馬鹿な復員船が吹き飛んだとて、其れは君たちのせいじゃない」
事実、少なくない数の復員船が、触雷事故にて
「いいえ。貴方がたの安全を確保するのは、
「……なるほど」
道理で話が通じぬわけだ。彼女の頑なさは、其の言葉とは裏腹に、使命感とか義務感とかとは別物だった。諦念が、喉から漏れた。
此れで話は終わりとばかり、伍長が微笑む。自身の詰襟に手を掛けて、椅子が軋んだ音を出す。
「御理解を頂けましたか」
「もう
「何でしょう」
「君が俺に
「いいえ」
少女の舌が、上唇を舐めた。
「此れは
◇ ◇ ◇
〈艦長、どうなっている。余り長く〈聖櫃〉は保たんぞ〉
「軍医殿、良いですか。俺は艦長じゃないんですよ」
〈そんなことは、どうでも良い。早く出航せねば私も貴様も――〉
喉笛に、少女が噛み付く。
「無粋な人ですね」
「仕事熱心なのさ」
「ふふ、貴方は?」
「君ほどでは、ないかな」
身体を起こしてボタンを留める。
少女はシャツを開けたまま、冷めたコーヒーを飲み干した。
「どうして、艦長では無いんです?」
「戦争が終わったからだ」
カップを置いて、少女が服を整える。
「私たちの戦争は、まだ終わりません。全ての作業が終わるまでは」
「そう言う契約か」
「ええ。此処に居る
戦災遺児は、政府によって保護される。名誉の子だと、施設で丁寧に育てられる。そして年頃になると、身の振りかたを訊ねられる。家系の名誉に恥じるなかれと。
「同盟の機雷は優秀ですね。此のぶんだと、」
「何年かかるか分からない?」
「……ですが、いつか必ず終わります。其のときに、私たちの戦争も終わるのでしょう」
苦しそうな笑顔だった。其の沈黙を埋めるように、入電の音が鳴り響く。少女が伍長の顔をする。
〈三番艇より司令部、五番艇が触雷した! 繰り返す! 五番艇が触雷!〉
「司令部より全艇、作業を中断、五番艇の救出に当たれ。――司令部より総員、触雷事故発生、受入準備」
てきぱきと指示を出す伍長の陰で、軍医への通信を開いた。
〈騒々しいな、どうしたんだ〉
「触雷事故が起こったようです」
〈そうか〉
「そうか、じゃありませんよ。此れに乗ずるとしましょうや」
◇ ◇ ◇
「正直に言って、かなり悪い。早急に、
「次の定期便は一七日後です」
「なるほど。
軍医の指示で、五番艇の隊員は復員船へと運び込まれた。其の医務室で、伍長は気丈に耐えていた。彼女の部下たちは、悔しそうに
負傷の程度は、見るからに悪い状態だった。軍医の診察は、其れを裏打ちしただけだ。応急手当はしたものの、破片が動脈に喰い込んでいる。内臓の損傷もあるらしい。
「特に良くないのは、目だ。今すぐ移植しなければ、永久に視覚を失うだろう」
「さて、伍長。我々は
「……応じられません。敗者への略奪になってしまいます」
伍長は勝者であるゆえに、彼女の視線は定まらない。
「此れは人道の問題だ、伍長」
「なればなおさら、此の
「
「え……?」
伍長に耳打ちし、〈聖櫃〉へ招く。小型ディスプレイを幾ツか叩く。
〈聖櫃〉――同盟敷設隊司令官は、死んだ姿で生きている。彼の生体コードが、機密情報を
「……分かりました。行ってください」
「軍医殿、御願いします」
「ああ」
軍医と、伍長の部下たちが、
医務室には、二人が残された。
「
「緊急事態として、
「おや、意外と」
「私が、固いだけの女に見えました?」
「ちょっとだけ、な」
少女が無理に笑うので、其れに応じてやった。
「あの
「ああ」
少女の手は、救いを求めて震えていた。
其れを抱くのは、彼女自身の手しかない。
「其れと、もう
「何だ」
「貴方の戦争が、終わりますように。艦長さん」
苦しい笑顔で、少女が言った。
◇ ◇ ◇
「御疲れさまです」
「本当に移植させるとはな。方便だけでも良かったろうに」
「軍医殿こそ、よくぞ引き受けてくれました」
紙巻煙草を差し出すと、軍医は摘まんで受け取った。
軍医の煙草に火を点けて、自分も一本を出して咥える。軍医は、まあな、と適当に煙を撒く。
「そうだな、
「
「何……?」
「亡命の御予定でいらっしゃる。
「艦長、貴様――!?」
騒ぐ軍医に目を
「言ってるでしょう。俺は艦長じゃないんですよ」
吸い込む煙は、安物だけれど美味かった。
いつだって、此のためだけに生きてきたんだ。
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