本編-006 外の探索③

熟れた果実の匂いが辺りに立ち込める。

果樹は泉を囲むように数本並んでいるが、木としては一本のようだ。シダ植物のように根が連結しているのが見えた。

一応、獣の足跡を追ってここへ着いたので、アルファとベータに周囲を警戒させる。


すると果樹に寄りかかり、静かに眠る生物を発見した。

異様に鼻が長いイノシシのような見た目に、体を覆う長い体毛。

下顎から上向きに4本の牙が鋭く突き出しており、貫禄のある姿。

数十秒もかけてゆっくり呼吸しており、風船のように体が膨らんだり縮んだりしている。


「でかいなぁ」


風下へ移動しつつ遠巻きに観察する。

ゾウイノシシと勝手に命名してから【情報閲覧】をかけたが、案の定奴の名前はゾウイノシシになっていた。

うむ、安直だったかな……ボアファントなんてどうよ?

あれ、和名ベースよりこっちのがしっくりしね?


はい。

例の迷宮核さんのシステム音とともに、名前はボアファントに変化しましたとさ。

やはり俺の主観が翻訳に大きな影響を与えていると言って良いな。


そんなゾウイノシシあらためボアファントさんの周りには、食い散らかされた青い果実が散乱していた。

やつは魔界の生き物、俺も今は魔界の種族。

食っても問題なさそうではあるが、さて。


アルファに目を向ける。


「ギャガーフ?」


どうしますボス、やっちゃいます?とでも言いたげな様子だが。

俺は腕を組んで少し考え込む。

ボアファントが熊並みにでかいのも心配だが、長い鼻の先が常にせわしなくピクピク動いているのだ。

下手に近づいて起こしても困る。


いやいや、欲張るな俺。

自分自身と眷族2体の戦闘力の検証は必要だが、危ない橋を渡ることもない。

それに第一目標は食料だ。

泉の果樹を改めて見やる。葉々の間に無数の青い果実が見え隠れしている。


俺の周囲には果樹は無い。

たとえばこっそり近づいて食い残しでもいいから何個か果実を拝借する。ボアファントに気づかれたら、アルファとベータを捨て駒にして逃げる。

……無しだな。コストだけ見れば洞窟に戻ればなんとでもなるが、森の悪路と洞窟内の移動で2匹の助けが無くなるのは、ちょっとしんどい。

岩の丘へ登り戻る時にも、俺一人では多分かなり難儀するぞ。


今は食料候補の場所を発見できただけで、良しとするべきか?

過ぎたるは猶及ばざるが如し。


と、そこで俺は自分たちともボアファントとも異なる気配の存在に気づいた。

【魔素操作】を持つ俺だからこそ分かる、あたりの微細な魔素の流れの変化。

なんだ? と思って警戒していると、ボアファントの鼻先がしきりに泉の方向を向いている。

というか……薄靄のようなものがいつの間にか鼻先にまとわりついているのだ。


魔界の生物特有の鼻提灯はモヤ状だったのかぁ、とかバカなことを考えるほど脳天気ではない。

本能的に何かが起こると俺は感じていた。


ボアファントはいびきも立てずに静かに寝ていたが、眠りが浅くなってきたのか、もぞもぞと動き始めていた。


(アルファ、ベータ、ちょっと静かに)


小声で2匹に指示を下し、俺達は息を殺してさらに身を潜める。


風切り音。

俺とは反対側から細長い何かが飛来し、果樹の合間を縫ってボアファントに突き立った。

鮮血が舞う。

激痛に跳ね起きたボアファントが鼻を震わせながら咆哮を上げ、カっと目を見開く。


――木の投げ槍か……!?


俺がそう思うや否や、蛮族の如き雄叫びと共に浅黒い人型の小鬼みたいな生物が飛び出してきた。

その数、わらわらと5体。いずれも枝を鋭く削った木槍を抱えている。

反射的に【情報閲覧】をかけ、俺はそいつらの正体を看破する。


ゴブリンか!


ゴブリン達のボアファントとの距離は、俺とボアファントの距離よりもずっと遠い。

だがボアファントは鼻先を振り回し、しきりに泉の方を気にしていた。

完全にゴブリン達に背を向けた状態となっており、咄嗟の対応が遅れたのだ!


致命的な油断を突いて、他の個体より体格が二回りは大きいデカゴブリンが、ボアファントの太ももに木槍を突き刺した。


「ブモオオォォオ!」


鼻全体を楽器のように震わせた野太い咆哮には、苦痛の色が滲んでいた。

太ももを突いた大ゴブリンは、そのまま槍を捨て、一目散にボアファントから距離を取る。

さすがにボアファントが反撃しようと振り返っているが、既に包囲網は完成していた。


4体のゴブリンがばらばらのタイミングでボアファントに襲いかかる。

だがボアファントもただでは傷つけられない。

巨体を強引に動かして左から来た1体を弾き飛ばし、鼻を振るってもう1体の槍を叩き落とした。

だが残りの2体の槍が別の足に突き立てられる。


なかなかの連携だなぁ。

俺は息を呑んで狩りの行方を見守る。

槍を落とされたゴブリンは戦線を離れ、弾き飛ばされた仲間の方へ向かっていた。

いつの間にか戻った一番槍の大ゴブリンがボアファントの鼻に組み付く。

やはりあの鼻が脅威と考えているのか、自由に振るわせないつもりのようだ。鼻先には相変わらず例のモヤがまとわりついている。


手こずるボアファントにフリーの2体が容赦無く槍で突きかかる。

枝を削った粗末な槍だが、これはボアファントが豚寄りで皮膚が薄いせいで、効果的なのかもしれない。

あるいは……毒が塗ってあるとかな。


槍を落とされたゴブリンは気絶した仲間を引きずり、ボアファントから距離を取っていた。

すると茂みの奥から、棍棒のようなものを持ち、ボロをまとった別のゴブリンが現れた。


ゴブィザードか!

あれは棍棒ではない。魔法の杖みたいなものなのだ。

棍棒から魔素の流れが発生していることに気づいた俺に、天啓が舞い降りた。


男は即断即決。

奇妙な遭遇、略して奇遇、転じて己が糧とする。


「アルファ、ベータ! あの3匹をやれ!」


鋭く指示を飛ばすが早いか、俺の眷属2体が弾かれたように飛び出す。

続けて俺もゴブィザード+武器なしゴブリン+気絶ゴブリンへダッシュするが、刹那の間にアルファとベータは俺を2馬身は引き離していた。

こいつらなんて加速能力だ! 「ランナー」の名は伊達じゃないってか?


回復か何かでもしようとしていたのだろう。

ゴブィザードの意識は完全に仲間に向いていた。


アルファが跳躍し、ゴブィザードの頭上から爪を振り下ろす。

気づいた武器無しゴブリンが庇おうとする。

だが絶妙なるワンテンポを遅れて、ベータがタックルしながらそいつの首に食らいついた。


ランナーは戦力評価G+。

迷宮核曰く、ゴブリンをタイマンで殴り殺せる力量。

俺が戦場に辿り着くまでの数秒。

武器無しはベータともつれ合いながら血まみれになり、ゴブィザードは肩から腹にかけてバッサリと斬り裂かれ、あっけなく事切れていた。


俺はゴブィザードの棍棒を手に取り、気絶しているゴブリンの脳天に全力で振り下ろした。

ずんぐりとした小鬼みたいな体型だが中途半端に人型なため、人間だった頃の俺ならば間違いなく躊躇しただろう。

だが今の俺は魔界の支配種たる魔人族。

ゴブリンを叩き潰すのは蚊をはたき落とすのと同じなのだ。

気絶ゴブリンの頭はあっけなく砕け、血と脳漿の混合物をぶちまけた。


『――位階の上昇を確認――』


はいはい、後でチェックしますからねー。

武器無しを始末したベータがいつの間にか俺の脇に控えている。


異変に気づいたのか、ボアファント側の槍持ちゴブリンの片方がこっちを向く。

その目には動揺の色が浮かんでいた。

おいおい、よそ見して良いのか?

次の瞬間、そいつは突進してきたボアファントに踏み潰された。


鼻と格闘していた大ゴブリンは暴れるボアファントを御しきれなくなっていた。体力の差が出てきたってところかな。

デカイ奴は強い。当たり前だな?

だが残る槍持ちがうまく立ち回り、鋭い突きを繰り返すため、ボアファントは確実に体力を消耗している。

というかちょっと血を流しすぎているな、あれは。


あ、大ゴブリンが鼻に絡め取られた。

そのまま頭上へ放り飛ばされる。ボアファントが頭をぶん回し、落ちてくる瞬間に大ゴブリンを牙で貫いた。

潰された蛙のような鳴き声を上げ、大ゴブリンが絶命する。

だがボアファントも無理な動きが祟ったのか、立っているだけの力を失ったようだ。

ドシンと後ろ向きに倒れこんでしまう。


「行け!」


荒く息を吐くボアファントの隣で、最後のゴブリンがエイリアン2匹によって八つ裂きにされるまで、大した時間はかからなかった。


さて。

望外の成果だ。

この戦利品をどうしましょうかね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る