3.崇き狼の宣誓-2

『今後は、お前が次期総帥となり、一族をまとめていけ』


 何を言われたのか、理解できなかった。

 リュイセンは、ただただ呆然とエルファンを――次期総帥であるはずの父の顔を見つめる。

 しかし、無表情の美貌からは、何も読み取ることができない。

「ど……う、して……」

 どうしてですか、と問おうとして、『異論は許さぬ』と言われたことを思い出し、唇を噛んだ。

 わけが分からない。

 何故、次期総帥などという重要な役目をにんぜようとするのか。しかも、次期総帥の座は現在、空席ではない。父が退いて、リュイセンが収まるのだという。

 あり得ない。あってはならない。

 リュイセンは裏切り者だ。彼に与えられるべきものは、地位ではなく、しかるべき罰のはずだ。

 がたがたと体が震えてきた。たとえ百人の敵を前にしても、臆することのないリュイセンが、情けないことに、父のひとことに恐れを感じていた。

「リュイセン」

 静かな低音が響く。

 父――ではない。祖父、総帥イーレオだ。

「理由を知りたいか?」

「は……い」

 リュイセンは、かすれた声で答える。


「お前が、総帥の器だからだ」


 呼吸が止まった。

 今にも眼球が飛び出さんばかりに大きく目を見開き、イーレオを凝視する。

「何、故……!」

 青ざめた顔で、やっと、それだけ吐き出した。

『異論は許さぬ』と言われた……しかし、これは異論でも反論でもなく、ただの疑問だ。

「俺には……、俺が総帥の器だなんて思えません。納得のいく説明を願います!」

 床に手を付いたままの姿勢でありながらも、牙をむいた狼が如く。リュイセンは噛み付くように訴えかけた。

 それは予測通りの反応だったのだろう。イーレオは、ソファーの肘掛けで優雅に頬杖を付きながら、眼鏡の奥の目をにやりと細めた。

「この俺がそう思い、俺が信を置くエルファンもそう思った。――ならば、それは正しいことだろう?」

 王国一の凶賊ダリジィンの総帥は、実に楽しげな様子で、とんでもない屁理屈を傲然と言ってのけた。

「俺は、納得のできる説明を、と申し上げました! 失礼ですが、それでは俺は納得できません!」

「ほぅ……。では、お前は、この俺がここまで自信を持って言っていることが、間違いだとでも?」

 イーレオならではの伝家の宝刀とでもいうべき発言に、しかし、今回ばかりは、リュイセンも引き下がれない。

「この件に関してだけは、そう言わせていただきます!」

 若き狼がえ、老獪な獅子王を睨みつける。

 執務室は奇妙な緊迫に包まれ、当事者以外の者たちは、呆気混じりの、なんとも言えない顔で眉根を寄せた。

 リュイセン本人は処罰を求めたが、他の者たちからすれば、敵対していた〈ムスカ〉を下し、『最高の終幕フィナーレ』へと導いたリュイセンは、称賛されることこそあれ、罰せられるべきではない。否、褒美を与えられてしかるべき、と思っている。

 しかし、エルファンが次期総帥の座を退いてまで、リュイセンを抜擢するほどかといえば、さすがに首をかしげざるを得なくなる。

 ただ、イーレオが本気であることは、誰の目にも明らかであった。

 リュイセンを本気でからかいつつ、本気で讃えている。

 だから、これはもう決定項なのだ。

 ルイフォンなどは、詳しい説明を求めるべく、兄貴分の援護をしたかったのであるが、一族を抜けた以上、彼は部外者である。そもそも、こんな重大な話を一族以外の者の前でするな、と言いたいところではあったが、ぐっと拳を握りしめて押し黙った。

 もっとも、一族であるミンウェイやチャオラウにしたところで、総帥の決定に口を挟むことなどできようはずもない。固唾を呑んで、ただ状況を見守るのみである。

 めでたい話であるはずなのに、どうして、こんな険悪な雰囲気になっているのか。傍観者たちが、ほとほと困り果てようとしたとき……。

 イーレオの口元が、ふっとほころんだ。

「そうやって、何者にも屈しないところも、総帥に向いていると思わんか?」

「祖父上……? いえ、これは当然の……」

 反論しかけたリュイセンの言葉を、イーレオは慈愛の眼差しで押さえ込む。

「いささか挑発に乗せられやすく、思慮の足りないところは玉にきずだが、『未来これからの鷹刀』をまとめていくには、どこまでもまっすぐで高潔な人間こそが、ふさわしいだろう?」

 魅惑の低音が、リュイセンを包み込む。

 ひとり掛けのソファーにもたれ、緩やかに腕を組む姿は、尊大とも取れる態度であるはずなのに、王者の風格を漂わせたイーレオであれば、実に自然な絵となる。

 ――総帥にふさわしい人間とは、祖父イーレオのような者をいうのだ。

 せぬと顔をしかめたリュイセンに、イーレオは苦笑を漏らした。感情をあからさまに出しすぎだ、ということらしい。

 それからイーレオは、エルファンに視線を送る。

 現時点での次期総帥は了承の意を返し、未だ床にひざまずいたままのリュイセンに席に戻るよう言い渡すと、玲瓏とした声を響かせた。

「リュイセン。この件は、私から総帥に進言した。お前になら任せられるであろう、とな」

「父上!?」

 父はいつも、できの悪い次男リュイセンを不甲斐なく思っていたのではなかったのか? 優秀な長男レイウェンが一族を抜けていなければ――と。

 リュイセンの頭を、ぐるぐると疑問が駆け巡る。その思いは、すべて顔に出ていたのだが、エルファンは構わずに続けた。

「もとより私は、次の総帥にふさわしい後継者が育つまでの中継ぎだ。『次期総帥』の肩書きは、一時的に預かっていただけにすぎん」

「なっ……!?」

 衝撃の告白だった。

「俺のせい――俺のためだ」

 絶句したリュイセンの耳に、イーレオの声が静かに、けれども強い振動で轟く。それは、エルファンの発言の補足であり、イーレオの悔恨の思い。

 イーレオの秀でた額に皺が寄り、それを隠すように、はらりと落ちた黒髪が寂寥を帯びた。

「三十年前、俺は――俺たちは簒奪者だった。俺の父親である前総帥をしいし、武力で鷹刀を掌中に収めた」

 底知れぬ深い海の色合いの瞳に、リュイセンは促されるように頷く。

 それは知っている、と。

「一族をまとめ、規律正しい組織に作り変えていくためには、飴と鞭が必要だった。だから、総帥となった俺に悪感情が向かないよう、俺は『飴』に。そして、エルファンが自ら『鞭』を買って出てくれた」

 イーレオが告げる。

 そして、エルファンが「続きは、私が――」と、言を継ぐ。 

「『鞭』は、不満や反感を集めるのが仕事だ。そして人間は、一度、いだいた感情を塗り替えることは、あまり得意ではない。私が総帥になれば、必ず波乱を招くだろう。だから、私は頃合いを見て、位を退くべきなのだ。――ましてや、『未来これからの鷹刀』は『鞭』で従わせるような組織であってはならないのだからな」

 リュイセンは、はっと息を呑んだ。

 イーレオも、エルファンも、『未来これからの鷹刀』と口にした。

 それは額面通りに受け取れば、単に『将来』を意味する。しかし、リュイセンは、イーレオがいずれ一族を解散させようとしていることを知っている。

 つまり、『未来これからの鷹刀』とは、解散へと舵を切る鷹刀一族のことだ。

 ならば、ふたりが望む『次の総帥』とは――。


『最後の総帥』だ。


 リュイセンの心臓が、激しく脈打つ。

 祖父と父は、一族の終焉をリュイセンに託そうとしているのだ……。

「私は総帥となって、人の上に立ちたいとは思わない」

 淡々とした声が響いた。人の恨みに慣れるために、感情を殺してきた父の声だ。

「それよりも、私にしかできない役割をこなすほうが、よほど有意義だと考える。――本望だ」

 ――だから、お前も、自分にしかできない、やるべきことをやれ。

 無言の声が聞こえた。

「今回のお前の裏切り行為は、決して許されるものではない。だが同時に、お前は、補って余りある功績を上げた。――私は『時が来た』と思った」

 リュイセンは、膝の上に置いた両手を硬く握りしめた。それでも、高鳴る鼓動は鎮まることを知らない。

「とはいえ、先ほど総帥がおっしゃったように、お前の裏切りには一族の者たちが激しく動揺している。この状況で、お前を引き立てるわけにはいかないだろう」

「その通りです。俺……私は、償うべき立場です」

 硬い声で、リュイセンが告げると、エルファンは黙って頷いた。

「皆を納得させるためには、今回の出来ごとを包み隠さず、すべてつまびらかにするのが一番であるが、あまりにもことが大きすぎる。そこで私は一計を案じた」

「計略、ですか……?」

「お前は『敵をあざむくにはまず味方から、ということで、やむを得ず、独断で行動した』ということにする」

「え……」

 そんな詭弁程度では、一族は納得しないだろう。それに償いは、責任はどうなるのだ?

 思考が表情に出まくっているリュイセンに、エルファンは目元だけで苦笑した。そして、静かに続ける。

「無論、お前は『見事、鷹刀に刃を向けた敵を討ち倒した』と発表する。そして、『重大な機密情報に触れるため、詳細を広く皆に教えることはできないが、私が次期総帥の位を譲ることで、お前の功績の大きさを示す』――とする」

「そ、それでは、俺は責任を取ったことになりません!」

 思わず口走った言葉は、いつもの『俺』に戻っていた。声に出してから気づき、リュイセンは恥辱に震える。

 彼の失態に気づいたからか、それとも別の理由からか。エルファンが口の端を上げた。

「何を言っている? お前はこれから『次期総帥』――ひいては『総帥』という重責を担うことになる。お前の一生を捧げることになるのだ。これ以上の罰もなかろう」

 無情の策略家とうたわれる次期総帥エルファンが、氷の瞳を細めて嗤う。

「!」

 リュイセンの美貌が、彫像のように凍りついた。

 耳を疑った。

 それは『罰』などではなく、『信頼』に他ならない――!

「どうだ、リュイセン。私の策に異論はあるか?」

 未熟な自分が、祖父と父の期待に応えられるだろうか。

 そんな疑問をいだいたのは刹那のこと。

 リュイセンを行動を決めるものは、理屈ではなく直感。故に、次の瞬間には、リュイセンは立ち上がり、再び床にひざまずいていた。

「ございません!」

 両手を付き、深くこうべを垂れる。

「謹んで、お受けいたします」

 次期総帥を。

 最後の総帥という役割を――。

 そして、執務室は祝福の拍手喝采で沸き立った。



「緋扇! 待ってくれ」

 本業があると、さっと退室していったシュアンを追いかけ、リュイセンは広い庭を走った。

 会議がお開きになってすぐに声を掛けられればよかったのだが、『次期総帥任命の儀の段取りについて、話がある』とイーレオに引き止められたのだ。

 勿論、すぐに『世話になった緋扇に、きちんと礼を言っておきたい』と断りを入れて執務室を飛び出したのだが、随分と出遅れてしまった。

「はぁ? どうした?」

 耳障りな甲高い声を上げながらシュアンが振り返ると、制帽に押さえつけられていない、自由気ままなぼさぼさ頭が、ふわりと揺れた。凶賊ダリジィンの屋敷に行くのに警察隊の制服は不適切だとして、今は私服姿なのだ。これからどこかで着替えるのだろう。彼も大変である。

「珍しいな。あんたが俺に用があるなんて……ああ、なるほど」

 シュアンは、胡散臭気な笑みを浮かべた。それから、特徴的な三白眼を細め、周囲を警戒するように鋭く視線を走らせる。

「……?」

 リュイセンは、つられるように、あたりを見渡した。

 ふたりが立っている場所は、ミンウェイお気に入りの温室のそばだった。彼女がひとりになりたいときに籠もる、あの温室である。

 そして、そこはしくも、以前、今と同じように、リュイセンがシュアンを呼び止めた場所でもあった。『今後いっさい、ミンウェイには関わるな』と警告したときだ。

 あれは、情けない嫉妬から出た言葉だった。今のリュイセンなら、非礼であったと素直に認められる。

 そんなことを思い出し、リュイセンが気まずげに表情を曇らせていると、シュアンが唐突に、かつ無遠慮に間合いに入り込んできた。そして、草むしりの庭師や、鍛錬中の凶賊ダリジィン、洗濯物を運ぶメイドたちに聞こえないような低い声で語りかけてくる。

「昨日、あれから、ミンウェイがどうなったかを知りたいんだな?」

「へっ!? 昨日……?」

 不意の問いかけに、リュイセンはほうけた。

 何やら勘違いしている様子のシュアンを前に、慌てて状況の把握に努める。

 昨日――。

 長かった〈ムスカ〉との対立に、終止符が打たれた。

 そして、〈ムスカ〉が『ペア』として作られた『彼女』と共に息を引き取ったあと、タオロンがミンウェイに会いに来た。なんでも、娘のファンルゥの部屋を見てほしいのだという。

 リュイセンは、ファンルゥの部屋に入ったことがある。彼に、女児の部屋の良し悪しなど分かるはずもないが、それでも、たくさんの玩具に囲まれたあの部屋からは、深い愛情が感じられた。

 だから、リュイセンには直感的に分かってしまった。

 あのタイミングで、タオロンが『ミンウェイに部屋を見せたい』と言ったからには、あの部屋は〈ムスカ〉が用意したものなのだ。

ムスカ〉が、小さな女の子のために――ミンウェイの喜ぶ顔を思い出して――そろえたものなのだ。

 あの部屋を見て、ミンウェイが何を思うのか。

 それは、正の感情なのか、負の感情なのか。……それとも両方なのか。

 いずれにせよ、ミンウェイは激しく感情を揺さぶられる。〈ムスカ〉の『死』を強く実感することになるからだ。

 ――そのときに、彼女の心に救いをあげたい。

 だから。


『緋扇……、お前が、ミンウェイのあとを追ってくれ』

『今のミンウェイには、お前の言葉が必要だ』


 そう言って、シュアンに頭を下げた。

 本当は、リュイセン自身が彼女のそばに行きたかった。彼女を支えたかった。

 けれど、彼女は、彼の言葉には作り笑顔で応えようとするから。

 だからあのとき、リュイセンのすべきことは、自分がミンウェイを追いかけることではなく、シュアンを送り出すことだった。

 後悔などしていないし、正しかったと思っている。

 何故なら、戻ってきた彼女は、涙の乾いた顔で、けれども、心から――笑っていたから。

 ミンウェイの笑顔を思い出し、リュイセンの口元がほころんだ。

「リュイセン?」

 シュアンが訝しげに眉を寄せた。

 リュイセンは、なんでもないと首を振る。

「ミンウェイのことは心配していない。彼女は、もう大丈夫だろう」

 ミンウェイがどんな顔をして、シュアンはなんて声を掛けたのか。気にならないと言えば嘘になる。そのときに、ミンウェイの心がシュアンに傾いたとしても不思議がないことも、承知している。

 それでも――。

 大切なのは、ミンウェイが今、前を向いているということだけだ。

 シュアンは、しばらく狐につままれたような顔でぽかんとしていたが、やがて「ああ、そうさ」と頷いた。その声は、濁声だみごえのシュアンとは思えないような、優しい響きをしていた。

「彼女は受け入れた。『どうにもならねぇ』ってことを、ありのままな」

 そう言って、シュアンも微笑む。笑んだところで相変わらずの強面こわもての凶相だったが、何も言わないわけでもなく、かといって詳しく語るわけでもない――そんな答え方をしてくれたことに、彼の誠実さが感じられた。

「緋扇、ありがとう」

 ミンウェイの心を救ってくれて。

 リュイセンは、彼女の心を守ろうとして一族を裏切った。けれど、それは、ただの空回りだった。

 だから――ありがとう。

 感謝の言葉は、とても自然に口からこぼれた。

 ふと気づけば、シュアンが三白眼を見開き、リュイセンを凝視していた。

「あんた、変わったな……」

「え?」

「なんでもねぇよ。――それじゃ、俺は行くぞ」

 シュアンが、くるりときびすを返す。

「あ、待て。俺の用件はまだ終わってねぇ」

「は? じゃあ、なんの用だよ?」

 問われて気づく。

 たった今、謝意を伝えたばかりであるが、本来の目的も礼だった。――なんとなく、きまりが悪い。

「…………礼を言いに来た」

「はぁ? 礼なら、今――」

 案の定の反応に、リュイセンは神速で「別件だ」と遮る。

「俺が鷹刀を裏切ったとき、お前が誰よりも先に、俺のことを『味方』だと言ってくれたと聞いた。『先だって潜入成功している、頼もしい仲間』だと」

「ああ……」

 シュアンは、どことなく気まずげに視線をそらした。らしくないことをしたと、照れているらしい。悪人面なので、はっきりとは分からないが。

「だってよ? どう考えても、あんたは〈ムスカ〉の野郎に脅されているに決まっているのに、鷹刀の連中は、凶賊ダリジィンの仁義だか流儀だかのために、ちっとも動かねぇんだよ……」

 空を仰ぎながら、シュアンは、ぼやくように言う。

「俺は、しびれを切らして口出ししただけだ。〈ムスカ〉への復讐は、俺にとっても大事なことだったんでな。俺は俺で、必要に迫られただけさ」

「けど、お前のおかげで、今がある。――緋扇、ありがとう。感謝している」

 ひねくれ者のシュアンには、直球の謝辞は、むず痒かったらしい。彼は、ぼさぼさ頭をがりがりと掻いた。そして、ほんの少しの逡巡ののち、ぼそりと呟く。

「……俺が、あんたの立場だったら、あんな馬鹿なことはしなかった」

「――っ」

 自分でも未熟だとは思うが、リュイセンは反射的に眉を吊り上げた。しかし、彼が何かを口走るよりも先に、シュアンが続けた。

「でもそれは『しなかった』じゃなくて、『できなかった』なんだろう。――だから、あんたは『尊敬に値する馬鹿』だ」

「なっ――!」

 喧嘩を売っているとしか思えない言葉だった。

 ……けれど、シュアンの三白眼がいつになく切なげで、リュイセンは戸惑う。

「あんたなら、あの危なっかしいお人好しが無茶をしても、体を張って止めてやれるだろう」

「――え?」

 シュアンは今、なんと言った?

 それは、どういう意味だ?

 疑問が渦巻く。

 しかし、彼はリュイセンの心を見透かしたかのように――質問は許さぬと言うかのように、すっと一歩、後ろに下がった。

「頑張れよ、次期総帥。……――ま、俺は、お前たちを取り締まる立場だけどな」

 どことなく揶揄が混じったような、いつもの軽薄な口調。警察隊員でありながら、まるきり悪党の顔で、シュアンは、にやりと口角を上げる。

「緋扇?」

「おっと、いい加減、職場に戻らねぇと」

 鷹刀一族で一、二を争う猛者であるリュイセンを前に、シュアンの背中に隙はなく――。

 不意に、風が吹き抜けた。

 爽やかさの中に、徐々に熱気をはらんできた夏の風だ。


「ミンウェイに、――――――を……頼む」


 シュアンのいる風上から流れてきた空気の中に、リュイセンは彼の呟きを聞いた。



 風が巡り、時がまわる。

 始まりの桜吹雪の舞は、薄紅から色を移し、濃緑こみどりの葉擦れが、蒼天に捧ぐ旋律を奏でる。


 新しい季節が始まろうとしていた。

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