4.菖蒲の館に挑む方策-2
執務室に、颯爽とした影がよぎった。
総帥イーレオの長子にして次期総帥、エルファン。〈
エルファンは大股に、けれど音もなく部屋の中央まで歩み出て、「遅くなりました」と優雅に長身を折り曲げた。今まで、捕まえた〈
彼の眉間には深い皺が寄っていた。日頃から氷の美貌と謳われてはいるものの、いつもにも増して近寄りがたい雰囲気である。
これからもたらされるのは、どう考えても良い報告ではないだろう。
ハオリュウが、リスクを負ってでもリュイセン救出の突破口を開くと申し出ている中、私兵たちから有益な情報を得られれば、別の妙案が浮かぶのではないかと、執務室の面々は期待していた。それだけに皆、落胆の色を隠すことはできなかった。
「ご苦労だったな」
イーレオは、ほんの少しだけ姿勢を正し、エルファンを労った。
「早速ですまんが、状況を説明してくれ」
総帥の言葉に、エルファンは深く一礼をする。
「ご存知の通り、捕まえた者は三名おりました。それぞれ別室にて話を聞いたのですが、言い分が三者三様で、どれが正しいのか判断いたしかねる、という状態です」
「ふむ。そういうことか」
「はい。ある者は、リュイセンは館の一室に監禁されていると言い、ある者は、賓客扱いで館の中を自由に歩き回っていると言いました。そして、最後のひとりは――リュイセンは死んだと」
「……なっ!?」
ルイフォンは思わず腰を浮かせた。
だが、彼が何かを口走るよりも先に、イーレオが冷静に切り返す。
「最後のは、あり得んな」
「ええ」
エルファンもまた、静かに相槌を打つ。
「どっ……、どうして、そう言い切れるんだよ!?」
「そりゃ、あり得ないからさ」
ルイフォンの叫びに、イーレオは面倒臭そうに答える。説明は、それで終わりらしい。視線をエルファンへと戻す。
「だが、明らかな嘘をついた最後の奴が、一番、詳しいことを知っていそうだな」
「そのような気もいたしますが、そもそも全員が、〈
ふたりだけで会話を続けるイーレオとエルファンに、ルイフォンは「おい!」と声を荒げる。
「どうして、リュイセンが無事だと確信できるんだ!?」
唾を飛ばすルイフォンに、イーレオは細身の眼鏡の奥から、冷ややかな眼差しを向けた。
「お前こそ、嘘の情報に踊らされてどうする? お前の持ってきた録画記録が、リュイセンの無事を証明しただろう? ――リュイセンは致命傷を負っておらず、天才医師〈
「――けどっ!」
「つまらない
「!」
低く、揺るぎない、王者の一声。その言葉に打たれたかのように、ルイフォンの猫背が伸びる。
「……そうでした。失礼しました、『総帥』」
口調を改め、
イーレオの言う通りだった。
〈
ルイフォンが引き下がったのを確認すると、エルファンが口を開いた。
「現状は、何も情報を得られなかったも同然です。しかし、もう少しお時間をいただいたところで、おそらく好転することはないでしょう。――申し訳ございません」
「いや、お前の落ち度ではない。……だが、その様子だと、私兵どもを内通者に仕立てるのは、諦めたほうがよさそうだな。思ったよりも〈
捕まえた私兵たちに、どのような処遇を与えるか。――これについては、あらかじめ相談してあった。
『リュイセンと〈
そのため、私兵たちには適度な恐怖心を与えつつも、こちらに対する反抗心を抱かせぬよう、『飴と鞭を巧みに使い分けよ』との指示が、エルファンには出されていた。
しかし、あてが外れてしまった。
リュイセンを救出し、〈
この命題の解決への糸口が、まるで見えてこない。皆が焦燥を顔に浮かべ、執務室に沈黙が訪れる……。
ルイフォンもまた、顎に手を当て、眉を寄せた。
ハオリュウの申し出を受けるのは却下だ。彼を犠牲にするくらいなら、むしろ〈
そんなことを考えていると、不意に隣でメイシアが動いた。
「すみません。よろしいでしょうか」
細く――、しかし凛とした鈴の音の声が響く。彼女の目はまっすぐにイーレオに向けられていた。
「いいぞ。言ってみろ」
「〈
メイシアがそう言って、確認を取るように瞳を巡らすと、皆は促されるように首肯した。
「では、〈
「!」
ルイフォンが鋭く息を呑む。
録画された記録では、〈
けれど、〈
「それが分かっているのなら、私は自分から〈
その発言を聞いたとき、彼女が何を言ったのか、ルイフォンには理解できなかった。
故に、ほんの刹那とはいえ、反応が遅れた。即応できなかったことが悔しく、不甲斐なく。だから彼は、必要以上の大声で叫ぶ。
「ばっ、馬鹿を言うなっ! お前とリュイセンで、人質の交換のつもりかよ!?」
腹の底からの憤りを、しかし、メイシアは当然、読んでいたのだろう。彼の言葉を待っていたかのように、「ただし!」と、叩きつけてきた。
「ルイフォンも私と一緒に行く、という条件をつけます」
「え……?」
意味が分からず、ルイフォンは戸惑う。
「正確には、私たちは『鷹刀からの使者』ということにします」
「ほう? 『鷹刀からの使者』とな。どういう意味だ?」
イーレオの低音が興味深げに問い、他の者たちのざわめきが、あとに続いた。
メイシアは、どう説明すればよいかと、わずかに思案し、やがて「まず――」と切り出す。
「〈
「……確かに、そんな感じだ」
ルイフォンが相槌を打つと、メイシアの頬が緩む。
「このことから、〈
メイシアは、同意を求めるように周りを見渡す。皆が思い思いに頷き、あるいは納得の表情を返すと、彼女は安堵の息を漏らした。
「一方、鷹刀は――というよりも、私とルイフォンは、わけも分からないままに『デヴァイン・シンフォニア
ちらりと、こちらを振り返ったメイシアに、ルイフォンは大きく頷く。
この前、ふたりで話したことだ。鷹刀一族の屋敷を出るという話は、結局うやむやだが、『デヴァイン・シンフォニア
「つまり、〈
ここでメイシアは言葉を切った。そして、一段と声を高める。
「そこで、彼に『和解』を持ちかけます」
「な……っ、何、言ってんだよ!?」
ルイフォンが、血相を変えて叫んだ。それは周りの者も同様で、あちこちから短い吐息が発せられる。
けれどメイシアは、構わずに続けた。
「〈
「〈
彼女の弁が信じられない。
「それに、お前だって……!」
彼は、ほんの少しだけ逡巡した。けれど、あえて禁忌に触れる。
「〈
その瞬間、メイシアの美しい顔が悲痛に歪んだ。
「許すことはできません!」
絹を裂くような、悲痛の声だった。
「だったら、なんで!?」
「だから、これは罠です。彼が私たちを信用し、いずれ鷹刀の屋敷まで来たときに、彼を捕らえます」
「あの〈
「真っ赤な嘘で、〈
「奴を騙せるような嘘……? そんなものが……」
〈
メイシア以外の者が同じことを言ったなら、ルイフォンは一笑に付しただろう。そのくらいあり得ない。彼女だからこそ、かろうじて半信半疑で問い返した。
「ルイフォンが〈
彼女は小さく息を吸い、意を決したように吐き出す。
「『鷹刀からの使者』を名乗った私とルイフォンが、イーレオ様の名代として『鷹刀の名誉にかけて、水に流すと誓う』と〈
場が色めきだった。
わずかながらも殺気すら感じられる皆の反応に、メイシアは表情を固くして……けれど、射抜くような視線をイーレオに向けた。
「私は鷹刀で暮らし始めて、まだほんの数ヶ月ですが、
「ああ、そうだ」
天を轟かせるようなような王者の声で、イーレオが肯定する。
その圧に怯むことなく、メイシアは受けて立つ。
「鷹刀ヘイシャオとして育った記憶を持つ〈
皆が絶句した。
「鷹刀の皆様、申し訳ございません。皆様の大切な心を踏みにじる行為だと分かっております。――けれど、『鷹刀』ではない私とルイフォンなら、この言葉を虚言として使うことができます……」
黒曜石の瞳が、凛とした輝きを放つ。
大華王国一の
「私たちなら、この言葉で〈
美しい声で、非情な
嫋やかな印象とは裏腹に、恐ろしく芯が強い。
だからこそ、彼女は……。
――戦乙女。
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