1.屈辱の敗走-2

「――ルイフォン!」

 ハオリュウが、叫ぶように発した。低くなったはずの声が裏返り、妙に甲高く響く。

「リュイセンさんが『死んだかもしれない』ということは、彼の死を確認したわけではありませんね?」

 うなだれたルイフォンの頭が、更に下へと、少しだけ動いた。

「ならば、助かっているかもしれません!」

「……」

「リュイセンさんは、誰に捕らえられたのですか? 彼の身柄がカイウォル殿下のもとにあるのなら、僕が掛け合います。どんなことをしてでも、リュイセンさんを取り戻してみせます!」

 ハオリュウが、ぐっと右手を握りしめた。指の隙間から、当主の証を示す金の指輪が鋭く光る。

 彼の手の中には、貴族シャトーアの当主の権限がある。一般の国民にとっては雲上人である摂政、カイウォルとの面会も可能ということだ。

「……そうだ。今の僕には、ちょうど良い具合に、カイウォル殿下への交渉材料があります」

 ハオリュウは、名案が浮かんだとばかりに腹黒く嗤う。

「僕に付けられたマイクとカメラで情報を得ていたルイフォンなら、ご存知でしょう? 殿下は、僕に『女王陛下の婚約者』を打診してきました。それを受けましょう。それと引き換えに、リュイセンさんの身柄を要求します」

「――っ! 駄目だ、ハオリュウ!」

 突拍子もない発言に、ルイフォンは弾かれたように叫ぶ。

「なんで、お前がそんなことを!」

「確かに、僕と鷹刀一族の関係について、あれこれ詮索されるのは望ましくありません。けれど、それでリュイセンさんの命が買えるなら安いものです」

 ハオリュウは、しれっと答える。こんなときだけ、歳相応の子供のような無邪気な笑顔だ。

「違うだろう! ……ああ、そうだよ、忘れていた……」

 自分でも、何を言っているのか分からないようなことをルイフォンは口走り、髪を掻きむしった。

「俺たちの侵入がばれた、ってことは、お前が――藤咲家が窮地に陥るかもしれない、ってことだ。――すまない、ハオリュウ……」

「いいえ、ルイフォン。そもそも、今回の作戦は僕が立てたものです。僕の考えが甘かった、というだけです」

 父親譲りの善人顔をどす黒く歪め、ハオリュウはおのれの未熟さを恥じる。

「違う、俺のミスだ! ……それに、リュイセンを捕まえた相手は、摂政の手下じゃない。〈ムスカ〉だ」

「〈ムスカ〉……ですか」

 ハオリュウは微妙な顔をした。

 摂政と〈ムスカ〉の間の雰囲気は、研究室を往復した、わずかな時間でしか知らない。それでも、必ずしも友好な主従関係ではないように感じられた。摂政を通して〈ムスカ〉に圧力を掛けるのは、難しいかもしれなかった。

「ともかく、詳しい状況を教えて下さい。僕が必ず、力になります」

 ハオリュウが、ぐいと身を乗り出す。

 けれど、うつむいたままのルイフォンは、小さく首を振るだけ。背中からこぼれた金の鈴も、鈍い光すら放たない。いつもの不敵に笑うルイフォンの姿は、そこにはなかった。

「ルイフォン!」

 彼の衝撃は計り知れない。冷静になれというほうが無茶だろう。

 だが、今は一刻も早く、リュイセン救出のために動き出すべきだと、ハオリュウは思った。そのためになら全力を尽くすはらが、彼にはあるのだ。

 ハオリュウは更に詰め寄る。そこに「ハオリュウ」とシュアンの声が掛かった。

「予定が押しているぞ。このあと、藤咲の家でなんかあるんだろう?」

「え?」

 そんなものはない、と答えようとしたハオリュウの口を、シュアンの有無を言わせぬ三白眼が封じる。

「……っ」

 よく勘違いされるが、ハオリュウとシュアンは主従ではない。共に〈ムスカ〉に復讐を誓う同志であり、年齢は大きく違うが友人だ。

 そして、一癖も二癖もあるものの、信頼も尊敬もできる、身近な年長者。――少なくともハオリュウはそう思っている。

 すなわち、今まで黙って見守っていたシュアンが口を挟むのなら、ここが引き際だった。

「――っと、そうでした」

 ハオリュウは身を正し、ルイフォンに軽く頭を下げる。

 ルイフォンは……。

 ――当然、ハオリュウとシュアンの暗黙のやり取りに気づいていた。

 彼は癖のある前髪をぐしゃぐしゃと掻き上げる。

 自分は今、何をすべきなのか。――動かぬ頭を必死に回し、この先の道筋を紡ぎ出す。

「シュアン、俺を鷹刀に……ああ、ハオリュウの車で昼間っから凶賊ダリジィンの屋敷に行くわけにはいかねぇか。……じゃあ、朝、出発したときと同じ、草薙家――レイウェンのところだ。あそこまで送ってほしい。今から鷹刀の屋敷に連絡……報告をして、草薙家まで迎えに来てもらう」

 ルイフォンのテノールはかすれていたが、言葉は、はっきりとしていた。

「おい、俺はタクシーかよ」

 悪態をつきながらも、後部座席に身を乗り出す形で話をしていたシュアンは運転席に戻り、シートベルトを締める。

 バックミラーに映ったシュアンの悪相は相変わらずであったが、特徴的な三白眼は、彼に似合わぬほど優しげに細められていた。

「何かあれば連絡を寄越せ。俺も、ハオリュウも協力は惜しまない」

「シュアン……、ありがとう」



 洒落た門扉を通り抜け、緩やかな勾配のアプローチをルイフォンが登っていく。金の鈴を光らせた背中が小さくなっていくのを車窓から見送り、ハオリュウは溜め息をついた。

 先ほどルイフォンは、作戦の失敗と、リュイセンの生死が不明であることを、鷹刀一族の屋敷に電話で報告した。

 その様子をじっと見つめていたハオリュウの顔は、よほど深刻な表情になっていたのだろう。

『心配するな、ハオリュウ。親父は、ただ『戻ってこい』ってさ』

 ルイフォンはそう言って――笑った。明らかに、無理な笑いだった。

 そのあと、彼はずっと無言だった。

「すまんな、ハオリュウ」

 運転席のシュアンが振り返る。

 ぼさぼさ頭はとっくに復活していた。加えて、薄い色の眼鏡を外し、せっかくの正装もだらしなく着崩した彼は、すっかりいつものシュアンだった。

「いえ。――けど、確かに僕は、出過ぎた真似をしていたかもしれませんが、やはり使える貴族シャトーアの権限は、最大限に利用すべきだと思います」

「まぁな。……けどよ。今、あいつが一番、顔を合わせたくない相手が、あんたなのさ」

 シュアンは『あいつ』のところで、窓の外に向かって顎をしゃくった。

 ハオリュウは釈然としない顔でシュアンを見つめ返す。わずかに膨らんだ頬が、ほんの少しだけ幼さを醸し出していた。

「『何故』と、お尋ねしてもよろしいですか? 作戦を立てた僕には、リュイセンさんを助ける義務があると思うのですが」

「それは正論かもしれないけどよ。……割り切れない感情ってのがあるのさ」

 シュアンは、どう言ったものかと思案するように、三白眼をぐるりと巡らせる。

「あんたの言う通り、あの作戦はあんたが立てた。俺たち全員、行き詰まっていたところに、あんたが突破口を開いてくれた。――そんな、皆の期待を背負った作戦を、あいつは失敗した。それだけでも立場がないのに、あんたが尻拭いまでしてくれると言う」

「シュアン、お言葉ですが『尻拭い』なんかではありません。僕は、ただ――」

「まぁ、聞けよ。……あいつにとってな、あんたは事実上の義理の弟だ。あいつより年下で、あいつにしてみりゃ、自分が庇護したい相手なんだよ。なのに、あんたの手を煩わせてばかり、ってのは格好つかねぇのさ」

「今はそんなことを言っている場合では……!」

「ああ、あんたにしてみりゃ、理不尽なだけだろう。だが、そういうもんさ」

 滅茶苦茶な理論で、押し切られた気がする。

 納得できないハオリュウは反論の言葉を探すが、見つけられないうちにシュアンが続けた。

「ほんの少しでいいから、放っておいてやれ。今、あんたに『力になる』と叫ばれると、あいつは余計に惨めになるだけだ。……分かってやれよ。あんた、いずれ、もっと上に立つ人間になるんだからさ」

「……!?」

「任務に失敗した奴――とりわけ、誰かを犠牲にして、自分は無事にその場から脱することができた奴、ってのは、どうしようもなく自分を責めるものなのさ」

 ふと。ただでさえ青白く不健康なシュアンの顔から、血の気が失せたように感じられた。――聞いてはいけなかったことなのだと、ハオリュウは察する。

 だから、気づかなかったふりをして、強引にもとの話題に流れを戻した。

「でも、リュイセンさんの命が賭かっているんですよ!?」

 強めの口調は、少しわざとらしかったかもしれない。けれど、発言内容は本心だ。

「落ち着け、ハオリュウ。あんたが慌てたところで、重傷を負ったリュイセンが助かるわけじゃない。あんたの持つカードが役に立つのは、リュイセンが助かったあと。交渉やら、駆け引きやらの段階になってからだ」

「……っ! 確かに、そうですが……」

「現段階において、リュイセンの死を望んでいる奴なんて、ひとりもいねぇんだよ。……あの〈ムスカ〉ですら、だ」

 シュアンは、自分の頬をしきりに撫でつけながら、そう言った。貴族シャトーアの介助者に化けるにあたり、美容の専門家によって綺麗に髭を当たられたのが落ち着かないらしい。その結果、少々、間の抜けた顔になりながらも険しい表情を作る、という器用なことをしていた。

「どういう……ことですか!?」

「俺は、〈ムスカ〉の〈影〉を知っている。奴の性格は破綻しているが、狡猾で頭の良い奴だ。……奴は、理由は分からねぇが、あんたの姉さん――藤咲メイシアの身柄を欲しがっている。だったら、取り引きに使えそうなリュイセンには、生きていてほしいはずだ」

「――姉様……!」

 ハオリュウの顔色が変わった。

『死者』にするまでして、貴族シャトーアの世界から送り出したというのに、どうして運命というやつは、どこまでも彼の大切な異母姉を翻弄するのだろう。

 そう考えて、ハオリュウは首を振った。

 違う。異母姉は『運命』なんかには振り回されていない。

 もっと、人為的なもの――『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』だ。

「〈ムスカ〉は、死者を生き返らせる方法まで編み出した、最高の技術を持つ、最低の医者だ。たとえリュイセンが死んだって、生き返らせるさ」

 吐き捨てるように言うシュアンに、ハオリュウは押し黙った。そんな事態は想像したくないが、シュアンの弁を否定できるだけの理屈を知らなかったのだ。

「祈るしかなねぇな」

「そうですね……」

 リュイセンの無事を祈る。

 しかし、あの研究室で会った『ライシェン』の姿を思い浮かべると、ハオリュウの心には暗雲が立ち込めるのだった――。

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