2.権謀の館
「もうすぐ、庭園の門が見えます。ここから先は会話を控えましょう。あとは、計画通りにお願いします。……お気をつけて」
車の後部座席に座ったハオリュウが、険しくも力強い声でそう言った。いよいよだという意気込みが伝わってくる。
「任せろ。お前も、気をつけろよ」
ルイフォンは、座席の下に作られた隠し空間から、くぐもった声で答えた。
こちらも気合い充分なのだが、狭い場所であるため音が籠もった。文句を言うつもりはないが、大柄なリュイセンと密着せざるを得ない、窮屈な状態である。蒸し暑くないようにと、しっかり効かせてくれた空調がありがたかった。
道すがら、目印があるごとにハオリュウが位置を教えてくれていたので、そろそろだとは思っていた。それでも、はっきり告げられると、さすがに鼓動が早まる。
その気配を察したのだろう。リュイセンが「やっとだな」と頼もしげに囁いた。鷹刀一族特有の、低く魅惑的な声がいつもよりも穏やかに響き、安心感を
「ああ、そうだな」
多少の虚勢が混ざりつつも、ルイフォンは口角を上げ、好戦的に笑った。
ほどなくして、車は音もなく停車した。
ハオリュウと門衛と思しき者の声が、幾つかのやり取りを交わしたあと、門扉の開く音がして車が再び動き出す。
数週間もの間、門を抜ける方法を模索していたのが嘘のように、車はあっけなく庭園内への潜入を果たした。
舗装された道のせいか、緋扇シュアンの運転が意外にうまいのか。傾斜の重力を感じつつも、たいした揺れを感じることなく、車は滑らかに走っていった。
やがて、緩やかにブレーキが掛かる。ルイフォンたちからは見えないが、館の正面玄関に着いたのだろう。ここからが緊張の時間だった。
そして。
残された車は、エンジンはそのままに摂政側の人間に鍵を預け、車庫に移してもらうことになっているのだ。そのとき、ルイフォンたちが隠れていることがばれたら、ハオリュウ共々、絶体絶命に陥る――。
「……」
ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。
前方の扉が開き、シュアンが出ていく気配。トランクが開けられ、車椅子が降ろされる振動。後部ドアから、ハオリュウが出ていく物音……。
車の外に、複数の人間がいるのを感じた。歓迎の言葉と共に、彼らはハオリュウを案内しながら消えていく。
残った気配は、ひとつ。
車が揺れ、運転席に人が乗り込んだのが分かった。シュアンよりも手荒な運転で、車が動き出す。
ルイフォンとリュイセンは、じっと息を潜めた。
あらかじめ入手しておいた庭園の見取り図によれば、車庫は館の半地下だ。使用人たちの出入り口を兼ねた造りで、そこから直接、建物内に入れる。この館は、もともと過去の王が療養するために作らせたものであるから、食材を始めとする物資を車で運び込みやすいようにできていた。
時間にして、ほんの数分。これを乗り切れば、ひと安心なのだが、ふたりにとっては永遠にも近い長さだった。
――――……。
運転していた人物の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。周りの気配を探っていたリュイセンが、指先でちょいちょいとルイフォンをつつく。車庫には誰もいない、ということだ。
ルイフォンは、安堵の息をついた。
座席下の隠し空間から這い出し、運転席の影に身を潜めながら携帯端末を操作する。まずは車庫の監視カメラをダミー映像に切り替えるのだ。前もって準備してあったので、半地下の薄明かりの中でも作業に支障はなかった。
「リュイセン、車から出るぞ」
狭い空間からの解放感を味わっている暇もなく、すぐに移動だ。
カメラを無効化しても、直接、誰かに出くわしてしまったら元も子もない。車庫で見つかれば、間違いなくハオリュウとの関係を疑われるだろう。一刻も早く、この場を離れる必要があった。異母弟を心配しているメイシアのためにも、ハオリュウに害が及ぶことは絶対に避けねばならぬのだ。
出発前、メイシアはいっさいの不安を口にしなかった。
ただ彼のそばに寄り添い、彼と目が合うと澄んだ眼差しで微笑んでくれた。それから、ほんの少しだけ彼の肩に頭を預け、そっと指先を絡める。
そして、柔らかに告げるのだ。
『信じているから』――と。
以前、彼女の父親を救出するために、ルイフォンは斑目一族の別荘に潜入した。あのときの彼女は、今にも泣き出しそうな顔で彼を見送った。後ろ髪を引かれる思いで屋敷をあとにしたのだが、現在の彼女は違う。
彼女が、心細くないわけがない。本当は彼だって、失敗を恐れている。
でも、彼女が笑ってくれるから、彼も強気で笑い返せる――。
「メイシアのことを思い出していたか?」
不意に、リュイセンの声が響いた。
「え?」
「顔が、だらしないぞ」
「……すまん」
ルイフォンは、自分の顔をぴしりと叩いて引き締める。
「まぁ、緊張で張り詰めているよりはいいさ。今日は、長丁場だからな」
苦笑混じりに、そんな言葉が漏らされた。リュイセンこそ焦れる気持ちでいっぱいだろうに、泰然といえる笑みだった。
リュイセンは変わったな、とルイフォンは思う。どこが、というほどには大きな変化ではないが、雰囲気に余裕ができた気がする。
「そうだな。今日は、長い」
ルイフォンもまた、大きく構えることにする。
夜まで待ってからの、作戦開始だ。
寝込みを襲う形で、ほぼ一撃で〈
ルイフォンとリュイセンは、速やかに車を降りた。
不用意に車のロックを解除して、セキュリティアラームを鳴らしてしまう、などというヘマはしない。そんなものは事前に対策済みだ。
ルイフォンがスペアキーで再び車を施錠している間に、リュイセンは車庫と館内部を隔てる扉に耳を当て、向こうの廊下の気配を探る。
〈
私兵たちが煩わしいのか、〈
〈
どうやら、〈
ともかく、昼間は私兵も〈
近衛隊に守られた庭園内であるためか、〈
だから、〈
しかし、その前に――。
「まずは、ハオリュウだな」
ルイフォンが呟いたとき、リュイセンが手招きをしてきた。
「ルイフォン、大丈夫だ。このあたりに人はいない」
想像していた通り、館内は恐ろしく閑散としているようだ。
療養用の小ぢんまりとした館とはいえ、もと国王が使っていたほどの建物に、一個人の〈
「よし、行くぞ!」
ふたりは意気揚々と車庫を出て、そのまま待機場所の倉庫に……は、行かなかった。彼らが向かったのは、車庫の近くの空き部屋だ。
最終的な目的地は倉庫だが、館の端にある車庫からは遠いのだ。
それで、とりあえず近場の安全な場所に落ち着き、まずはカメラでハオリュウの現状を確認する。摂政カイウォルは、明らかに胡散臭い。メイシアに限らず、ルイフォンだって心配なのだ。
それに、この寄り道は無駄でもない。倉庫までの長い移動中、誰かに遭遇しないとも限らない。〈
ルイフォンは空き部屋の前に立つと、懐から一枚のカードを出した。偽造カードキー――それも、すべての扉を開けられる特別仕様である。
この館の部屋という部屋は、すべて電子式の鍵が使われていた。すなわち、ルイフォンの前には、扉など存在しないも同然。さっと解錠して、中へと入る。
「場合によったら、ハオリュウを援護してやらないとな」
猫のような目を細め、ルイフォンはにやりと不敵に笑う。
「おいおい、何を企んでいるんだ?」
ルイフォンに続いて空き部屋に入ってきたリュイセンが、軽く突っ込む。
「ユイランに頼んで、ハオリュウの服のボタンに、マイクとカメラを仕込ませてもらった。他にもいろいろ小細工したし、監視カメラで追えない場所に行っても、あいつを見守れる。ついでに、この館の見取り図も完璧なものになる」
「ハオリュウは動く情報端末かよ」
「そんなところだ。――万が一、あいつに危険が迫ったら、この館を停電させる。それから、配線をいじれば
「まったく、お前は頼もしい
リュイセンがそう言って苦笑すると、ルイフォンは、ほんの少しだけ真顔になって、やがて喉でも鳴らしそうなほどにご機嫌な顔になった。ハオリュウが『
「ああ、可愛い
ルイフォンは、にやけながら埃まみれの床に座り込み、携帯端末を操作してハオリュウに仕掛けたカメラの映像を出す。
その瞬間、ルイフォンは息を呑み、目を見開いた。
ルイフォンの異変を不審に思ったリュイセンも端末を覗き込み、声を失う。
ハオリュウの目の前に、〈
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