Intermission2

「カムパネルラ2」

 汽車は走り続けていた。

 僕らを乗せて。

 恐らく、終着駅へと向かって。


 あの後、少女は別れ際に「記念に」とブリキのロボットをくれた。

 今、それは向かいの席で、窓の外を見つめるアカリの膝の上にある。

 あの丘からの帰り道は、ドラゴンに会うことも、幼い『あいつ』とアカリに会うことも無く、無事に汽車まで戻ってこれた。ただ、あの大男も、ホームにごった返していた顔の見えない巨大な生き物のような人の群れも、居なくなっていた。



「カガミ」

 ふいにアカリに名前を呼ばれた。

「なに?」

「そう言えば、このロボットにも何か意味があるのかしら?」

「どうだろう……」

 そう言って、アカリの手からロボットを受け取る。

 なんとなく見覚えはある。恐らく『あいつ』の記憶の欠片なのかもしれない。

「多分、『あいつ』の物だったんじゃないかな。そんな気がする」

「それじゃあ、死ぬ前の私とも会ったことあるのかもね。その子」

 アカリの中では、自分があの浜辺で死んだことが確定しているらしかった。

 複雑な気持ちになる。

「……アカリ。まだ死んだって決まったわけじゃないよ」

「……。」

 アカリはロボットから顔を反らすと、また窓の外に視線をやってしまった。

 ため息をついて、僕も窓の外を見た。

 あの月は、満月から上弦の月へ、そして更に三日月へ。僕らが進むごとに、まるで巻き戻しのように変化していた。今は朔になったのか、また窓の外は真っ暗で、何も見えない。

 ガラスがまるで鏡のようになって、僕の顔を写していた。

 アカリが旅の道連れに望んだその少年は、旅の終わりを前にして随分と落ち着いた顔をしている。

 まだ僕は、アカリが生きていることに賭けていた。

 アカリはこの後、カムパネルラの持つフィルムを受け取らなければならない。

 あの小さな車掌さんは言っていた。記憶は必ず一度、受け止めなければならない、と。

 それは、これから生きるために、過去を受け止めなければならない、という事なのではないだろうか。

 アカリはあのフィルムに写っている記憶に喰われて、一度、自分のレンズを閉じてしまった。でもこの世界は、映写機が映し出している映画のようなもので、アカリがレンズを閉じた状態でも、汽車も、窓の外も、なにより僕自身も存在したままだった。

 この場所は恐らく、アカリのフィルムによって映しだされている。でもそのレンズが閉じていても、存在し続けた。

 でも、あの時の記憶はアカリには無い。

 レンズは世界を観る時には、開いていなければならないのだ。

 それは、アカリがこの旅が終わった後、また生きて世界を観るために。……もう記憶に喰われてレンズを閉じてしまうことの無いように、その目的の為に、カムパネルラがあのフィルムを預かって、そして、この旅があったんじゃないだろうか。


 

「ねえ、カガミ。気づいた? 最初からあったあの灯りが無くなってる」

「本当だ」

 窓の外の暗闇には、もう一つの光も無かった。

 試しに窓を開けて。手を出してみる。

 その手は、ただ、空を掴むばかりだった。

 ふと、思い立って汽車の進行方向に視線を向けてみる。

「……アカリ、あったよ」

 僕のその言葉につられてアカリも窓から顔を出した。

 二人の視線の先には、ずっと僕らの物語の観客だった、あのオレンジの淡い光があった。

「……とうとう、着くのね」

「うん。あれがきっと終着駅だ」

 その光の集まりは次第に大きくなり、やがて闇の中からその輪郭が浮かんできた。

 観覧車……ジェットコースター……メリーゴーランド。

 僕らの旅の終着駅は、あの草原の向こうにあった古い遊園地の形をしていた。



 ゆっくりと汽車がホームに滑りこむ。

 ホームの向こう側には、駅の改札口にも遊園地の入場口にも見える建物があった。

 そして、その手前にはカムパネルラが立っていた。

「お待ちしておりました」

 汽車から降りる僕らを迎えて、帽子と銀色の髪の下で、にっこりと笑う。

「アカリさんは……はじめまして、ですね」

「そうね……。はじめまして。貴女がカムパネルラ?」

「はい。よろしくお願いします」

 カムパネルラが丁寧に頭を下げる。

 それにつられて、アカリも「ご丁寧にどうも」と頭を下げた。

 何だか、緊張感の無い絵面だった。

 カムパネルラは顔を上げると、今度は僕の方をみて微笑んだ。

「カガミさん……なんだか久しぶりですね」

「そうだね。……本当に久しぶりだ」

「……もう、大丈夫ですか?」

「あと、少しだけ、待ってて」

 僕は大きく息を吸うと、アカリの手をとった。

 やっぱり、言っておかないと。そう思った。

「どうしたの、カガミ?」

 きょとんとした顔でアカリが僕のことを見ている。

 それから、アカリは何か思い立ったのか、優しく笑った。

「……大丈夫だよ、私は」

「アカリ」

 もう一度、息を吸う。

 そして。

「言えなかったことを、言うよ。アカリは、もう一枚、フィルムを手に入れている。一番、最初に。でも、そのフィルムを持ったアカリは心を閉ざしてしまった。砂浜で、目を覚ましたのは、そういう理由だったんだ。今、そのフィルムはカムパネルラが持っている。恐らく、そのフィルムには、アカリにとって、一番辛い記憶が写ってる。これから、その記憶を受け止めなきゃ、ならないんだ」

 話している間、アカリはじっと僕の目を見ていた。

 ふいに、その口元が緩む。そして「なーんだ」と笑った。

「カガミ。自分が死んでいるかもしれない。ずっと居なくなった少年を想い続けて、自分の世界に籠っていたかもしれない。……でも、今私は笑っているでしょう? なんでか分かる? もう、どんなフィルムを見せられても、カガミが居るなら、平気よ」

 そして、繋いでいた僕の手を、ぎゅっと自分の方に引き寄せた。

 思わずバランスを崩して、アカリの方へとたたらを踏む。

 気づけば、アカリは両手で僕のシャツを掴んで、胸に顔を押し付けていた。

 顔のすぐ下で、くぐもった声が聞こえた。

「……私なんて、死んじゃってれば、良いのに」

 その華奢な身体を、僕は抱きしめることが出来なかった。

「……それは、僕が、嫌だ」

「……分かってる」

 アカリはパッと僕から離れると、カムパネルラの方へと向き直った。

「もう、大丈夫。何があったとしても、受け止められる」

 カムパネルラが帽子のつばを掴んで、位置を直す。

 そして真面目な表情で、僕らを見た。

「分かりました。それじゃあ、行きましょう。……中に、おあつらえむきの場所がありますから」



 カムパネルラに連れられて改札を抜けると、レンガ敷の広場があった。その先には小さな川があって、小さな橋がかかっている。その橋の向こうに、遊園地の門があった。

「……。」

「……。」

「……。」

 その橋を渡っている間、誰も一言も喋らなかった。アカリは僕の手をずっと握っていた。

 コツコツと、三人分の足音だけが響く。

 ふと、橋の下に目をやると、川の畔に、小さな玩具のような家が置いてあった。赤い屋根に白い壁。目を前にやると、遊園地の門もレンガで造られていて、そのアーチの中ではランプが光っていた。

 僕らの足は止まらない。

 それらを通り抜けて、古い遊園地の中へと、足を踏み入れた。



 遊園地の中は光に溢れていた。

 それは目の眩むような硬い光ではなくて、所々に立っている外灯や、メリーゴーランドや、サーカスのテントから漏れてくる、淡いオレンジ色の光だった。その光達が、何時の間にか月が居なくなり、代わりに沢山の星で埋め尽くされている夜空をじりじりと焦がしていた。

 カムパネルラの真っ黒な外套がその中で、歩みに合わせてひらひらと舞っている。

 耳をすましても、これだけ賑やかな光景なのに音楽も、歓声も、聞こえてこなかった。

 何処か不釣り合いな、僕らの足音と、息遣いだけが、この光の中で聞こえた。

 ふいに、アカリと繋いでいない方の手に違和感を感じた。

 そこには、アカリが持っていたはずのブリキのロボットが握られていた。そのどこか愛嬌のある顔が、周りの光に照らされてまるで「ぼくも連れて行ってよ」と言っている気がした。

 わかった、と心の中で返事をした。



 ちょうど半分ほど遊園地を進んだ辺りに、目的の場所はあった。

 そこは古い映画館だった。

 ただ、他のものが淡々と光を放っている中、その映画館からは何の光も漏れていなかった。

 自らは光を出さずに、辺りからの光に頼って、輪郭を浮かび上がらせていた。

 カムパネルラが両開きのちょっとだけ豪華な造りの扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

「ぼくは映写室に行きます。カガミさん、アカリさん、フィルムをいただけますか?」

 そっと差し出された、白い手袋で覆われた小さな手に、僕らはそれぞれフィルムを置いた。

「これだけしかないけど、いいの?」

 アカリがどこか名残惜しそうに呟いた。

「大丈夫です。大事なのは……一番、伝えたいシーンというものは、そう何度もあるものではないですから」

 受け取ったフィルムを両手で大事そうに抱えながら、カムパネルラは笑う。そして、その中から一枚のフィルムを見つけると、それだけ僕に返してきた。

 それは、葉っぱだった、真っ白のフィルムだった。

「これは……カガミさんが持っていて下さい」

「……わかった」

 そのフィルムを受け取る時、何かが落ちる音がした。ブリキのロボットだった。

 それを見て、カムパネルラが目を見開く。

「……その子も、来ていたんですね」

「知ってるの?」

「はい……。よく、よく知っています」

「そう、それじゃ、これは貴女が持っているべきなのかもね」

 アカリはロボットを拾い上げると、カムパネルラに差し出した。ところが、その白い手袋の手は、ゆっくりとそれを押し返した。

 そして、おずおずと言う。

「もし……アカリさんがよろしければ……。嫌じゃなければ、なんですけど。その子は二人が連れて行ってあげてくれませんか?」

 その顔はどこか、泣きそうな顔だった。

 暫くの間、アカリとカムパネルラがじっと見つめ合う。

 ……やがて、アカリがふっと笑った。

「嫌なわけ、ないでしょ。わかった。私達が連れて行くわね」

「ありがとうございます」

 どこか安心したように、カムパネルラが笑った。



 「☓番スクリーン」と書かれたドアを開けると、その室内だけ薄っすらと明かりが灯っていた。番号の所は、掠れていてもう読めなかった。

 そこはまるで劇場のような場所だった。室内前方の舞台のような段差の上に、巨大な所々黄ばんでいるスクリーンが掲げられていて、その前から段々になって並ぶ客席も簡単な物ではなく、年季は入っているけれど、しっかりとした造りの物だった。どことなく、汽車の中の座席にも似ている。

 その座席の真ん中辺り。一番の特等席を選んで、僕とアカリは座った。

「なんだか、デートみたいね」

 横から、アカリが茶化してくる。

「ポップコーンを買い忘れたよ。後、飲み物も」

「途中でトイレに行きたくなったら、どうするのよ。後、食べ物の音は私、嫌だなあ」

「……覚えておきます」

「そうよ。覚えておいて。そして……また二人で映画を見に行こう。喧嘩しないように、それぞれ見たいものを、一本ずつ。私はなんかファンタジーで冒険する奴ね」

「それじゃあ、僕は歴史物が良いなあ……。それか、外国の子供達が旅するような奴」

「それだったら、後の方が良いなあ。……ねえ、カガミ」

「うん? なあに?」

 アカリはじっとスクリーンを見つめていた。

 そして手をぎゅっと握ってくる。

「約束よ」

 その言葉が合図だったように、場内に上映前のブザー音が鳴り響いた。

 ゆっくりと照明が落ちていって、僕らはそのまま暗闇に包まれる。

「……うん。約束だ」

 やがて、スクリーンに光が灯された。

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