榊 ~魔王と友の物語~
鶴屋
第1話 決闘
正眼に刀を構え、京四郎は果し合いに臨んでいた。
売られた喧嘩だ。
多くの人質をとられており、負けても逃げても殺される。
だから受けざるを得なかった。
敵と相対した瞬間――
『死ぬ……な』
彼は悟った。
月は新月。時は夜。
視界は暗闇に覆われている。
闇に包まれた京四郎の目に、相手の姿は見えていない。
見えずとも、その姿を彼は感じていた。
死を前に、感覚が極限まで研ぎ澄まされている。
敵の身体から、闘気が静かに立ち上る。
相手は身軽な装束姿。防具らしきものはつけていない。
身長は百五十六センチ。引き締まった細身の身体。胸周りがわずかに膨らんでいた。
女だ。
その女は、両手にだらりと小太刀を引っさげていた。
風が吹いている。
ぬかるんだ粘土質の地肌に、背の低い草が生えていた。
『シエルファ』
『?』
『ミストレス・マッセ・シエルファ』
女が名乗った。
意外にハスキーな声。
いや。それは声ではない。音ではなかった。
思念とでも呼ぶべきものであった。
『榊京四郎』
口を開かず、京四郎も応える。
『承った』
シエルファが小さく頷く。微笑を帯びた、柔らかな声音と共に。
『何がおかしい?』
『貴様が強いからだ。私が知る人間の中では二番目に強い』
『一番目は?』
『師だ。神崎恵那という』
『実在の人物だったのか』
『元は天使であった。それが堕天し最後には人間となった。我ら天使にも神埼流が広まっているのはその為よ』
『ふん。強そうな奴を探しては喧嘩を売るのが神埼流のやり口か』
『私個人の一存だ。流派は関係ない』
『自分の行動が流派の名を貶めている事がわからんのか?』
『ふ、ふ、ふ』
京四郎の嘲りに、
『それが遺言でよいのか?』
女は冷笑で返す。
身体を貫く殺意がいやまして彼は反射的に身をすくめ、その時、脳裏にある女の顔が浮かんだ。
『どうした?』
『呆れただけだ』
『死ぬのが怖いか?』
『死ぬのはお前だ』
『今、頭に浮かべた娘』
心を読まれた。
『恋人か?』
問いながら女は、またも嘲るような笑みを浮かべる。
『違う』
『ふ。なるほど確かに、恋人というには少し若いな。妹か、それとも娘か?』
さらに心を読まれた。
『何にせよ私に勝てねば、その娘らもろとも死ぬことになるがな。そうだ。お前が逃げても死ぬ事に代わりはない』
『お前は一生、人間の気持ちを分からんのだろうな』
『天使が人心を知ってどうする?』
『外道が』
この会話。
名乗りあってから罵るまで、実時間では〇・一秒と経っていない。
そしてこの思念の応酬も、彼の罵倒と共に断ち切られた。
「ふっ!」
シエルファが地を蹴る。突風が京四郎の頬を凪いだ。
人間に出せる速度ではない。
わずか一歩で、三十メートル以上あった間合いが半分までに狭まっていた。
彼女の構えは、二刀の小太刀を駆使した連撃の構え。
対して、京四郎はほとんど脚を動かさぬ。
代わりに腰をわずかに落とし、正眼に置いていた刀を己の側面へつけた。
抜刀状態からの、横一文字の構え。
武器と体躯。
小太刀と刀。腕の長さ。
射程距離は、わずかに京四郎(じぶん)が勝っている。
速さでは天使であるシエルファには勝てぬ。ゆえに迅さ――間合いと瞬発力にて迎え撃つ。
先の先をとることを、彼は選択した。
シエルファが、二歩目を踏む。
京四郎の第六感が、次の半歩先のタイミングを読む。
シエルファの身体が、京四郎の刃圏に入った。
「はっ」
刀を振る京四郎の身体が、シエルファの刃圏に入った。
「ぜっ!」
二刀と一刀が交錯する。
血が舞った。
技量、装備、戦術、経験値、身体能力。
総合的に勘案したとき、今現在の両者に差はほとんどない。
しかしこの接触で、一方は深く傷つき、もう一方は全く傷を負っておらぬ。
それは、斬ることに徹した者と。
恐怖に竦み、徹しきれず、回避を選んだ者の差。
死に対する心構えが、結果を分けていた。
腕が身体から切り離され、廻々(くるくる)と宙を舞う。
どちらもそれに、目もくれぬ。
どちらも未だ、死んではいないからだ。
肉体も、瞳の輝きも。
心構えの差はあれど、互いに死の覚悟あっての戦いだった。
ゆえに殺さねば殺される。
「ぬぅっ」
「はっ!」
打ち太刀と受け太刀。互いに命を乗せた剣閃が噛み合い、火花を散らした。
これより、数十分の後。
京四郎の首は胴から離れ、地面に落ちた。
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