ショートショート7 天まで届け

 ある日、突然鳴けなくなった。まるで声帯が錆び付いたかのようだった。

 鳴けないというのは致命的だ。仲間に合図を送ることも、敵から身を守ることも、惚れた雌に求愛することもできない。

 周りの仲間は何の苦労もなく、高らかに鳴く。奏でられる一小節はとても優美だ。それを聴くたびに、声を失った自分が惨めに思えた。

 何度も鳴こうとした。体内の力を全て振り絞るつもりで、鳴らない喉を懸命に震わせた。だが、出てきたのは空っぽの空気だけだった。

 声を失った自分なんて、生きていたって意味がないのではないか。いつとはなく、そう思うようになった。

 声は他者と通じ合うためのものだ。それがなければ自分の意思を伝えられず、相手の気持ちを尋ねることもできない。コミュニケーションを取れないまま、どうやって生きていけばいいのか。その先にあるのは、孤独しかないだろう。

 ああ、いっそのこと自分で自分の生を終わらせてしまおうか。無様な生き恥を晒し続けるのは無用な生き地獄だ。

 そんな願望が頭をよぎるが、実行に移すことはなかった。どれだけ終わりを求めていても、やはり生きたいと思うのだ。苦しいとは分かっていても、耐えるしかなかった。


 上を見上げれば、果てしなく広がる青空がこちらを見下ろしていた。お前は本当に小さいな、と嘲られているかのようだ。不思議と怒りは感じなかった。

 呆けたように、ただ空を眺めているうちに、周りの仲間はいなくなっていた。後に残されたのは、サラサラと鳴る葉擦れの音と、ちっぽけな自分だけだった。

 心地よい静寂が山中を包み込む。それに身も心も委ねたい欲求に駆られる。風に流されて、どこか遠くへ行けるのなら、今よりは救われるだろう  


 ザッ、ザッ、ザッ。土を踏む音が聞こえる。

「いやぁ、山の空気は美味いな! 清々しくていい気分だ」

 やけに張り上げた声が響いた。どうやら人間が山に入ってきたらしい。下を見ると、二人組の男が私のいる木のそばで立ち止まっている。音のないため息がこぼれる。

「うん? あそこの木に鳥が留まっているな」

「ほんとだ! あれはウグイスじゃないか?」

 見つかってしまった。見つかってしまったが最後、必ず私たちウグイスが鳴く声を期待されてしまう。本当に迷惑だ。

「こいつは運がいいな。せっかくだし、『ホーホケキョ』を聴いていこうじゃないか」

「そうだな! ウグイスは日本人の風流だしな!」

 まずい。面倒な状況になってきた。このままでは、この人間たちは私が鳴くまで帰らないだろう。

 私は鳴けないのだ。どれだけ声を取り戻そうと努力してきたことか。これ以上私を追いつめないでくれ。

 嫌ならば逃げればいいのは分かっている。だが、どうしても翼を羽ばたかせる気にはなれない。お願いだから、さっさと飽きてこの場から立ち去ってはくれないか。無論、私の声など届くはずもない。

「あれ? あいつ鳴かないな」

「機嫌でも悪いんじゃないか。俺ら余所者がお邪魔しちゃってるから」

 その見事な洞察力に感服いたした。だから帰ってくれ。

 私の中に募るのは、苛立ちか、それとも焦りか。どちらにせよ、私にはどうすることもできない。


「おーい、頑張れよぉ!」

 冷や水を浴びせられたかのように、その言葉が飛び出した。

「邪魔しちまって悪かったよ。俺らみたいなのに山をうろつかれたらお前もいい気はしないだろうしな。でも、俺らはお前の鳴き声が好きなんだ。それがなきゃ、春が来たって気がしないほどにな。無理にとは言わねぇ。ただ、いつかお前の元気な声を聴かせてくれよな!」

 そんな言葉を投げかけられるだなんて、思いもしなかった。

「なにウグイスに話しかけてんだ。鳴いてくれないなら仕方がない。もう少し上の方まで登ろうぜ。雄大な景色を肴に一杯やろうや」

「おう、そうだったな! じゃ、またな」

 もう一度、鳴きたい。

 本当に自分の声を求めてくれる者のために。

 喉を震わせる。依然として声は出ない。そんなことは分かっていた。それでも、やらずにはいられない。

 青空がこちらを見ている。憐れに足掻く鳥に、何を思うのだろうか。なんとでも思っているがいい。

 全身の力を振り絞る。翼をはためかせる。視線の先には、パステルカラーの青色  


『ホー、ホケキョ』


 どこか間の抜けた声が天高く飛んでいった。

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