フラグメンツ
杜乃日熊
フラグメント1
雨
「今日も雨か……」
連日降り続く雨の滴る音を聞いて、僕は鬱々とした気持ちになる。
ふと、何気なく窓から外の景色を眺める。灰色の雲が広がり、町中に雫を垂れ落としている。僕はそんな濡れた町を眺めつつ、あの日のことを静かに振り返っていた。
あの日も雨が降っていた。彼女があんなに怒ったのは初めて見た。
きっかけは、ほんの些細なものだったと思う。ちょっとした苛立ちから、口論を重ねる内に抱えきれないほどの激怒へと変化してしまった。お互いが怒りのままに罵倒し合った。そうして彼女は外へ飛び出していった。当然、傘を差す余裕など無く手ぶらだった。僕はすぐさま彼女の後を追った。
雨粒の一滴一滴が僕の体に滴る。激昂して火照っていた体は急速に冷却していった。
今すぐ会いたい──────
あんなに心無い言葉を浴びせたというのに、なんて現金な奴なんだ。思わず自己嫌悪してしまう。それでも僕には彼女が必要なんだ、と再認識した。
彼女は公園にいた。屋根のあるベンチに腰掛けていた。ずぶ濡れの彼女はひたすら涙を流していた。僕はそんな彼女の体を強く抱きしめた。強く、強く、強く抱きしめた。
『ごめん……。本当にごめん……!』
『うん、いいよ。こっちこそごめんね』
彼女は目を潤ませて弱々しく笑った。雨が降り続ける無人の公園。そこで、二人して抱き合っていた。
後日、二人とも風邪を引いて大変だった。それを思い出して、自然と頬が緩む。
未だに雨が降り続いている。しかし、それを見ても先程のような憂鬱さは感じなかった。僕の心中には温かいモノが流れていくようだった。
蜘蛛
「あら、いやだ。蜘蛛だわ。ほら、あそこよ」
幸子はそう言って指を指す。僕はその先に目を向ける。そこには、窓に張り付いた一匹の蜘蛛がいた。
「本当だ。でもそこまで騒ぐほどのことじゃないだろう」
「貴方にしてみればそうかもしれないけど、私にしてみれば一大事なのよ。ああ、なんて気持ち悪い姿なのかしら。貴方、早くあの害虫を外に出してよ!」
幸子は興奮したように僕を揺さぶってくる。結婚してもう一年になるが、いつもは冷静沈着な彼女がこんなに取り乱した様子は初めて見た。まだまだ彼女の知らないことがたくさんあるということか。僕は彼女の新たな一面が見られて、嬉しい気持ちになった。
猫
今日の撫で具合はいつもより調子が出てなかった。その疑問を口に出すように、ニャーと私は鳴いた。すると清美は「心配してくれるの?」と弱気な声を出した。彼女の顔を見ると、どことなく影が差しているように感じた。
猫である私がこの家に飼われて、はや一年。長く生活を共にしていると、同居人の感情の機微にも敏くなってくる。特に清美とは他の家族よりも付き合う時間が長かったので、彼女の喜怒哀楽は自分のことのように分かるようになった。
「実はね……。今日、仕事で大きなミスをやらかしちゃったんだ。上司からは散々怒られたし、他の人にもすごく迷惑をかけちゃったの。だから今はかなり凹んでるよ……」
いつもは笑顔で私に触ってくる彼女が、こうも落ち込んでいるのは滅多にないことである。さすがの私でも気を遣ってしまう。
私と彼女以外の家族はまだ帰ってきてない。だからこそ、彼女は本音を正直に吐露していられるのだろう。
清美の腕に抱かれていた私は、身をよじって抜け出す。それから彼女の顔を徐ろに舐めてやった。
「どうしたのよ。もしかして、励ましてくれてる?」
清美の言う通りだった。私は彼女に早く元気を取り戻してほしかった。しかし、猫の私は慰めの言葉を言ってやることはできない。ならば行為でその思いを示す他ない。
ニャー。私が再度鳴くと、彼女は静かに嗚咽を漏らし始めた。
「ウッ、ウッ……。ありがとう、ミィ……。私、明日も頑張るよ……!」
清美の母が帰ってくるまで、私は清美の涙を黙って受け止めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます