いくつかのレビューに対する返答2

ミナモトルカ先生


>「小説」の存続や読み手の想像力そのものを矯正でもしてでも何とか

>したいとは考えるものの時代の加速度には太刀打ちできない現実が……。

>本自体が消える?そこまでいかずとも読書体験そのものを持たない世代――?

>20年後くらいの未来を考えると、ちょっと怖いですね。


 これに関しては妄想でしか有りませんが、もしかしたら今の芸術的な分野になっているかも知れません。先鋭化しすぎた結果初見では理解不能であり教養が必要とされる文化。 誰もが知っていると思われる芸術家パブロ ピカソ キュビスムの発案者だそうですが、教養の持たない私がキュビスムの絵を見ても意味がわかりません。しかしそれ以前の時代、青色の時代や薔薇色の時代と呼ばれる作品を見ると教養の無い私が見ても素晴らしいと思えます。そこで芸術が目指していた点にたどり着いた結果がキュビスムの誕生なのだと思います。結果として芸術の歴史を知らない人間が見ると意味不明です。


 20年後にはSAOやとある魔術の禁書目録が教科書に載ってる未来が着ていたら楽しいですねw



Nobe先生


>ただ、読まれるために、読み手の要求するものを書き続けるのは如何なものかと。


 読まれるためになので、読者の要求なんぞ糞食らえ!と言う方向性も十二分にありだと思います。ただ、それだと読まれにくいとは思います。あくまで読まれたい方に向けたエッセイです。


 企業のマーケティング論でも顧客は何が欲しいか解っていない。なんて事が言われたりもします。


 もしも読者自身も気付いていない面白いお話を思いつけるのでしたら是非そういった作品を書くべきです。私には無理なので今まで使われてきた技術をフルに使います。

 


>webコンテンツである以上、仕方ないし、ましてプロの書き手で、それが収入源となれば確実に稼げる、読まれる作品を作らなきゃいけない。


>でも、皆が皆そこに行き着いて、同じような題名、キャッチコピー、展開があふれるコンテンツ。


>そこに将来は有るのでしょうか?


>そこは書き手の腕かも知れませんが、最終的には、アイデアが出尽くして『似て』きます。


 物語の種類はシェイクスピアで全部出てるとすら言われています。ハリウッドも意図的に似たようなストーリーを採用したりします。お暇でしたらストップウォッチ片手に大作ハリウッド映画を見てみることをオススメします。大体同じ様なストーリーです。


 アイディアの出尽くしと言う点に関しては全く心配する必要は無いと思います。技術の発達や人間関係の変化によってその時代に必要な物語が変わってくる筈です。

 ケータイのせいで恋愛小説で待ち合わせ場所ですれ違いが使えなくなったと嘆く声も聞こえますが、ケータイを小説のギミックに仕える事を同時に意味しています。


 小説以上に枯渇を心配するべきなのは音楽業界でしょう。ドレミファソラシドだけですよ? こちらも受けの良いコード進行などがあったりして、似たり寄ったりになりがちですが、今も新しい楽曲が出続けています。


 まぁ小説なんて滅びても問題無いと思いますよ? 物語が滅びると言う話でしたら一大事ですが。




>もちろん、そうなって、コンテンツが廃らないようにするのが運営の仕事ですが、

>『安直に』

>『テンプレ化された』

>『歯触りのいいコンテンツ』

>を貪り喰らう読み手、そこに、

>『妥協して』

>『安牌な』

>『ただの供給者』

>となる書き手、双方の『意識の変化』が必要ではないでしょうか?


 そこに変化を与えることが出来るとするなら編集者でしょう。

 面白い作品を発掘し、商品にしたてあげプロモーションや広報活動を必死に行うことによって、読者に新しい娯楽を提供する。

 ただしそれはweb小説では難しいかと思われます。公募小説でしたら意識の変化は可能だと思います。

 本当に編集者さんには頑張っていただきたいです。

 自分の提唱した。毎日お題も是非やっていただきたいです。


>そもそも、

>『web小説を読むことが日課』

>と、

>『新聞を読むことが日課』

>では、コンテンツのジャンルが違い過ぎて、引き合いにならないかと。

>新聞はあくまで『情報』であって、web小説は『娯楽』です。

>新聞は、『新しいニュースを得るために読んで』、日課と化して行きますが、web小説は、日々『新しい娯楽が提供される』から日課となります。

>前提、過程が違います。

>そして、『娯楽』はあくまで『娯楽』。

>面白くなければ、真っ先に切り捨てられます。


 引用元はご覧になられたでしょうか?

http://mtg-jp.com/reading/translated/mm/022979/

 これはMTGのwebサイトにどうやって人をこさせるかの手法の一部として、新聞の話が例としてあげられています。

 人間の行動心理学を応用してMTGのwebサイトに人を呼び込もうとしたマークローズウォーターの戦略です。

 事実この戦略は成功しています。

 新聞は遠すぎるかも知れませんが、ゲームの広告サイトの人を呼び込む手法が、web小説サイトで人を呼び込み手法の参考にすることは可能だと思い引用しました。


 なおストーリー論も書かれていますのでMTGに興味が無い方が読んでも楽しいコラムになっています。(MTGを知らないと少し辛いコラムなのが残念です)


>生き残るためには、常に面白くなければいけません。

>『娯楽』において、『安定は停滞と同義』であり、その先は『衰退』です。

>変化を求めなければ、新しい流行も、進化もありません。

>書き手から、読み手への安易な迎合。

>これだけは、絶対に避けるべきだと思います。


 web小説自体はテンプレを活用して全く違うチートを持っていったり、転移する物を変えたりなど、変化によって差別化しています。魔王に召喚されたり、自分が魔王になったりなど、テンプレを知っていること前提のweb小説も存在します。


 それに物語の需要その物は不変だと私は思っています。今の人間がロミオとジュリエットを読んで駄作と切り捨てる人は居ないでしょう。ただし、当時の文化を知らないと読みにくいという弊害はあるでしょうが。



>web小説は、webコンテンツであっても、

>『その中身は小説』で、

>書き手は常に

>『創作者』

>であると思うし、そうあるべきだと思います。


 はいweb小説は小説だと思います。そうで無いなら書籍化したりアニメ化したり出来るはずがありません。

 webコンテンツであるべきと言ったのは、2000~3000字である程度、話に落ちがつくような形で日間掲載を前提とするべきと言う事です。


 成田良悟と言う作家をご存じでしょうか?

 バッカーノ!やデュラララ!!などがアニメ化され現在はFate/strange Fakeを執筆中の電撃文庫の看板作家です。実力は本物で、群像劇を書かせたら右に出る物はいない状態だと思われます。

 しかしジャンプで原作した作品は打ち切りでした。

 これは成田良悟先生の書く作品では週刊連載と言う形式とページ数がうまくマッチしなかった事が原因の一つと考えられます。

 コンテンツ化と言うのはそう言う読まれる為の形式だと思ってください。


 創作者である事を捨てるというのはそう言ったコンテンツを作る。つまり、webコンテンツに合わせた形式の小説を執筆すべきと言う事です。




>読み手は『常に変化を求め』、

>書き手は『常に変化を提供』し続ける。

>それが、リアルタイムで進行していく。

>これが、web小説のあるべき姿だと、自分は思います。


 変化の度合いが問題になっていきます。

 エッセイの中でも書きましたが、コカコーラが飽きたからと言って抹茶を飲むわけでは無い。飲むとしたらペプシコーラか、レモンコーラだろう。

 つまり変化自体は求められていると思っています。


 しかしその変化が激しすぎてはいけないと言う事です。

 読者の期待に答えるが、予想は裏切る形でないといけません。

 飲み物の例えで言うならコーラ飽きた? ジンジャーエールや、ファンタも美味しいよ? 炭酸はもういらない? ならオレンジジュースにする? それともアップルジュース?

 もう甘ったるいのにはうんざり? なら緑茶やウーロン茶はどうだろう?

 


>長文、失礼しました。

長文ありがとうございました。



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