第三章
1 むかしの話(1)
(※注)
未成年者が飲酒する場面がありますが、法律に反する行為を推奨するものではありません。
ーーーーーーーーー
研究所の廊下を書類をめくりながら歩いていると、向かいからきたレナードソンがよっと手を上げる。
「今晩おまえん家行かせてくれよ。久しぶりに呑もうぜっ」
玄関の扉を開けると、ドアベルの音を聞いて仔猫が駆けてくる。
いつもならセルシオの顔を見ただけで、立ち止まりもせずダイニングへ駆け戻るのだが、今日は初めて見る人間に驚き、片足を上げてビタッと固まる。
「おっ、これが拾った猫? ソラだっけ」
近寄って身を屈めると、ソラは一目散に家の奥まで逃げていった。
あれ? とレナードソンが首を傾げる。
「人見知りするタイプ?」
「雌だからな。分かるんじゃないか」
どういう意味だよと騒いでいると、ダイニングからアルトが出てきて目を丸くする。
「おかえりっ。えっ、レナードソンさん? どうしたのっ?」
レナードソンがただいまー、とにやける。
セルシオはもうツッコむ気もなく、ただ深いため息をついた。
アルトが作った野菜の肉巻きに貝と野菜のマリネをレナードソンはぱくぱく口に運んで、合間でスープをすする。
せわしない食べっぷりに、セルシオがあからさまに嫌そうな顔をする。
「お前……。上品にとは言わないが、もっと大人しく食べられないのか。あと酒は」
「あとあと。だってこれすげー美味いよ。ほんとアルトちゃん料理上手だね」
口に物を入れたままもごもご褒める。
アルトが目尻を下げて照れ笑いした。
「美味しいって言われると嬉しいねっ」
それを聞いてレナードソンが振り返る。
まさかという目で見てくるので、セルシオは気まずそうに「……美味い」とつぶやいた。
後片付けを終えて、アルトが簡単なおつまみを作って並べる。
レナードソンが酒瓶を取り出すと、じゃあ、と寝室へ引っ込もうとするので、
「えーっ、アルトちゃんも呑もうよっ。こいつと二人で呑んでも楽しくないって」
酒瓶を抱えて子どものように駄々をこねる。
おい、とセルシオが横入りして、
「未成年に酒を呑ませるな」
「まーたお前はそんな固いこと言う。アルトちゃん、お酒呑んだことあるでしょ?」
うーんと目線をさまよわせて、
「パーティで乾杯のシャンパンくらいはあるけど」
やっぱり庶民とは違うなと顔を引きつらせていると、レナードソンがよし! と言ってアルトを座らせ、コップを持たせていそいそと透明の酒を注ぐ。
焦って止めに入ろうとすると、レナードソンがセルシオの肩にのしかかって囁く。
「だーいじょうぶだって。それにお前も気になるだろ? アルトちゃんが酔うとどうなるのか」
セルシオがむすっと口を閉ざす。
それを肯定と受け取ったレナードソンがへへっと笑う。
アルトはそっとコップに口をつけ、一口呑んだだけでぽわっと顔を赤くした。
「うわぁ、これ強いねっ」
困ったように笑うので、思わず二人が見惚れる。
「可愛いじゃん」とレナードソンがつついて、セルシオ複雑そうな表情で黙り込んだ。
かなり水で薄めたがそれでも酔いが回ったらしく、レナードソンが何を言っても赤い顔であははっと楽しそうに笑っている。
どうやら笑い上戸のようだ。
思い出し笑いをこぼしながら、
「この間ねっ、セルシオがなかなか起きないから、ソラをベッドの上にぽいって投げたんだ。そしたら起きるかなって」
行っといでー、とソラを放り投げると、シュタッと着地し布団をかりかり掻く。
もぞっとセルシオが動くので、もう起きるだろうと寝室の扉を閉めた。
「でもまだ起きてこないからもう一度見に行ったら、布団の中でおんなじように丸まって寝てたの」
可愛かったぁと頰を緩ませる。
セルシオはうつぶせで眠ることが多い。それに膝を曲げた姿が、隣で身を丸めたソラと似ていたらしい。
というか勝手に布団をめくるなと言いたかったが、そのときは遅刻間際のドタバタでうやむやになってすっかり忘れていた。
レナードソンが笑いをこらえ、涙目になって震える。
「何お前、アルトちゃんに起こしてもらってんの?」
「一度だけだ。早く出勤するから、もし起きなければ叩き起こしてくれと頼んだら」
そんなことに、とうなだれる。
レナードソンがテーブルを叩いて大笑いして、アルトも一緒になって笑った。
「そういえば、二人はいつから友達なの?」
両手でコップを包んで、アルトが首を傾げる。
レナードソンが天井を見上げて悩む。
「研究所に入ってからだな。お前はカレッジ卒じゃないから」
セルシオの言葉にあー、そうだなと同意する。
「カレッジ?」
アルトがさらに首を横に倒した。
飛び級や留年などをしなければ、教育課程は四歳から始まり十八歳で終わる。
けれど医療や建築など専門的なことを学びたい者は、さらにカレッジと呼ばれる学校へ行く。
学ぶ内容によるが、一年間が一般的だ。
猿の階に学校があるだろうと言われて、アルトがああと思い出す。
「私はそこで魔法学について勉強した。レナードソンは違う学校で」
何の勉強したんだ? と尋ねると、澄まして「さぁな」と言うので追及されたくないらしい。
まあいいかと続けて、
「だから知り合ったのは研究所に入ってすぐだな」
ほおー、とアルトが感嘆の声を上げる。
「二人とも魔法が使えないのに、魔法に興味があったんだね」
セルシオが手の中でコップを回して酒を揺らしながら、
「使えないから、かもな。魔法使いはどうして何も使わずに水や風を動かせるのか。それと魔法石や魔道具にも興味があって、活用よりも仕組みの方に魅力を感じた」
そういえば今アルトの部屋になっている物置部屋には、魔道具が山のようにあったなと思い出す。
バラバラになってる物は壊したのかと思っていたが、破損してなかったので、分解して中身を調べたのだろう。
「お前、珍しい魔法石集めてたよな」
レナードソンが言って、アルトがえっと驚く。
「そうなの? 知らなかったっ。見たいな、見せて見せてっ」
セルシオがそうだなと考えていると、
「アルトちゃん、やめといた方がいいよ。魔法石の話になるとこいつ止まんないから。紋章だの稀少石だの言い出して、ダラダラなげーの」
何でだ、とセルシオが苦い顔をして呆れる。
「魔法石についてはお前が専門だろう」
レナードソンの研究室の研究テーマは、合成魔法石の生成と創製だ。
魔法石を粉末状や液状等にして合わせ、能力を足したり変化させた魔法石を作り出している。
それを市場に広めるところまでが研究と広範囲に渡るため、第三研究所で最も研究員の数が多い。
レナードソンが口の片端を吊り上げて笑って、
「いや、俺は魔法石の話で一晩呑み明かせねぇから」
セルシオが気まずそうに酒に口をつける。
酔っているときに好きな物の話になると語り出してしまうタイプのようだ。
レナードソンには止められたが、今度コレクション見せてもらおう、とアルトがご機嫌で薄い酒をこくこく呑んだ。
俺の番とレナードソンが胸を張って、
「俺が研究所に入った理由は、そのとき好きだった子が魔法使いでね。そっから彼女と魔法について興味が湧いたんだ」
「お前の動機はいつもろくでもないな」
何でだよ、とレナードソンが噛みつくように言うので、アルトがころころと笑い声を立てた。
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