4 Cats & Dogs(3)

 リムリーが頰にソースをつけたまま、はぐはぐと喉に詰めそうな勢いでハンバーグを食べる。


「……よし、っと」


 食事に夢中になっている間に、リムリーの顔の両サイドに細い三つ編みを作り上げて手を離す。

 前髪の上は、編み込みでカチューシャのようにした。


 アルトが手を打ち合わせて可愛い! と褒めるが、リムリーはむぐむぐ無表情で咀嚼している。


 手の込んだ髪型に仕上げた男性は、アルトに向かってクロードと名乗った。


「ありがとう。僕は歯医者でね。仕事柄細かい作業が得意なんだけど、こうしてリムの髪をセットするのも好きなんだ」


 にこにこと人の良さそうな、穏やかな笑みを浮かべる。


 アルトが目を輝かせて、


「えっ、ぼくの髪もやって欲しいなっ」


 いつもツヤを出すのに手間をかけている自慢の髪だが、お嬢様であるので自分でセットができないらしい。

 なのでここぞとばかりにお願いする。


 クロードは快く請け負った。


「もちろんいいよ。アルトちゃんの髪は長くて綺麗だから、やりがいありそうだね」


 そしてセルシオに向かってにっこり笑いかけ、首を傾げる。


「いいかな?」


 セルシオは付け合わせの野菜を食べながら澄ました顔で、


「何で訊くんですか」

「いや……だってねぇ」


 そっけない義弟に、いいのかなと困った表情を浮かべる。


 心配性のクロードは念のためリムリーにも尋ねると、即答で「いいよー」と返される。

 それよりハンバーグを食べるのに必死になっていて、クロードは目に見えていじけていた。




 夕食後、クロードに髪をセットしてもらい、鏡を見てアルトが歓喜の声を上げる。


 そしてセルシオの前でくるりと回転して見せた。


「セルシオっ。見て見てすごい、可愛くしてもらったっ」


 前髪の脇から編み込みを伸ばし、後ろで一本にまとめて冠のような輪にしている。さらに耳上に作ったお団子は、まるでコサージュの花のようだ。


 アルトが嬉しそうに何度もくるくる回転する。


 セルシオは真剣な顔で顎に手を当て、じっと見つめて一言、


「……可愛いな」


 とつぶやいた。

 誉められたアルトは、てへっと照れ笑いする。


 その様子を眺めていたクロードは、


「この二人は一体どうなってるんだろうねぇ」


 微笑んで遠い目をする。


 リムリーはマイペースに、「クロちゃん、お家帰る」と玄関へ向かうので、クロードがえっ、と驚いた。




 ごねるリムリーを、クロードがもう遅い時間だからとなだめすかして説き伏せ、なんとか宿に泊まることになった。


 夜行列車で帰れないことはないが、妊婦ではクロードでなくとも心配になる。


 玄関の外に出て、二人を見送る。


 リムリーがじっとアルトを見上げるので、笑みを浮かべて何? と尋ねる。


 するとアルトの手を取り、小さな両手できゅっと包む。


「アルトちゃん、会いに来て。生まれたら」


 じっと見つめられて、アルトが満面の笑みでうんっ! と大きくうなずく。

 リムリーが喜びでぱあぁと目を輝かせ、倒れこむようにアルトに抱きつく。

 アルトがびっくりして嬉しそうに抱き締め返した。


 アルトからは見えなかったが、リムリーの視線はアルトの後ろを向いていて、セルシオをじいいいっと穴が空くほど見つめていた。

 セルシオは眉を寄せ、気まずそうに顔を背けた。


 リムリーが後ろに立つクロードを見上げる。

 危ないよと諌めるのを聞かず、てこてことセルシオに近づく。


 今度はじっとセルシオを見上げるので、


「何だ」


 するとクロードがリムリーを横抱きで持ち上げる。

 自分よりリムリーが高くなり、セルシオがぎょっとする。


 ぽんとセルシオの頭に手を乗せると、深紫色の髪をかき回すようにぐるぐる撫で始めた。


「……何のつもりだ」


 セルシオが呆れ返り、頭を振って手を退けさせる。


 リムリーは無表情のまま、


「良かった。元気そうで」


 セルシオが目を見開き、視線を落として一瞬暗い表情を浮かべる。


 下ろされたリムリーは着地すると、ぴしっと両腕を上げ、特に意味もなく体操選手のようなポーズを取った。


「ああ、元気だ」

「ん。無理よくない」


 言葉は少ないが、弟を心配する姉の姿にアルトが胸を打たれる。


 分かってる、と苦笑するセルシオが初めて弟の顔に見えて、心臓がドキンと高鳴る。


 いやいや五歳年上だったと思い出し、赤くなって混乱した。


「実家帰ったの、この間」


 そうだろうな、とセルシオが苦い顔を浮かべる。


 姉弟の短い会話からでは内容が読み取れず、アルトがキョロキョロ視線を往復させた。


 一ヶ月ほど前、セルシオは実家の両親へ近況を伝える手紙を出した。

 それにアルトとの同居のことも書いた。

 見合い相手と同居している、と。

 勘違いや深読みをされない程度に。


 リムリーはそれを母から聞き、はるばるその様子を見に来たのだ。

 完全に野次馬根性。


 あのお喋り好きの母がどれだけ尾びれをつけて伝えたのかは想像したくもない、と眉を寄せる。


「良かった」

「……何が」


 ぽつりと言うので顔を引きつらせる。しかしリムリーは口を閉ざしたまま答えない。


 今度はリムリーから母に、背びれと胸びれまでついて伝えられそうだ。想像するだけで頭が痛い。


「あんたもたまには顔出したら」


 話題をすり替えるなと言いたいところだが、確かにセルシオはもう一年以上実家に帰っていない。

 遠くて長期の休みが取れないからといつも言い訳してしまうが、リムリーの妊娠のことも知らなかったのは反省しなければならない。


 魚のことは一旦忘れることにして、


「そうだな」


 と素直に苦笑した。




 二人が去り、気疲れしたセルシオがソファに座ってぐったりうなだれる。


 アルトが楽しそうにうきうきしながら食器洗いを始めるので、手伝おうと隣に立つ。


「リムリーさん、可愛かったねっ」


 可愛いか……? と皿を拭きながら嫌そうな顔になる。


「うんっ。お人形みたいだし、動きとか猫みたいだった」

「あー……そうだな。気まぐれで自分勝手なのに、他人が言うことを聞かないと怒るところなんかは猫みたいだな」


 アルトがあははっと笑う。


「でもクロードさんはそういうところが好きなんだろうねっ」


 あんなにわがままな姉なのに、義兄はなぜか彼女にべた惚れだ。


「じゃあお義兄さんは、自由気ままな猫に好きで振り回されてる犬ってところか」


 好きだからとまとわりつきすぎて猫を怒らせてしまう犬の姿を想像する。


 そしてアルトを見やって、


「お前も犬っぽいな。誰にでもすぐ笑顔で走り寄ってくところが」


 喜怒哀楽によって、三角の耳と尻尾が変化するところが容易に思い浮かぶ。


 アルトは含み笑いをして、


「ふふっ、じゃあキミは猫だね。あんまり周りを気にしてないって寝たふりしてて、でもたまに気になってちらって片目だけ開けて見ちゃう黒猫。黒いから目が開いたらすぐ分かるのに」


 何だそれは、と苦い顔をする。


 ふとアルトの飾られた髪を見つめる。


 手が止まっているとアルトがこちら側を向いて、ぱっと手元の皿に視線を戻した。


「しかし身内といるのは気恥ずかしいな」


 疲れた様子で頭を垂れる。


 苛ついて見えたのは、もしかして照れてたのか、とアルトがくすくす笑う。


 そして、


「今日はキミの色んな顔が見れて嬉しかったよっ」


 キラキラ笑顔を輝かせる。


 このタイミングで王子スマイルが来るとは、とセルシオの疲れが増した。


 そういえばさ、とアルトが切り出す。


「どうする? あの子」


 アルトが振り返るので、セルシオもつられて後ろを向く。


 ドタバタで忘れかけていたが、リムリーが拾ってきたブルーグレーの仔猫が、興味津々で部屋の床や椅子を嗅いで回っている。


 セルシオが呆れてため息をつく。


「姉さんが連れて帰るには遠いな。多分うちに置いていくつもりだったんだろう」


 偶然見つけてかわいそうだからと拾わずにはいられなかったのか、それとも弟を心配した姉心のつもりか。


 いずれにせよ唐突な上、無責任すぎると呆れ返る。


「ねっ、飼う? 飼っちゃうっ?」


 アルトが期待で目を輝かせるので、


「飼ったことないから世話できないぞ」


 と眉を寄せる。

 アルトも生き物は飼ったことがない。


 残念そうにへちょんと耳と尻尾を垂らすアルトに、


「飼い方は図書館で調べるとして、まずは動物病院だな」

「えっ、じゃあ飼っていいってことっ?」


 セルシオが仕方なさそうに微笑んで、ああ、と答える。


 アルトが大喜びで猫を抱き上げ頭上に掲げる。

 びっくりした猫が目を剥き毛を逆立てて固まっているので、「下ろしてやれ」と呆れた。




 翌朝、寝ぼけ眼でダイニングに入ると、普段通りキッチンにアルトが立って朝食の支度をしている。


 その後ろで、パンを小さくちぎりながら無表情で食んでいるリムリーが座っていて、セルシオががっくり肩を落とす。


「何でいる……」


 リムリーが「美味しかったから」と言うと同時に、玄関がバターンと大きな音を立てて開く。


「セルシオくんっ、起きたらリムがいないんだがーっ」

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