2 春の嵐と王子様(1)

「へー、あれが……」


 遠くに見える山のような街を眺めてつぶやく。


 街の上空を漂う何かの欠片のようなものは、砂時計の砂のように見えなくもない。


 壮年で背が低く、口ヒゲを生やした男性が後ろからとことこ近寄ってくる。


「そろそろ発車のお時間でございます」


 分かったと答えると、カッと靴を鳴らし踵を返した。




 街の最下層、カエルの階にある駅ではたくさんの人たちが行き交っていた。

 街の公共交通手段は列車だけなので、街の外から通勤通学している人はみなこの駅を利用する。


 けれど今はラッシュの時間を過ぎているので、観光客の方が多いようだ。


 細い路地といくつもの階段、積み重なった建物により出来上がった不思議な迷宮に魅かれ、この街には年中絶えず観光客が訪れる。


 着いた列車から降りる人、乗り込む人、駆ける人、誰かを待つ人。


 キョロキョロと注意深く辺りを見回して、待ち人を見逃さないようにする。


 到着した列車がプシューと空気を吐いて止まり、乗客が降りる。


 じっと目を凝らしていると、見覚えのある顔が降りてきて片手を上げる。


「クリスっ」


 シアン色の短い髪にすらっとした体躯。

 街中を歩いていれば、すれ違う女子から黄色い声が上がりそうな美男子に向かってアルトが手を振る。


 その姿に気づき、美男子の顔がぱぁっと明るくなる。

 長い脚で大股に駆け寄ると、飛び込むようにアルトに抱きついた。


「アルト兄様っ! お久しぶりですっ」




 ドアベルが頭上で鳴って、後ろ手に玄関の扉を閉める。


 賑やかだな、と顔を覗かせると、アルトと見知らぬ人がダイニングで楽しそうに談笑していた。


「あっ、セルシオおかえりっ」


 その言葉に座ったまま身体をひねったのは、アルトより少し年下に見える少年だった。

 大笑いしているところだったのだろう、笑みを湛えた顔にはまだ幼さが残っているが、これから色男になるだろうと思わせた。


 振り返ってすぐは目が弧を描いてたが、セルシオを見てすっと細める。

 それだけで身構えたくなるような冷たさを感じた。


 勝手に家に男を上げるなと、後で注意しようと心に留める。

 嫉妬などではなく、同居人としてのけじめだ。


 そう、嫉妬じゃない。

 けれどなぜか胸はもやもやする。


「セルシオっ、この子はぼくの友達で」


 少年がすっと椅子から立ち上がる。

 片腕を胸の前で地面と水平に構え、深々と頭を下げた。


「初めまして。クリスティア・スターベルと申します」


 丁寧な挨拶にセルシオが戸惑う。


 そこでさっきから感じていたもやもやの正体に気づく。


「……女性」


 思わず口から出てしまい、しまったと汗をかく。


 クリスティアがふふっと微笑した。


 どう見ても美少年にしか見えないが、名前とわざと低くした声、すらっとしていて背が高く見えるが、男性にしては華奢だ。


「だよねっ、ぼくもびっくりしたよ。すっかり男前になっちゃって」


 ほくそ笑むアルトに、クリスティアがにこにこ笑顔を向ける。


 褒め言葉が『男前』でいいのかとツッコミたいのを呑み込む。


「この間クリスに手紙を書いたんだ。そしたら会いに来てくれたんだよ」

「本当に驚きました。お屋敷を離れたと知って、いてもたってもいられなくて」


 憂えた様子で頬に手を当てる。その仕草は女性っぽい。


「あ、ぼくお風呂見てくるねっ。セルシオ、スープお鍋にあるから」


 ぱたぱたとダイニングを出て行くのを見送って振り返ると、クリスティアがじっとセルシオを見つめてくる。

 いやもうじろじろというほどに眺め回す。


 腕を組み、目元に人差し指を立てて一言。


「……根暗そうな人」


 は、とセルシオの目が点になる。


 クリスティアがつらつらと続ける。


「アルト兄様と一緒に暮らしてる男性だなんてどんなに素敵な人だろうと思ったけど、普通でがっかりしちゃった。ま、一番素敵なのはアルト兄様だけどっ」


 ふふっと嬉しそうに頬に手を当てて赤くなる。


 何なんだと呆れ返っているとアルトが戻ってきて、


「あれ? どうかした?」


 何でもありませんっ、と笑ってアルトの腕に絡みつく。


 あからさまな態度の違いに、セルシオが呆れて立ちすくんだ。


 ふと隣に気配を感じて見ると、背の低い、というか小さい老人が無言で立っていた。

 全体的に卵形で、ゼンマイで動くおもちゃのような印象を受けた。

 もちろんその背にゼンマイもそれを差す穴も見当たらないが。


 クリスティアのそばで控えているということは従者だろう。

 完全に気配を消していて、今気づいたセルシオはドキドキしていた。


 従者はセルシオを見上げると、ぺこんと頭を下げた。

 セルシオも倣って返す。


「よくぞお気づきになりました」

「気配を消すのが得意なのが身内にいるからな」


 顔を引きつらせると、従者はそれはそれは、とだけ言ってまた黙り込んだ。




 セルシオが晩ご飯を食べる間、三人はアルトの部屋に移っておしゃべりを続けた。


 話に花が咲いたようで、宿に戻ると言い出したのは随分遅い時間になってからだった。


「お邪魔しました。久しぶりにアルト兄様にお会いできて、本当に楽しかった」


 クリスティアはこの街に三日間滞在するという。

 この様子だと毎日家に来るんだろうな、とセルシオが呆れる。


 アルトがふと何かに気づいて身を翻し、ダイニングへ走っていった。


 セルシオがクリスティアにおい、と声をかけると、クリスティアがじろっと睨みつけた。


「何? 根暗男」

「その呼び方はやめろ」


 さすがに諌めると、クリスティアがむっとした顔になる。

 今にも噛みつきそうな様子で、


「それなら、僕だって『おい』って名前じゃない」


 軽く呼びかけただけのつもりだったが、それはそうかと素直に謝る。


「ああ、すまないクリスティア。宿まで送るか?」


 一人称に違和感がない見た目とはいえれっきとした女性だし、不案内な街だ。

 もちろん従者がついているが、おもちゃの彼では舐められそうな気がする。


 セルシオの申し出に、クリスティアはなぜか拍子抜けした表情になる。


 しかしすぐにふんっと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。


 扱いにくいな、とセルシオが困惑する。


 ダイニングから戻ってきたアルトが、はいっとクリスティアに小さな紙包みを手渡す。


「ぼくが大好きなお菓子屋さんの飴やゼリー。美味しいから二人で食べてっ」


 アルトはシエラの店のお菓子が気に入って、店の前を通りかかるたびに買ってはガラス瓶に入れて常備していた。


 初めて見たのだろう、クリスティアは物珍しそうに目を見開き、従者は卵型の身体を揺らして喜んだ。


 アルトが砂糖をまぶした果物のゼリーを一粒つまんで、


「はい、あーん」


 クリスティアの口に放り込む。

 噛んですぐに目を丸くして、幸せそうに笑みを浮かべた。


 庶民的なお菓子が気に入るのはアルトだからかと思っていたが、他のお嬢様の口にも合うようだ。


 ちらっとクリスティアが自慢げにセルシオを見やるので、なんで羨ましがらないといけない、と半眼の視線を返しておいた。




 二人が去った後、セルシオが


「変わったお嬢様だな」


 仲良しのお嬢様が男装の麗人とは。類は友を呼ぶのだろうか。


「クリスは人見知りで、お茶会やパーティでも気後れしてみんなの輪に入っていけなかったんだ。ぼくもそういうの苦手で、だから気が合ったんだよ」


 人見知り……? とセルシオが首を傾げる。


 ふふっとアルトが微笑んで、


「ごめんね、もしかして何か言われちゃった?」


 セルシオが首を傾げると、アルトが説明をする。


 実はクリスティアがセルシオにした挨拶は男性がするもので、敬意は低めだという。

 胸の前に腕を構えるのは、腕を境界に自分と相手の差を示す意味があり、自分の身分が下のときは敬意になるが、逆だと敵意を表すこともある、使いどころに気をつけないといけない挨拶らしい。


「ちなみにこれが、女性の最敬礼ね」


 言ってスカートの両側を軽くつまみ上げ、頭を下げる。


 そういえば見合いのときにそんな挨拶をしてたなと思い出す。


 金持ちの世界は身振りや服装一つ一つに意味があるそうで、察するのは大変だなと庶民のセルシオはただただ感嘆する。


「クリスは男の人になりきってそうしたのかもしれないけど、ちょっと空気がヘンだったから」


 アルトが困った様子で笑って、セルシオが後頭部を掻く。


「別に……根暗男と言われたくらい気にしない」


 踵を返し廊下を歩きながらつぶやくと、アルトがえっ、と驚いた。



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(※注)挨拶について。

この国で使われる挨拶なので、敬意や敵意を表したいときでも真似しないでくださいね。

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