交通死亡事故 突然家族を奪われて――
琴芭 みずき
第1話 物言わぬ再会
それは突然の出来事でした。
その日の朝、いつものように起床し、愛猫と戯れ、仕事仲間と楽しげに電話をして。
出勤準備をしている長女といつものように会話をしたり、まだ寝ている子には「起きや」と声をかけて。外出前の母(私の母で同居中)と会話して。体調不良で横になっていた私に、冷蔵庫にこれがあるから夕飯はこれでなにか作ると声をかけてくれて。
家族全員に声をかけて、短いけど会話をして。
「行ってくるわ」
いつも通りの言葉で、いつも通りの笑顔で出勤していきました。
そして、その言葉が私たち家族への最後の言葉になってしまいました。
その一時間後、警察から一本の電話がかかってきました。
「ご主人が事故に遭い、病院に搬送されました」
一瞬、何を言われているのかわかりませんでした。怪我の具合を尋ねると「重体です」とただ一言。聞き返しても「重体です」としか返ってきません。
それから、まだ寝ていた次女を起こし、仕事中の子供たちの職場に電話してすぐ病院へ向かうように連絡して、タクシーを呼んで。
そうこうしている間に、今度は病院から連絡がありました。
「ご主人が交通事故で搬送されました。重体です。ご家族の中で成人されている方は全員来て下さい。焦らずに来て下さい」
さーっと血の気が引いていきました。
あとはもう、ただただ無事を祈るだけ。
ようやく来たタクシーに乗り込み、病院名を告げ、急いで下さいと伝えると、「○○で事故があったから」と――。
家からほんのわずかな距離。まさか――? いや、でも――。
「あ、お父さんのバイク……」
事故現場を通りかかったとき、次女が言いました。
違う。見間違えだ。きっと、骨折程度で「事故ってもうた」と笑顔で告げてくれるはず。
そう思ってたんです。いや、そう信じて、そう願ってたんです。
でも、私たち家族の願いは届いてくれませんでした。
病院に到着し、救急外来の待合室に入ると、沢山の警察官の方。
こちらです。と一番奥のソファーに案内され、事故の概要を説明されました。
○○を走行中、転回禁止の場所で相手の車が急転回し、その車に衝突してバイクから投げ出されました。意識レベルは300でした。
うそ……? じゃあ、あの時のバイクが? 意識レベル300ってなに? 今、どんな状態なの?
隣に座る次女の手をぎゅっと握って、ただただ呆然として聞いていました。
暫くして医師からも説明がありました。
意識レベル300で搬送されました。胸腔内出血が見受けられたのでドレーンで体外に排出しながら、輸血をしたのですが、心肺停止となり、開胸して心臓マッサージをしたのですが、これ以上は体を傷つけるだけなので……。綺麗にさせてあげたいのですが……。
いいですか? そんな風に聞かれ、「はい……」としか答えることが出来ませんでした。今思えば、なんとかならないのか? 助けてくれと言えば良かったのかもしれません。
でも、医師の言葉からは、もう助からない、いや、違いますね。もう亡くなりましたとしか聞こえなかったんです。
家を出る前、「焦らず来て下さい」と言われたのは、その時点でもう亡くなっていたからなのでしょう。
その電話から既に20分。はい、と答える以外、何が出来たというのでしょう。
やがて、長男が駆けつけ警察官と医師に私たちと同様の説明がされ、最後に長女が駆けつけ、やはり同様の説明をされ。
家族全員、何も言葉が出ませんでした。扉を一枚挟んだ向こうに主人がいる。
会いたいと思う反面、会うのが怖い。家族が全員揃ってからどのくらい時間がたったのか。たぶん、それほど長くはかからなかったと思います。
そうして再会した主人は、頬に擦り傷はあったけど、いつもと変わらない穏やかな顔をしていました。
寝ているだけなのではないのか。そのまますっと目を覚ますのではないのか。そのくらい、普段の寝顔と変わらない。
手を握るとその質感はいつもと同じ。でも、その手にはいつもの暖かさがなく、とても冷たくて。いつもはすぐに握り返してくれるのに、いつまでたっても握り返してくれない。
本当に、いつもと変わらない顔をしているのに、苦しそうな顔もしていないのに、触れても揺すっても、何をしてもその体は私たちが動かすだけで、主人からは動いてくれない。
息もしていない。いつものように笑ってくれない。いつものように話してくれない。
当然のことながら、その目は二度と開かず、光りを取り戻さず。もう二度と目を覚ましてくれませんでした。
なんで? どうして? なんでなの? どうしてなの? 目を覚ましてよ。おいてかないでよ。逝かないでよ! 帰ってきてよ! 帰ってこい――!!
主人の名前を、父の名前を呼ぶ以外、他に何も出来ませんでした。
子供たちは全員、父親のことが大好きです。
成人前後なのに、お父さん嫌いなんて、言ったこともなく。
笑顔で会話して、一緒に買い物に行って、TV見ながら揃って同じ部屋で爆睡してたり。
大好きで大好きで、大好きな、優しくて明るい父親を、こんな形で喪うなんて、どの子も想像しなかったでしょう。
娘達は「お父さん」と呼びかけ、ただただ泣いていました。
息子は姉妹と母親が泣いているのに自分は泣けないと思ったのか。面会するまでの間に警察官の方にお母さんを支えてやってと言われたからでしょうか。ただ父の顔をじっと見つめて涙は見せませんでした。
家族の笑顔の中心はいつも主人でした。
家族の会話の中心はいつも主人でした。
飲みにも行かず、まっすぐ帰宅して、家族と会話をしながら夕飯を食べることが大好きな、とても家族思いの人でした。
。
あと1,2分早く出勤していたら。
あと1,2分遅く出勤していれば。
玄関でちょっと引き留めていたら。
忘れ物をしたと引き返してくれていたら。
何度そう考えたことか。
いくら思っても、もう主人は帰ってきてくれません。
でも、今でも思います。
「行ってくるわ」なんて言って出かけて、どこまで逝ってしまうの? なんで、そんな、もう二度と会えない場所に行ってしまったの?
帰ってきて。
声が聞きたいよ。
会いたいよ。
寂しいよ。
会いたい、会いたい、会いたい、会いたい! ねぇ、会いたいよ!!
お願いだから、帰ってきて――。
これが、我が家に起こった突然の、信じられない永遠の別れでした。
家を出てから、主人が事故に遭うまで、わずか10分足らず。死亡確認まで2時間弱。
事故直後、すぐに救急車が到着したとき、主人は意識レベル300。呼びかけにも応じず、痛みにも反応しない、きわめて重篤な状態でした。
その一瞬、主人は何を思ったのか。何を考えたのか。
どんなに痛かっただろう。どんなに苦しかっただろう。どれほどの恐怖に見舞われたんだろう。そして、どんなに無念だっただろう。考えても考えても、答えてくれる人はもういません。
一瞬の事だったので、痛みを感じる暇さえなかったのかもしれない。死んだことさえ実感していないのかもしれない。
亡くなった主人も、残された私たちも、こんなことが起こるだなんて、こんな別れ方をするだなんて、想像さえしていませんでした。
朝、あんなに明るく笑っていたのに。いつも通り冗談を言って、いつも通りに会話してたのに。なんでこんなことになってしまったんだろう。もう、それしか言えません。
そうして私たちは、泣きたくても泣けない、悲しくても悲しんでいられない。怒濤のような数日間を送ることになります。
その辺りの事は、おいおい書かせて頂きます。
でも、これだけは言いたい。
交通事故は一瞬のうちに大切な命と、その家族の幸せを奪います。
運転をされる方。
このくらいなら大丈夫だろう。この程度ならいつもしているから大丈夫。
ここは――、ここなら――、このくらいなら――。
そんな考えは今すぐ捨てて下さい。そのわずかな気の緩みが、過信が、怠慢が事故を引き起こします。どうか、その事を忘れずに、慎重に運転して下さい。
私は今でも、いいえ、これからも一生、加害者を許すことが出来ないでしょう。あの笑顔を、優しい声を、温かい手を返してほしい。子供たちの大好きな優しい父親を返して欲しい。
無理は百も承知です。それでも、そう思わずにはいられません。
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