遠い日に焼けた手紙

 その頃は、携帯電話はおろか固定電話すら普及していない時代で、私と彼は手紙でやり取りするしかなかった。

 初めて彼と会ったのは、私が異国のあの町に越した時で、彼はお隣の家の奔放で、しかし紳士的な子だった。肌が白く、金髪の私の容貌に、彼ははじめ驚いていた。私は嫌われるだろうかと思ったが、彼はすぐに笑顔を作って、こんにちはと言った。

 その町で最初に遊んだのも彼だった。朝から暑い夏のある日、彼は半ば強引に私の手を引くと、ニホンタンポポやセイタカアワダチソウが太陽の欠片のように咲いた川岸に連れて行ってくれた。静かにせせらぐ小川に脚をつけると、川面は日に温まってぬるく、もう少し深く入れるとひんやり冷たかった。彼は私の様子を見ながら、手製の釣り竿から糸を垂らしていた。

 私は彼とは正反対に大人しい静かな子供で、だからかもしれない、私と彼は不思議とすぐに仲良くなった。彼はその国の言葉をよく教えてくれたし、私も彼に母国の言葉を教えてあげた。相手の長所に嫉妬はせず、短所は補い合い、尊敬や慈愛で築かれた信頼で繋がれた私たちは、まるで初めから双子であったかのようにいつも一緒にいた。私たちは同い年だったけれど、彼は紳士風な口ぶりで、私を「さん」付けで呼んだ。

 私は今でも思い出す。黄金のススキがそよぐ高い丘の上、晩夏の夕日が空を焦がし、低い山の頂をやわらげ始めた頃。揺れる陽光を浴びながら、頬を赤らめて林檎をかじる彼の横顔を見て、私は、ああなんて美しく愛らしいのだろうと子どもの純真のまま、ふと彼の柔らかな頬に口づけをした。驚きに目を見開いた彼を笑いながら、私は彼の頬が甘かったことをいつまでも憶えていた。


 そんな彼との日々はそう長くは続かなかった。私は、私にも分からぬ家庭の事情とやらで、再び母国に戻らなければならなくなった。出国の日程が決まった日、私は彼の家に向かった。だが、彼の顔を目の前にすると、道中考えていた別れと感謝の言葉や、自分にはどうしようもない事情なのだという込み入った弁明はふと立ち消えてしまい、何を言えばいいのか、涙目に苦笑いするしか私にはできなかった。それで結局、逃げるように彼の元から帰ってしまった。

 出国の日、私は家族と共に客船に乗り込みながら、彼のことを考えた。あの日逃げ帰ってからも何度か顔は合わせても、私は声をかけることもできなかった。それでも彼は、怒りもせず、ただ心配そうに私を見つめていた。私はそんな彼への罪悪感を拭えずにいたのだ。ああもう出港するというとき、私は港に手を振る彼を見た。甲板へ飛び出した私は、彼にごめんなさいと叫んだ。だけど、やっぱり彼は少しも怒らず、あの柔らかい頬を涙で濡らしながら、手紙を送るよ、と言い、何かを私にほうった。可愛らしい金髪の少女のお人形だった。ありがとう、私も手紙を送る。嗚咽の中からそう叫んだ私の声が、彼に届いたかは分からなかった。


 彼から初めて手紙が届いたのは、出国して三週間後だった。なれない外国語だから何度も書き直した跡があり、懸命にひねった文章が綴られた手紙はとても彼らしく、私は彼から貰ったお人形を胸に抱きながら顔をほころばせた。

 私たちの文通は、一緒にいた頃のおままごとのような逢瀬を取り戻すかのようにとても長く続いた。十年。十回の夏を私たちはあの頃から数えるほどまで文通を続けた。けれど、次第に彼からの便りには間が開くようになり、彼の手紙が一通届く間に、私が三通の手紙を出すようになった。十回目の夏、とうとう彼からの手紙はその夏来なかった。私はもう成人を迎えていた。

 彼に会いに行こうと思った。あの遠い異国の地で過ごした夏は、決して幻ではなかったと、私と彼とが密かにあたためた愛はあったのだと確かめたかった。あの夏の思い出を語り合えるならばそれが本望だった。

 私は手紙の住所を頼りにあの異国へ渡り、人形屋とあの町の面影、そして彼の背中を探しまわった。


 そうして私がたどり着いたのは、彼の名前が彫られた墓だった。彼は優しすぎたのだ。手紙を書く事すらつらい身でありながら、手紙の中の彼は変わらず奔放に紳士的でいようとつとめていた。私はそれに気づくことができなかったのだ。

 ああこんな悲しいことがあっていいのだろうか。私はたとえ、彼が愛する人を見つけていても構わなかった。結婚していても構わなかった。ただ彼に会えればよかったのに、それすらも叶わないなんてことがあっていいのだろうか。

 彼に会いたい。私は鞄から、彼が最後に送った手紙を抜き取ると、その便箋の裏に彼宛の最後の手紙をしたためた。私は、彼がくれたお人形とともに、手紙を墓の前に置いた。

 いつも書き出しはこうだった。彼が私をそう呼んでくれたから。

「わたし、メリーさん。今あなたのもとへ行くの」

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