第2話
「世界中を不安に陥れている色覚の問題は、我々人類だけが抱えているものでない」
動物医の発表を受け、各国の新聞には大々的にその文章が掲載された。そしてそれは人々をすんなり納得させた。思い返してみれば人々もまた、動物たちの異変を目の当たりにしていたのだった。
野生動物の死骸を道端で見掛ける機会が増えていた。これは住宅地の周辺に限ったことではなく、山や海でも動物の不審な亡骸が数多く目についた。しばらく後に撮影された猿の写真は衝撃的だった。食糧を求めて移動をしていた猿の群れが、眼前の果実に気付くことなく集団餓死してしまっていた。
いつの間にか虫除け用の街灯に群がる虫がいなくなっていた。虫除けには虫が視認しやすい紫外線を発するよう調整された専用の街灯が使われていたのだが、虫はその紫外線を捉えることができなくなっていた。
一部の花に胡蝶が寄らなくなった。嗅覚の優れた蛾と違い、胡蝶は視覚を頼りにすることが多い。香りよりも色付きが特徴であるような花は、胡蝶の視界から消えてしまった。必然的にそういった花はやがて数を減らしていったため、こちらは人々に気付かれるのが少し遅かった。
犬や猫はあまり様子に変化が見られなかった。これは犬や猫は嗅覚が優れており、元々色を識別する能力がほとんど備わっていなかったからだった。
文明の恩恵を受けていない野生動物でさえ、人類と同じ問題を抱えていた。これは最早、退化などという生物の内在的な現象ではないことが分かった。となると注目を集めたのが物理学者や化学者であった。
太陽の光量や周波数に変化があったのかというと、そのような結果は観測されなかった。それでは光が物質に与える影響や、光を触媒とする化学反応が変わったのだろうか? 物理定数や物性が時間とともに徐々に変化するという現象は以前からも知られていたが、それらはいずれも量子規模ないし宇宙規模といった、日常生活とは程遠い領域で活躍する先端的な理論にほんのわずかに現れるだけであり、生物規模に影響を与えるほどのものではなかった。詰まるところ、物理学者や化学者にもお手上げであった。
僕は祖父や祖母が持参する「色とりどり」の花に大して興味を抱かなかった。あれから更に80年ほど経った当時、つまり今から20年ほど前の時点で、僕らにはもう色らしい色がそこまではっきりとは識別できていなかった。確かに単なる濃淡とは違う雰囲気を感じたが、「色とりどり」という言葉の意味はよく理解できていなかった。
祖父や祖母の時代にはまだ世界に溢れていた色という性質は、僕が生まれた頃にはすっかり褪せてしまっていた。昔はリンゴと梨が遠目にも区別できたほどだ、と何かで読んだことがあった。それはさすがに誇張があるとしても、口に運ばずしてその2つの違いがある程度は見出だせていたのだろうと思うと不思議でならなかった。
祖父と祖母が僕に本当に見せたかったのは、もうすっかり褪せてしまった花ではなく、2人が若い頃に見たような「色とりどり」の花だったのだと思う。その証拠に、僕が花に一切目を向けず果物に飛び付いていた様子を見て、2人は嬉しそうな反面、どこか寂しそうだった。
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