最後の大喧嘩
夏が過ぎ秋になっても朝廷から、新九郎への征夷大将軍の推挙はなかった。仕方がないので新九郎は『将軍代理』『代理様』という名称が付けられた。名はついたがすることはない。というのも家元が、
「難しいことは老中達がやるから好きにしていいぞよ」
と言って新九郎に公務をさせなかったからである。それは前の白書院の間での演説。あれを聞いた家元は、
「この者、幕府を根底から覆すのではないか」
と軽い疑心暗鬼に陥ってしまったのである。家元の根本の考えは徳川幕府の安寧である。それがあればこそ暗君でいられる。もし新九郎が江戸の泰平を破るようなことをするなら、家元は暗君の仮面を破って本気を出さねばならない。そういう面倒は嫌いだ。新九郎にはただ、西国が反乱したときに、その攻撃力で敵を撃破してくれればいい、と思っていたのに、よもや政に口出しして来るとは思わなかった。家元からすれば、新九郎は、
「予想以上に育ち過ぎた」
存在であった。なので、重要な案件に関わらせないと決めた。
結局、家元の方針で新九郎は戦が始まるまで恩州待機ということになった。新九郎はその期間に新しい足軽達の訓練を行った。その数、約束通り五千人。とても一人では面倒見切れないので、生麦の長太郎、花見の真介、天狗の伊助、鶴見の勘八、それに松近健一郎と赤坂主膳、青山権五郎に任せていた。訓練法は基本の突き(長い竹使用)、重い斧による薪割り、集団で一人を倒す法といういつものものであった。また器用なもの百人を選び、乗馬の訓練をさせ、騎兵部隊を完成させた。それらの訓練を見ながら新九郎は心の中に、ある不安を持っていた。それは薩摩や長州がエゲレスから新型の銃を長崎のグラマー商会で買い付け、西洋式の軍事訓練を行っているという話しを玉屋玉三郎が教えてくれたからである。
(果たしてやくざの喧嘩法で西洋式に勝てるだろうか)
思い悩む新九郎であったが、彼はそれを貫くしかない理由があったのだ。それはやくざが正規軍に勝つ。それによってこの世界の秩序を根底から覆す。つまり恩州でやったことをこの国でも行う。それが新九郎の野望なのだ。まさに家元が危惧していた通りである。
「新しい鉄砲の威力はおそらく酒樽ごときでは敵わないだろう。木樵に頼んで樫の木を大量に切り出してもらうしかないか。もしくは材木屋に売ってもらうか」
「俺の親父は猟師兼木樵ですぜ」
先の喧嘩で大怪我を負い。杖をついた熊太郎が新九郎の独り言を聞きつけて言った。
「樫の木を採れるか」
「ええ、木樵仲間を繰り出して伐採しますぜ」
とりあえず心配事が消えた。
(後はまた紅の家族を使うか)
鷹の紅はいつの間にか嫁をもらい、今では四羽の若鳥が育ち、飛騨の山猿が躾をしている。通信や攻撃にと役立つだろう。黒と白も大きく育ち、勢いよく駆ければ人間の五、六人くらい吹っ飛ばしてしまう。それに鋭い牙。いっぱしの戦闘員として新九郎は期待している。
そんなある日、今日の訓練も終わろうかという時、
「新九郎さん、江戸から飛脚だよ」
と凪の文吉が呼んだ。早速読む。
「どうしたの」
「軍勢を引き連れ急ぎ大坂城へ行けとの遠藤伊賀守からの書状だ」
「よし、今度はあたしも行くからね」
腕まくりする凪の文吉。
「だめだめ、将軍代理の命令だ。おあささんとお留守番」
「これじゃあ二代目を継いだ意味ないよ」
凪の文吉はむくれた。
その夜、新九郎は陣立てを考えていた。先陣は虎太郎と竜太郎の二百に、足軽一千。第二陣は熊太郎が使えないので、戸塚の友蔵二百に大師の竜平五十を付け足軽二千。三陣は熊太郎の代理、花見の真介の二百、長太郎三十に又五郎五十で足軽一千、後詰めには新九郎、小十郎、熊太郎、健太郎、赤坂、青山に足軽一千。どうせ自分や健一郎らは飛び出していってしまうから、小十郎と熊太郎が足軽の指示をするだろう。
「これでよし」
そう言うと新九郎は「心が落ち着く薬」を飲んだ。しっかり眠る為である。
翌日。
文吉の家に大勢の博徒が集まって来た。その数二千。
「なんだ」
山猿が言うと、
「俺たちも戦に連れてってくれ」
と多くの渡世人が言った。
「いいのか? 金は出ないし、半分は死ぬぞ」
新九郎が言う。
「いいだ、将軍代理様の為に死んだとなれば、今まで生きていた意味が出来る」
「ワーワー」
喚声があがる。そのとき、
「俺たちもやっぱり行く」
と磯子の千ノ助一家、帷子の染吉一家、保土ヶ谷の公介一家が現れた。
「本当にいいのか」
千ノ助に問う新九郎。
「男の死に様を見せるのに丁度いいと思った」
「ありがとう。皆の命、それがしが預かった」
「オー」
新九郎は『青龍蒼色縅』を身に纏い、青に乗った。青も今日は戦装束がされている。
「いざ、大坂に出発!」
新九郎を先頭に小一郎、健一郎、赤坂、青山と騎馬隊百騎が馬に乗り、怪我をして足が良くない熊太郎は輿に担がれて、あとは陣ごとに徒歩で行く。
「幟を立てろ」
「オー」
大空に『不動明王』と書かれた幟が立つ。書いたのは孤雲和尚だ。
「無理するなよ」
孤雲と風泉が道端で祈っていた。
五日後、大阪城。
元々徳川家元は新九郎が恩州に下がった後、京の二条城に入っていたのだが、天子様に恭順を示すため大坂城に引いていた。とにかく気を使う。天子様や公家、薩摩に長州と、どこかの挑発にのったら戦が始まってしまうのである。それだけは避けたかったが、もう限界だ。薩長連合軍が進撃して来た。だから新九郎軍を呼び寄せ旗本、御家人に代わって博徒どもに戦をさせるのだ。勝てば安泰。負けた時には大政奉還して自分は生き伸び、余生を楽しむ。これが家元の望みであった。
「遠藤伊賀守様ご到着」
「飯沼大和守様ご到着」
ついでに口うるさい老中二人にも死んでもらおう。
「将軍代理、徳川新九郎様ご到着」
「おお、よく来た、代理殿。大儀であるぞ」
「いえ、馬上で寝ておりましたから楽なものです」
「なんと剛毅な。余など馬には乗れぬわ。わはは」
下にも置かぬ歓待振りである。
「ところでな、そちの戦力いかほどになった」
「途中で駿河の長五郎貸元、大目玉の英五郎貸元、伊勢の青福貸元、志摩の新樹貸元に、ゴロツキ共がお役に立ちたいと馳せ参じ、計一万人ほどになりました」
「そ、そうか」
「まあほとんどが穀潰しの兵糧狙いでしょうが、賑やかしになると連れて来てしまいました。実戦に使えるのは二千くらいでしょう」
「そうかそうか。で、いつ戦闘を始める?」
「一日休んで明日の午後でしょうか」
「勝てるか?」
「御老中お二人との連携次第でしょう」
伊賀守と大和守はムッとしたが将軍代理なのでぐっと我慢した。
「そうか、なら今日はゆっくり休め」
「はい」
「伊賀守、大和守も休め休め」
皆を寝かしつけた家元はその夜、竹内修理亮と供回りを連れ、大坂港に停泊させていた『武蔵丸』という船で江戸へ逃げ帰り、清掃寺で謹慎した。自分は天子様に恭順を示すと言う意思表示である。
「上様がいない?」
遠藤伊賀守は近習の知らせで跳ね起きた。そして、
「やりおった。敵前逃亡だ」
そこに飯沼大和守が加わる。
「逃げましたか。で、戦はいかように」
「代理様を総大将にして采配を振るってもらうしかないだろう」
「出来ますかねえ?」
大和守が言うと、
「出来るぞ〜」
と鼻歌まじりに新九郎が出て来た。
「まずは軍議を開こう」
「はっ」
「まずそれがしの軍が敵を挑発する。うってつけの、うつけ共が、命を懸けて挑発するだろう。次に敵が銃を撃とうとしたら、我らの飛び道具、鷹の紅の一家に鉄砲兵の指を噛み切らせる。ただ六羽しか居ないので無傷で撃って来るものも沢山居る。そこでわれらお手製『樫の大盾』で身を守り、発射音が消えたら騎馬武者と大犬の白、大猪の黒が敵の先頭に斬り込む。ついで徒歩の者達が一斉に走り込む。鷹や獣たちで混乱させればそれで充分勝ちとなろう。お二方は側面から種子島を撃ってくだされ。敵の大将は我が方の調べで薩摩の西郷酒盛という男であるとしれた」
「ほう、とんだ奇策だ。さすが、やくざ流。うまくいきますかな」
伊賀守が訝るが、
「代理様を信じて戦いましょう」
と大和守が言う。
「ならば朝餉をとって出発しましょう」
(なにかそれがし調子に乗っている。「心が落ち着く薬」を呑むべきか。いや、今は非常時、逆に「気力のあがる薬」を多めに呑もう)
新九郎の薬害はここに極まった。
新九郎を先頭に、決戦の地、鳥羽へ向かう。やがて遠くに敵陣が見えた。すると、
「錦の御旗があがったぞ」
副将の小十郎の顔が渋くなる。
「これで我ら天子様に対する逆賊になりました」
「うーん。そんなの奪っちゃえ。そうすれば我ら官軍」
「兄上、気を確かに」
小十郎が窘めるが、新九郎は聞かなかった。
「足と運に自信のある者。あの旗を取って参れ」
「オー」
御旗の意味を知らない博徒達が走り出す。その数、約五千。薩長軍全軍の数と同じだ。同軍の鉄砲討ちたちは恐慌をきたす。
「撃て、撃て」
薩長軍の鉄砲大将が叫ぶ。それを見て新九郎は
「それ紅の一家、敵の指を噛め!」
と命を下した。
『ヒューッ』
六羽の鷹が上空から鉄砲討ちの指を狙う。
「わあ」
「痛い!」
叫びが上がるが、同時に鉄砲が炸裂し何十名もの博徒達が斃れる。
「引くな引くな。旗を取れ。騎馬共、黒と白、敵の前線を切り崩せ!」
青に乗る新九郎を先頭に騎馬武者百騎と黒、白が猛烈な勢いで駆け込む。新九郎は少し速度を下げた。
「黒、白。丸太なんぞ打ち破れ!」
『ウォーン』
黒が丸太の柵を牙ではがす。白は敵陣に入り込み敵兵を噛み切った。
「前方混乱しています」
「御旗がゴロツキに取られそうです」
報告を聞いても薩長軍の大将、西郷酒盛は泰然自若としていた。
「一時的、部分的な不利にあせることはない。聞けば、あちらはやくざを集めた烏合の衆。こっちは西洋式戦術を訓練してきたのだ」
「長槍歩兵をだせ!」
戦場の真ん中で新九郎が指示を出す。彼の周りには敵はいない。みな血みどろで斃れている。鬼神の如き働きである。
「ワー」
長槍歩兵の突進で薩長軍の前線は完全に切れた。
「よし、それがしは総大将の首級を狙う」
新九郎は《左斬り》で敵をバッサバッサと切り裂いた。やがて巨漢の男がずっしりと床几に座っているのを見つけた。
「西郷酒盛だな」
「いかにも。そなたは」
「将軍代理、徳川新九郎」
「おぬしが」
「それがしを知っているのか」
「もちろんだ」
ここで新九郎は一気に攻めず、
「そなたに問う、なぜこの戦を始めた?」
と聞いた。それに対し西郷は、
「徳川全権の世をただし、新しき世を作るため」
と答えた。
「徳川が消えれば、世は良くなるのか」
「幕府のしくみは今の世の中にあっていない。皆で新しい道筋を作らなくてはいけない」
「うーん……今日の戦、これで終わりにせぬか」
「構わないが、そちらが優勢だというになぜ?」
「今夜そなたと二人、話しがしたい。そちらの陣に向かうがよいか?」
「構わぬ」
二人の大将の話し合いで戦は終わった。
その夜、新九郎は誰もが引き止めるのも聞かず、薩長軍の陣所に提灯をぶら下げて一人で訪れた。妖刀の《春雨》も脇差もない。無防備な着流し姿だった。話しが通じていると見えて、衛士は慇懃に新九郎を迎え、西郷の所まで案内した。
「よく来られました」
西郷が出迎える。
「夜分に失礼する。そなたの話しをじっくりと聞きたいと思って来た。新しき世のことを話して欲しい」
新九郎は食い入るように西郷を見つめた。西郷は石像のように表情がない。
「徳川方の貴方が我々の政策に興味を持つとは面白い」
ぎょろっとした目で西郷は新九郎を見つめた。
「徳川などたまたま実の父がそうだったというだけのこと。心は今も草刈の姓に愛着がある」
「そうですか」
「そんなことより新しい世の話しを」
「ですな。少し昔のことから話さなくてはなりません。関ヶ原の合戦で勝利した家康公は外様大名は遠国に大領を与え、親藩、譜代大名は江戸の近くを固めて政道も親藩、譜代で行われていました。鎖国している間はそれでも成り立ちました。ただ現状を保守していればよいのですから。しかし黒船が来て状況は変わりました。保身に汲々としていた幕府だけでは何も出来ません。実際、無茶苦茶な不平等条約を結んでいます」
「うぬ」
「幕府がもし各国の逸材にどうするべきか問えば、もっといい答えが出て来たかもしれません。なのに『安政の大獄』などで賢人を何人も殺してしまった」
「うぬ」
「皆で意見を出し合って良い国を作る。これが私達の考えです」
西郷は話しを終えた。
「それがしの考えていたことはそれと同じだ」
新九郎が言うと、西郷が、
「どういったことが同じなんですか」
と聞いた。
「それがしが将軍の座に付くことを承諾したのはこの国を根本からぶっ壊したいとおもったからだ」
「なぜに」
「それがしは恩恵国という小国で良き老博徒に出会い、彼を手伝うことで、最終的に皆で国の行く末を決めるという制度を作ることが出来た。将軍になることで今度は博徒、百姓、猟師、職人、商人、武士、公家、そして天子様。様々な立場の者の代表が意見を戦わせ、物事を決めて行く。そんな国を作れると思ったのだ」
新九郎は自分の意見を述べた。
「ほぼ同じですね」
西郷が感嘆する。
「徳川方に同意見の者がいらっしゃるとは思いもしませんでした」
「それがしは大政奉還し、徳川家の所領を天子様にお返しする」
「その後は我々と新政府で働きましょう」
西郷が言う。
「いや、それがしの身体は薬でぼろぼろでござる。どうか親子三人が食べていける田んぼと畑を恩州、鶴見の地に与えて欲しい。残り少ない人生をちょっと楽しくやりたいと思うのだ」
そう言うと新九郎は陣所を出た。
「お帰りですか」
先ほどの衛士が言った。
「ああ」
そう言って新九郎はその顔を見た。
「お主は銀ノ助」
「ええ、大斧、小斧もいますぜ」
「それがしを斬る気か」
「いいえ、おたがい新しい世で楽しくやりましょうや」
「ふふ、そうだな」
新九郎は帰って行った。
翌日。
大坂城の広間で、新九郎は和睦がなったこと。大政奉還すること。徳川家の所領四百万石を天子様に返納すること。自分は草刈の姓に復することを発表した。とたんに文句を言いかけた遠藤伊賀守と飯沼大和守に、
「異議のある者は自分の好きにするがよい。だが実権はそれがしにある。それとも行方の知れぬ家元公にお伺いをたてるか? 戦がしたければすれば良い。全て自由なのだ」
と言い退けた。その後博徒や足軽のいる庭に出て言った。
「皆、戦は終わった。これからは身分の差なく言いたいことを言い、やりたいことが出来る世になる。君たちは自由だ。真っ当に働いて対価を得る喜びを味わうも良し、自分で商売を始めるも良しだ。ここに些少ながら金須がある。皆今後の資金とせよ」
「ワー」
喚声が起こった。
「駿河、大目玉、伊勢、志摩の各貸元には手助けありがとう存ずる」
新九郎は四人に頭を下げた。
「あなた方はこれからどうやって」
「皆、それぞれ本業があります」
「そうですか」
四人と新九郎は笑顔で別れた。
「そういえば、文吉親分と利兵衛さんはどうしているのやら」
そこへ杖をついた熊太郎が、
「結局我々、主立ったものは一人も死にませんでしたね」
というので、新九郎は、
「不動明王様のご加護だろう。だが敵味方合わせ多くの者が散って行ったことを忘れてはならない」
と呟いた。
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