相甲の出入り

 梅雨に入ったというのにその日は朝から晴れだった。

「俺の旅立ちをお天道様が祝福してくれてるぜ」

 竹竿の安五郎はご機嫌で言った。

「兄貴は天気さえ味方に付けるんですね」

 白馬銀ノ助がお追従を言う。

「さあ、出陣だ」

 安五郎は地元の英雄、武田大膳大夫にでもなったように軍配を返す。そして太り肉で長時間歩けないので輿に乗っていた。


「あ、動き出した」

 草影で安五郎の動きを見ていた、飛騨の山猿は一緒に連れて来た鷹の紅に手紙を括り付け飛ばした。山猿は新九郎の命で甲斐竹竿村に潜入、安五郎の動き出しを伝えるよう命令されていたのだ。

「これじゃ草の者だな、忍者じゃなくて博徒なのに」

 山猿はぼやいた。

 紅は半刻で小田原に居る新九郎の元に来た。

「ついに動き出したか」

 とつぶやく新九郎の格好がおかしい。あの『青龍蒼色縅』を身につけているのだ。これは、前の会合の折、小十郎が「ぜひとも着用頂きたい」とわざわざ小者の伝助までよこして無理矢理着せてしまったのだ。そして兜の前立てには新九郎が欠かさず懐に入れていた、不動明王像が立っていた。明王像は兜の一部だったのだ。

 この戦い、小田原方の総大将は新九郎である。右衛門にはとても無理だし、凪の文吉は、

「あたしが総大将になる」

と喚いたが皆に諭され鶴見に居残っている。

「今出発したなら到着は四日後か」

 磯子の千ノ助が言う。彼は大人しいが慧眼を持っていると新九郎は思っている。

「敵は箱根を最初に突くでしょう。助けますか」

 松近健一郎が聞く。

「うん攻めいった所に後ろから攻撃するのもいいな」

「八蔵とやら小田原と相当仲が悪いと聞きますが」

 健一郎が聞くと、

「命を助けられて文句を言う者はいないだろう」

 新九郎が答えた。すると、

「新九郎様大変です。城代様がこの人数は何かと詰問にやって来ました」

右衛門が慌てて注進に来る。

「会おう」

 新九郎は立ち上がった。


「この人数は何じゃ。謀反でも企てとるのか」

 城代の小久保左膳が怒鳴っている。そこへ甲冑姿の新九郎が現れたものだから、左膳は真っ赤になって怒った。

「貴様、何奴」

「それがしは草刈新九郎。この地に、極悪非道の《狂犬》竹竿の安五郎が来ると聞いて恩州よりやって参った。城代殿は知らぬか」

「し、知らぬ」

 『草刈』と聞いた瞬間から、左膳はビビっていた。恩州と相模は陸続き、《左斬り》の噂も耳に入ろう。所詮はずる賢い小役人である。空威張りの裏に怯えを強く持っている。

「城代殿、我らと安五郎を倒しませんか。手柄は皆、貴殿に差し上げるから。どうですか」

「や、やくざの喧嘩に我らは関与しない」

「ふふ、ではお引き取り下さい。ああ、言い忘れましたが貴殿の行状、恩州六浦代官、草刈小十郎が老中遠藤伊賀守様に文書をしたためております。ご承知あれ」

 新九郎が言うと小久保左膳は足から崩れた。

 

 四日経っても安五郎軍は来なかった。山猿の伝令によると、竹安軍は百姓が多く、この戦いに乗り気でない者が少なからずいて、自然足は遅くなっている。本当は誰もが竹竿村帰りたい所だが、安五郎が怒ると怖いのでとぼとぼ歩いているという。それを知った新九郎は、

「作戦変更! こちらから敵に襲いかかる」

 と叫ぶと、

 一番隊、千ノ助。

 二番隊、熊太郎。

 三番隊、染吉、公介。

 四番隊、虎太郎。

 五番隊、竜太郎。

 六番隊、竜平、又五郎、長太郎。

 後詰め、新九郎、健一郎、友蔵、右衛門。

 急ごしらえの戦陣を組んだ。そして大声で、

「走れ!」

 と号令を掛けた。


 先陣の千ノ助軍は一刻程で敵の先頭を見つけた。

「逃げる奴は追うな。百姓だ。迫って来る者だけ斬れ」

 そういうと千ノ助は一番に走り出した。安五郎側の先頭は焦ったように逃げ出した。

「逃げるな、数では勝っている」

 代貸の鶴太郎が気勢を上げるが崩れは止まらない。それを真ん中で見ていた安五郎は、

「精鋭を前に出せ」

 と指示した。

「よし、ここまで陣形を崩したら、熊太郎さんに任そう」

 千ノ助軍は素早く引いた。次は最大人数を誇る、熊太郎軍だ。彼らの多くはかつて新九郎と長太郎に鍛えられた猛者だ。それが安五郎の精鋭とぶつかる。

『ガチーン』

『キーン』

 長脇差のぶつかる金属音が響く。互角の戦いだ。味方の損害も大きい。そんな中熊太郎に大勢の敵が斬り込む。

「くそっ」

 熊太郎が諦めかけた時、

「熊さん、今助けますよ」

 と染吉、公介の軍が登場。敵の中程まで斬りつけた。

 動揺した安五郎が、

「銀ノ助どうする」

と横を向いたが銀ノ助の姿はなし。

「野郎、逃げやがったな」

 どなる安五郎に、虎太郎、竜太郎両軍が斬り掛かる。

「ひえー」

 なんと腰の引けた輿担ぎが恐怖で逃げ出した。それを六番隊が囲む。

「太り肉と馬鹿にするなよ」

 輿から立ち上がった安五郎が無茶苦茶に長脇差を振り回す。竜平、長太郎の子分に死人が出る。

「こいつはそれがしが斬る」

 新九郎が前に出る。安五郎が突っ込んで来る。

「やー」

 新九郎の左袖が真っ赤に染まる。

《狂犬》と恐れられた、竹竿の安五郎はあっけなく斃れた。


 この戦いで死者は安五郎側にわずか三十五人。後は逃げ出したので不明。まともな戦力が少なかったということだ。小田原方は、死者は十五人、怪我人が二十七人。中でも重傷は熊太郎で、戸板で小田原の屋敷に運ばれた。

 そして白馬銀ノ助は大斧、小斧と供に姿を消した。

 新九郎は、

「これを機に右衛門さんを隠居させ半蔵さんが貸元をついだらどうだ」

と強引に話しを付け、右衛門は念願の絵師になった。最初に書いたのは甲冑姿の新九郎で、その絵は今も苦災寺の茶室に張られている。

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