代官石田右京
恩恵国六浦代官石田右京大夫は日課である鯉の餌やりをしていた。何十もの錦鯉が池から口を出す。極めて愉快である。
それに飽きると右京は茶室に入った。京より取り寄せた抹茶をこれまた京の上菓子で喫する。極めて美味である。
六浦の代官になってから右京は楽しい事ばかりやっていた。勤めは与力、同心に任せっぱなしである。それは、
(こんな田舎でまともにやってられないわ)
という自棄糞な気持ちから出ている。だから賄をせいぜい稼ぎ、好きな事だけやって、江戸からの帰還命令を待っているのである。そこへ、
「お代官様、戸塚の友蔵、しょっぴいて参りやした」
と六浦湊の浦五郎がやって来た。
「そうか」
嬉しそうに言う、右京。彼はこれから友蔵を拷問にかけるつもりだった。そして拷問こそ、彼の最大の楽しみであった。
「じっくり、責め立てよう」
右京はニヤッと笑った。
「じゃあ、さっそく」
浦五郎が言う。
「駄目駄目。まずは半日、板の間に放置するのじゃ。さすれば不安と苛立ちで頭が混乱する。頭の苦しみは身体のそれより苦しいものよ」
右京は嬉しそうだ。
「そうじゃ、浦五郎。茶の相手をせい」
「へい」
浦五郎は難儀そうに腰を上げた。
茶室にて。
「どうも近頃、賄の入りが少なくなっているのう」
右京が無表情に言う。
「申し訳ないこって。浦賀に黒船が来て以来、人心穏やかならずで商売も博打も上手くいかねえっす。これもご政道の乱れって奴でさあ」
「生意気を言う。お主、十手を返すか。元々恩州一の博徒というからお主を十手持ちにしたのに、どうだ近頃では鶴見の文吉なる者の方が人望もある。飛んだ見込み違いだ」
右京は手厳しい。
「お代官様、もうちょっと待てておくんなさい。友蔵を始末したら、帷子、磯子をも倒して南恩州を統一。最後にゃ文吉と決戦してこの恩州を取り纏めまさあ」
「大きい事を言うのう」
「ええ、実は甲州の大博徒、竹竿の安五郎と杯を交わしまして、協力な助っ人を得ましたんで」
「ほう」
「これを大蛇の悪造といいまして頭は切れる、腕は立つという男なんでございます」
「なら見せてみよ」
「へい。入って来なよ悪造さん」
「へい」
茶室に入って来た悪造をみて右京は驚いた。悪造は大谷刑部のごとき覆面をつけていたのだ。
「おぬし、その顔は」
思わず問う右京。
「それは聞かずに置いていただきたい」
悪造は答えた。
「そうか、ならば聞くまい」
「へい、そう言う訳で、この悪造を軍師にしやして恩州統一ってわけでやんす」
「分かった。では夕刻に友蔵の沙汰を始めるからそれまで下がっておれ」
「へい」
浦五郎達を退出させると右京は茶室で横になった。
「悪造とは……偽名にしてもほどがあるわ。だが面白い。……浦賀の黒船か。一年後の約束を半年で来おって。江戸城のお偉方も焦っているだろうな」
いつしか右京は眠りに付いた。
しばし後、
「お代官様」
と与力の岡村主計が右京を起こした。
「なんじゃ、良き夢を見ていたのに」
「一大事でございます」
「なに」
「黒船が我が国の横浜村に入りました」
「なんだと! 面倒だがこれは出張らねば」
「はい」
「浦五郎を呼べ」
「ははあ」
浦五郎はすぐ来た。
「お代官様、いよいよ友蔵をやるんですね」
「馬鹿者、それどころではないわ……そうだ横浜村を仕切る博徒は誰だ?」
「帷子の染吉でございます」
「そうか。お主より役に立ちそうじゃの」
右京は嫌みを言うと茶室を出て陣ぶれをした。
「何だよ、どっか行っちゃったよ。友蔵はどうすんだよ。ひと思いにやっちまうか」
浦五郎が乱暴に言う。
「貸元、それはいけねえ。焦らして焦らして、戸塚の子分衆がしびれを切らせて代官所を襲って来たときに返り討ちにするのがもっとも効率がいい。なにせこちらには種子島が二十丁もあるんだ。負けはしねえよ」
悪造がしたり顔で言う。
「そうだな。でも少々痛めつけるのはいいだろ」
「もちろんでさあ」
悪造がヒヒヒと笑う。だがその表情は覆面に隠れて見えない。
石田右京大夫一行が横浜村に辿り着くと、すでに幕府老中飯沼大和守が陣幕を張り部下と協議していた。そっと陣中に入る右京。すると、
「遅すぎるわ、右京。それでも恩州の代官か」
烈火のごとく怒る大和守。
「申し訳ございません」
「謝って済むものか。見よ、海岸を。この地の顔役、染吉なるものが、我らより先に見張りに立っておる。殊勝なことじゃ。それに比べて貴様の遅参許せぬ。六浦に戻って謹慎せい。追って沙汰する」
「ははあ」
歯ぎしりして答える右京。その目は帷子の染吉の背中を睨む。
「やくざ風情が生意気な」
やむなく右京は、今来た道中を戻る事になったが、内心、憤懣やるかたない。
「これでわしも良くて更迭、下手をすれば切腹じゃ。こうなったら最後に友蔵を思いっきり可愛がってやる。殺したっていいわ」
右京は馬上で卑屈に笑った。
代官所では取り調べと言う名の拷問が始まっていた。もともとでっち上げの罪だから友蔵はこの展開に迷い、しばし後覚悟を決めた。
「俺は殺される。せめて任侠として恥をかかないように死のう」
この時から友蔵は達磨になった。
先を割った青竹で浦五郎が友蔵を殴る。
「痛いか、友蔵。素直に白状しないともっと叩くぞ」
何を白状すればいいのか分からない友蔵は黙って撃たれている。そこへ、
「浦五郎、なにを勝手にやっているのじゃ」
右京が現れた。
「お代官様、お早いお帰りで」
「うるさい」
右京は苛立つと、友蔵に向かい、
「青竹などで打ち据えて悪かったな」
と意外なことを言った。
「お代官様、分かって頂けたので。わたくしは何も御定法に触れることなどしておりません」
「ふふふ……分かっておるわ。だがな、お主のような頑固者がいると、わしの懐に入る賄が減るのじゃ。お主みたいのが最近増えてのう。鶴見の文吉、帷子の染吉、磯子の千ノ介……奴らが調子に乗らないように見せしめを作っておかねばの。あっ、もうわしは終わった身だった。今の話しは取り消しだ。わしは趣味でお前をいたぶるのじゃ。下人共、友蔵の手足の指と爪の間に釘を打て」
「うっ……」
さすがの友蔵も声を上げる。
「石を抱かせろ。五枚だ」
右京は容赦なく指示する。ビシャっと骨の砕ける音がする。
「浦五郎、石の上で踊れ」
「えっ、無理ですよ」
浦五郎が拒否する。
「駄目だ、やれ」
仕方なく子分に手を取ってもらい、石の上で浦五郎は下手くそな踊りを踊った。骨や肉が潰れる音がする。
「しぶといのう。あれをやるか」
右京は石を退かせると、友蔵を四つん這いにし、火で熱した十手を肛門に突き刺した。
「ギャー」
「うへえ」
右京の仕業は浦五郎や悪造の想像をも越える鬼畜の振る舞いだった。
「死んだか」
平然と問う右京。
「いえ、かろうじて息はしています。でもこのままじゃあ……」
青ざめる浦五郎。まさかここまでするとは。彼はおじけづいてしまった。
「今日はここまでじゃ。牢に入れておけ。明日まで命が持てばとどめを刺して楽にしてやろう」
そう言うと右京は役宅に消えた。
(さて、財宝を纏めて出奔の準備をしようかな。勘定奉行の詰問使が来てからでは遅いからな)
右京は逃げ出す決意をしたようだ。
「とんだ代官だ。狂人だ」
浦五郎が喚いた。
「落ち着きなさい親分」
悪造が言う。
「俺たちもいずれ、あんな拷問を……」
「だから落ち着けって。あの気違い、こう言っただろ『わしは終わった身だ』と。横浜村で江戸方と揉めたんじゃないか。帰って来るのも早過ぎたし」
「そ、そうだな」
「ってことは代官更迭だな。つまりは何の役にも立たねえ」
「うん」
「ここは明日にでも種子島だけ奪って湊に帰ったほうがいいですぜ」
「そうだな」
「戸塚方には文吉が付いている。へたすりゃ明日あたり、子分達が大勢やってくるぜ」
「そうだな」
「とりあえず帰り支度をしよう」
浦五郎と悪造は拷問部屋を出た。
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