7】理塚くんへの感謝がマズった件-1

「ただ、一つだけ僕からお願いがあるんだ」


 僕は、アイスをかじりながらそんなふうに切り出した。

 あれから、道端で長々と話すのもはばかれたので最寄りのコンビニの駐車場へ移動し、僕が買ったアイスを二人で食べながらのことだった。

 沢瑠璃さんは、カップアイスのスプーンを持つ手を止めて、僕を見返してくる。


「条件を出す手下ってたぶん前代未聞だけど」


 僕は絶句した。承諾した憶えのない主従関係? 雇用関係? が、仲直りを機に密かな復活をとげていた。僕はその手口の呼称ををなんというか知っている。既成事実というやつだ。


 沢瑠璃さんはスプーンを持つ手を適当にぷらぷらと振った。


「でもアイスをおごってもらってるし、一つならいいぞ」


 僕はアイスを交換条件にしたつもりはなかったけど、アイスが交渉の俎上にあげられたのならこれはマズいと思った。なにしろこれは、もしかしたら沢瑠璃さんにとってのおでんに等しいかもしれないくらい僕にとっての重要事項なのだから。だから、アイスを断られるかもという危惧感を持ちながら沢瑠璃さんに打ち明けた。


「おでん探しを手伝う代わりに、沢瑠璃さんには僕の高所恐怖症を克服するのを手伝ってほしいんだ」


「いいよ」


「いいのっ!?」


 摩擦ゼロ摩擦熱ゼロの速度で戻ってきた彼女からの返答に、僕はもう条件反射的に聞き返すしかなかった。ヘンなことを言いはしてないけど、この上がり速度に対するその下り速度は、どの通信会社も提供していない。


 次の言葉を継げないでいると、沢瑠璃さんはすくい損じたアイスのかけらをつつきながら、


「だってお前、高い所を見るのもダメなんだろ? だったらそうしないと、おでん探せないじゃない」


 僕は、すくい損じをすくい直す彼女の横顔を見つめてしまう。……ちゃんと考えたうえでのあの電磁砲のような高速の返事だったの?

 沢瑠璃さんが「でも」と言葉を続けた。


「お前さっき私を見上げてたけど、あの高さなら大丈夫なのか?」


「さっき?」


「……お前、鳥頭ね。鳩でも五歩目までなら憶えてるぞ。さっきのアパートのことよ」


「え、あ、そう言えば」


 たしか鶏で三歩じゃ、と気が散りそうになって、そう言われればたしかにそうだった。沢瑠璃さんがアパートの屋上にいるという迷シーンに気を取られたといえ・・……もしかしたら理塚くんから聞いた古賀征一郎さんの話がまさにそれなのかもしれない。そう考えると少し自信がついた気がして、沢瑠璃さんに「うん」と頷いた。


 「そう」と小さく返事をしたあと、まるで呟くように沢瑠璃さんが続ける。


「いいわよ。私だって、自分のことだけお願いするほど神経太くないし」


 ……彼女にはぜったいに言えないけど、意外だった。意外と思わさせられるほどそういう毛色の会話が多かっただけに、意外だった。だから、「ありがとう」と返すのがやっとで、『その方法』を伝え忘れていたのは仕方なかった。それに、彼女も聞いてこなかった、というか後で判明するけど聞き忘れていたそうだった。


「でも、私のいるところ、よく分かったな」


 唐突に話題がすり変わった。ので、「あ、うん」と頷いたあと、「いや、偶然たけどね」と答えなおし、それで「あ!」と唐突に思いだした。こっちの方向へ向かった理由の一つを、沢瑠璃さんに確認しなければならない。


「そうだ、沢瑠璃さんおでんの写真見せて」


「一回につき税込み四百円ね」


「なにそのやや割高設定! しかもしっかりした納税義務感!」


「冗談に決まってるだろ。あ、後でスマホに送るぞ」


「え? あ、はい、ありがとうございます」


「はい」


 不必要なやりとりの後に見せてくれたおでんの写真を見て、「やっぱり」と僕は呟いた。その言葉の対象は、昨日写真を見たときに気づいておくべきことだった。

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