第二四話 バーニングラブなお話

 自動車販売所の前を通り過ぎ、西へ向かって走り続けていると、見覚えのある川に行きあたった。僕らが渡ろうとして果たせなかった川、再びそこへと戻ってきたのだ。

 進路を転換し、北へとハンドルを切る。後を追って走ってくる感染者の数は減るどころか、続々と増え続けている。後部の荷台のラジカセが大音量で歌を流し、クラクションを鳴らしまくって走っているのだから見つかって当然なのだけど。


「うわっ……」


 放置された乗用車の脇を通り過ぎようとした時、物陰から両手を伸ばした感染者が飛び出してきた。一瞬ブレーキを掛けそうになったが、勇気を振り絞ってアクセルをふかす。間一髪、伸ばされた両手に捕まることなく僕は感染者をかわすことに成功した。

 だいぶ慣れてきたとはいえ、何せ運転をするのは今日が初めてなのだ。事故への恐怖心からとっさにブレーキを掛けようとしてしまうし、何回もハンドル操作を誤りそうになった。さっきなんて交差点を曲がろうとして減速した時、うっかりエンストしかけた。どうにか感染者と距離を取ることには成功したが、あの時はさすがに死ぬんじゃないかとヒヤヒヤしたものだ。

 こうやって100人隊に追いかける芸人よろしく感染者を引き連れて走っている今も、その数はどんどん増えている。現に目の前では民家や建物からぞろぞろと感染者が飛び出してくるし、さっきのように物陰から突然現れる感染者だっている。たまに背後を振り返って感染者の数を把握しようとしたけど、10体まで数えたところで諦めざるをえなかった。第一、サイドミラーに映る光景は既に感染者で埋め尽くされている。


「どんだけいるんだよ……!」


 そう罵ったが、感染者が消えてくれるわけでもない。第一、今の僕の役目はナオミさんたちが無事に車両を確保しマンションに戻るまで、感染者たちの目を逸らし続けることなのだ。最低でもあと20分かそれ以上はこの状況を維持しなければならない。

 既に火炎瓶は投げつくしてしまった。ポケットの中の手榴弾を投げつけたい衝動に駆られたが、これはタンクローリーを爆破して感染者を一掃するための最後の手段だ。ここで使ってしまったらそれこそ燃料が切れるまで、僕は感染者に追われ続ける羽目になる。そうなったら待っているのは死だけだ。


 しかし、懐かしいものだ。この川に沿って北へ向かっていたのはたった数週間前の出来事なのに、もう何年も昔のことのように思える。あの日の僕は精魂共に疲れ果て、挙句の果てには慢心で結衣と愛菜ちゃんを殺しそうになった。

 あの時は頭がふらふらしていたが、この辺りの地形は大体覚えている。放置された車両も進路上の道路の形も、何もかも記憶の通りだった。となると、あと1分も走れば再びあのマンションの前に出るだろう。

 腕時計に一瞬視線をやると、既にかなりの時間が経過していた。さすがにもうナオミさんたちは車を確保しているだろう。あとはもう一回マンションの前を通って再び周囲の感染者を惹きつけ、タンクローリーまで突っ走るだけだ。

 ハンドルを左に切り、トラックとバスで塞がれた橋を尻目に再びマンションの前を通過する。僕が出てきた地下駐車場の入口はシャッターが全開になっていた。ナオミさんたちは車を確保したらそのまま地下駐車場へと直行し、荷物を積んでから合流地点へ向かうと言っていた。

 あとどれくらい時間がかかるのだろう? とにかくさっさと感染者たちから逃れたい。さらに増えた感染者をサイドミラーで確認した僕は、そう思わざるをえなかった。



 その後もしばらく先ほど通った道路を走り続けたが、僕の後ろをついて来る感染者はほとんど減らなかった。既にマンション前にいた感染者は全て僕の後を追って来ているので、ナオミさんたちがマンションに戻っても安全だ。

 数分も北へ向かって走っていると、道路の左右にはマンションやビルではなく住宅が並ぶようになった。街の中心から離れてきたせいだろう。住宅街はあちこちで火事が発生したのか黒焦げの瓦礫が所々で見えるし、感染者から逃げようとして操作を誤ったのか、狭い道路の至る所で乗用車が事故を起こしたまま放置されていた。減速してそれらの障害物を避けるたびに、追いかけてくる感染者との距離は徐々に詰まっていく。事故を起こすわけにもいかないから無意識のうちに速度を落としているせいで、感染者と上手く距離をとることが出来ないのだ。


 ハンドル部分にテープで留めた小さな地図を確認すると、タンクローリーまであと数百メートルの場所にいることがわかった。しかし感染者の数は相変わらず減っていない、あれだけの数を爆発で一掃できるのだろうか?

 感染者はどうやら街の中心部に集まっていたらしく、この辺りにはあまりいないようだ。とはいっても油断は出来ない。入り組んだ路地のせいで視界は悪いし、障害物も多い。減速したところを襲われでもしたら、僕は一巻の終わりだ。

 燃料はまだまだあるし、エンジンも好調に回転している。しかしそれもいつまで保つのだろうか? 徐々に恐怖が僕を支配していく。

 一人に戻った途端、これだ。今まで散々他人の命に責任を負いたくないとか言っていたくせに、いざ皆と別れて一人だけになると不安になってくる。やっぱり僕は、皆と一緒にいたいのだろうか?

 わからない。一つ言えるのは、それを考えるのは後回しにしなければならないということだけだ。ここで死んだら考えることも出来なくなるし、愛菜ちゃんにいつか真実を告げることも出来ない。今は生きることだけを考えなければ。


 やがて前方に、道路の大半を塞ぐようにして停まっているタンクローリーの姿が見えてきた。どうやら運転手がパニックに陥って感染者から逃れようと狭い住宅街を走ろうとしたが、途中で行き詰って放置されたらしい。タンクローリーの運転手が助かったかどうか知る術はないが、あそこに車両を放置した運転手に今は感謝だ。

 アクセルをふかし、さらにスピードを上げる。まるで壁のように道路を塞ぐタンクローリーの車体が徐々に眼前に迫り、途端にブレーキを掛けたい衝動に駆られた。しかしもう一々安全のために減速している余裕はないのだ。感染者たちは僕のすぐ後ろにまで迫ってきている。

 僕はハンドルから両手を離すと、ポケットから手榴弾を取り出した。映画ではよく口に安全ピンを咥えて引き抜いているが、ナオミさん曰く実際にやったら歯が欠けるどころの話ではないらしい。手放し運転は危険だが、手榴弾を爆発させるには短い間だけ両手を自由にする必要があった。

 左手で本体を掴み、右手の指を安全ピンの輪に通して勢いよく引っこ抜く。脱落防止に先端が曲げられていた安全ピンが引き抜かれると途端にバネの力で安全レバーがはじけ飛びそうになるが、左手の握力を総動員して押さえつけた。手榴弾は安全レバーが外れた数秒後に爆発するとナオミさんは言っていた、ここで爆発させても感染者をせいぜい数体倒すだけで終わってしまう。タイミングを見計らい、タンクローリーへ投擲する必要がある。


 覚悟を決め、アクセルを全開にふかした。ぐんとバイクが加速し、メーターの針が勢いよく右側へと傾いていく。あ、これはヤバいかもしれないと思った直後、何かが壊れる音と共に僕はタンクローリーとブロック塀の隙間を通り抜けることに成功していた。運転を始めたばかりなのに加えて片手でハンドルを操作していたせいかどうやら右に寄り過ぎていたらしく、右側のサイドミラーがブロック塀にぶつかって消失してしまっている。

 ひとまず最大の関門を突破したが、安心している暇はない。感染者たちはすぐ後ろにまで迫っている。タンクローリーの車体目掛けて手榴弾を放り投げ、脇目も振らずに走った。

 タンクローリーが停まっていた先の道路に十字路があり、僕はハンドルを右に切って身を隠そうとした。どうにか交差点を曲がった直後、耳をつんざく轟音と共に、熱風が背中に吹き付けてきた。爆風でバランスを崩した僕はバイクから放り出され、民家の軒先の藪に頭から突っ込む。

 どうやら爆破に成功したらしい、と音が消えた世界で僕はそう悟った。ヘルメットがなければ即死だったと思う暇もなく、ひっくり返った僕の視界に、宙を舞う無数の火球が飛び込んでくる。どうやらタンクローリーが爆発した時、火のついた無数の破片が飛散したらしい。放物線を描いて飛翔する火球のいくつかは、まっすぐ僕の頭上に落下するコースをたどっていた。


「嘘だろオイ!」


 バイクから放り出された衝撃で全身が痛み、爆音で耳鳴りがして頭はフラフラしていたが、どうにか立ち上がることに成功した。そのまま痛む身体を引きずって庭に出ると、両手で頭を庇い、庭に面した一階のリビングの窓へと突進する。

 突進を食らって割れたガラスの破片と共にリビングに飛び込んだ直後、さっきまで倒れていた玄関先に一際大きな火球が落下するのが見えた。ボッ! という大きな音を立てて勢いよく藪が燃え出し、屋根に破片が当たる乾いた音が家中に響いた。

 さらに爆発が起きたのか、民家の屋根越しに一際大きな炎の柱が立ち上るのが見えた。今度の爆発は先ほどのそれとは比べ物にならないほど大きく、爆風でガラスが割れ室内を舞った。とっさに足元にあった座布団を頭に被りその場に伏せたが、爆発の熱気は離れたこの家にも届いている。




 数分後、ようやく僕は頭を上げ、恐る恐る立ち上がった。ガラスが割れ枠だけになってしまった窓の向こうでは、空に向かって黒煙が立ち上っている。聴覚もだいぶ回復したのか、感染者の断末魔の叫び声が聞こえてきた。ガソリンの臭いと共に、髪や肉が焦げる嫌な臭いが漂ってくる。


「……やったか?」


 庭に出た途端何かを踏んづけたので見てみると、僕が踏んだのは引き千切られた人間の手だった。どうやら爆発に巻き込まれた感染者のものらしい、よくよく見てみると所々に焦げた肉片が転がっている。

 あれほど聞こえていた感染者の咆哮はもう聞こえない。思い切って民家の外に出ると、ブロック塀にぶつかって無残にひしゃげたバイクの姿が飛び込んできた。ナオミさんは二階から落っことされても動くバイクだと言っていたが、タイヤがパンクしホールが曲がってしまっているのでもう走れないだろう。どのみち、これから先は徒歩だ。エンジン音を響かせていたら合流地点まで感染者に追いかけられることになる。

 バイクに敬礼した僕は、斧を片手に元来た道を引き替えし、先程の曲がった十字路から顔を覗かせた。手榴弾の爆発に巻き込まれたタンクローリーは激しく炎上し、周囲には感染者たちが折り重なるようにして倒れている。どれも身体が変な風に曲がり、中には爆風でもぎ取られたのか身体の一部がないものまでいる。

 その後ろでは火のついたガソリンをマトモに浴びてしまったのだろう、感染者たちが全身を火に包まれながらよろよろと歩いていた。その動きには先ほどまで僕を追っていた時のような素早さはない。大やけどで身体が上手く動かないのだ。

 感染者には火を消すという発想がないので、全身火達磨になっていてもあーうーとうめき声をあげて彷徨うことしかできない。このままあと十数分もすればショック死を起こすか、あるいは完全に燃え尽きて死ぬかもしれない。

 炎や破片で目を潰されたのか、彷徨う感染者たちが僕に気づく様子はない。これで僕は目的を果たしたことになる。感染者をナオミさんたちの元から引き剥がし、タンクローリーを爆破してその大半を倒すことに成功した。あとは3人と合流するだけだ。

 藪に突っ込みガラス窓を突き破り、全身が痛み血が流れていたが、ここで休んでいる暇はなかった。火災はますます広がり、タンクローリーの周囲の民家から次々に延焼し始めている。ここにいても黒焦げになるだけだ。

 僕はポケットから予備の地図を取り出すと、斧を片手に合流地点へ向かって歩き出した。

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