第9話 俺、今、女子牛丼食事中

 俺が川べりで喜多見美亜あいつかからのメールを見ていると、スマホはブルブルも一度震えて、

「ふん? 来たな……」

 それは、沙月からの呼び出しのメールであった。

 明日に沙月の家にやってこいとの指示だけを書いたその内容は、なぜか、その方がより彼女のいらつきと、より残忍になったその心持ちを示しているような気がしたが、でも、それって、

「そう思いこんでいるからかな……」

 そう呟くと、スマホをしまう。

 まあ、相手がイラついていようが、自分がイライラしていようがどっちでも良くて——どっちにしてもこの後は戦争なんだ。今はそんなことを考えて立ち止まっている場合ではなかった。しなければならないのは、

「明日はホームパーティともなれば、準備をしないといけないな」

 俺はそう呟くと、そのまま川べりから土手へ、そしてその向こうの高層ビルの立ち並ぶ二子玉の街へ向かうのだった。


   *


 土手から振り返り見る、反対側の川崎市側の川辺では、バーベキューの人たちが隙間なくテントを張り、肉を焼いていた。

 ふん、もう結構暑いのにリア充の皆さんは元気なことで、と鼻で笑ってその場を通り過ぎようとしたのだけれど、思わず立ち止まる俺。風向きの関係で、肉を焼くなんだか良い匂いが、こっちまで漂ってきて、

「腹減ったな」

 と思わず俺は言葉に出してしまうのだった。

 よく考えたら、俺は、朝から何にも食べないで、掃除に、川べりの散歩にとずいぶんと動いていたのだった。なんだかいろいろ思うこといっぱいで気づかなかったけど、俺は自分の腹がずいぶんと減ってしまっていたのに今気づいたのだった。そして——気づいてしまえば、それはなんとも耐えようもない空腹だった。

 ならば、どこか適当な店に入るか?

 俺は多摩川から二子玉の街に向かいながらそんなことを思うが、

「でもどこ入ったらいいんだろうな?」

 ピカピカのお洒落な街を見ながらそんな言葉を小さな声で呟くのだった。

 前に喜多見美亜あいつの中にいた時の、原宿駅前でパニックになった時みたいに、入れそうなファーストフードとかコーヒーショップとかが見当たらなかったとかそういうのではないのだが、逆にので迷うってこともあるんだなと俺は認識を新たにする。

 ……と言うか——入りてえ。この目の前に見える牛丼屋にこのまままっすぐに交差点突っ切って丼を掻き込みてえ! 俺がしたいことは一点の迷いも曇りも、時々晴れとかでもなく、なんの疑問も愚問も心から湧き出てはこないのだった。

 桃源郷それはそこにある。ファッとしなくても、夜叉の構えを取らずとも、俺はそこに入ることができる。このまま交差点を渡れば、俺は今なら悪魔に魂を売っても構わないと思う牛丼それを食べることができるのだった。

 でも、

「百合ちゃんはこんなとこ入るのだろうか?」

 ふと俺の口から出るそんな言葉。

 俺が今、中に入っている、百合ちゃんみたいな清楚でおしとやかそうな美人女子高生が一人で牛丼屋に入ってどんぶり飯をかっくらう……これはアリなのかナシなのかどちらなのだろうか? そんなことを思ってしまうと、俺の足は二子玉に入る交差点でピタリと止まってしまったのだった。

 じつは、喜多見美亜あいつの体に入った時は平気で牛丼屋でもネカフェでも入った俺だったが。それは(今ではそれだけの奴じゃ無いってわかってるけど)クソリア充の評判がどうなっても知らんよとか思ってたのもあるし、そもそも——なんとなくだけど——喜多見美亜あいつは別にそういうところ入るのもいやがらないんじゃないかなって思えたのだった。むしろ、勉学にスポーツに合コンに、完璧美少女の外面を自分では崩せない喜多見美亜あいつにとって、俺がそれに反した行動をしてくれる——自分を変えてくれることを望んでいたような気さえしたのだった。

 まあ、俺の勝手な考えといえばそうだし、喜多見美亜あいつにそんなことを聞いたなら即時否定されて、俺のハードディスクのコピーををポンと教室の机の上に放置とかされていそうだけど……。

 でも百合ちゃんは、そもそも、本当の自分を——あの沙月のせいで——隠して、嫌われ者として生きていかなければいけない境遇に陥っている状態なのだ。そんな子の評判をさらに悪くする可能性のあるような行為は俺はしたくない。そう思うのだった。

 いや、大げさに考え過ぎかもしれない。たかが牛丼屋に入るくらいで、そんなに構える必要はないだろう、と思わないでもない。

 別に、女子高生が一人で牛丼食べてる姿なんてそんなレアな光景でも無いだろう。俺がちゃんと向ヶ丘勇おれの体にいたあの懐かしく穏やかな時代(ああまだ一ヶ月とちょっとと言うのにはるか昔のことのようだ)に、愛用した牛丼屋の数々でも、気づけば店内にそんな子が一人くらいはと言うことは度々あり。ならば……?

 いや——だめだ!

 俺は盛大に腹の虫を鳴かせながら、心の中で叫ぶ。なんというか、あいつだったら、例えば同じクラスの誰かに牛丼食べているところやを見られたって、美亜さんはさすがリア充だから牛丼食べていても絵になるね、牛丼とかもやっぱり食べるのねなんとなく親しみやすくって素敵——で済むが、百合ちゃんだと話がちょっと変わる。

 なんだあの人、友達いないから一人で牛丼なんか食べてるのね。やっぱりみんなの嫌われ者なだけはあるわね、何? あの欲望のままご飯を食べてる姿。やっぱりあの人に関わっちゃ駄目だわよね。……とか?

 ちなみに、欲望のままに飯をかっくらってしまうのは牛丼を前にすると、意思の力ではどうにもならない、俺と言う動物の習性なので、百合ちゃんだとそんな下品な食べ方はしないだろうと思う。でも、今の腹ペコの状況なのはなのだ。牛丼屋に入ったなら、俺は多分、耐えきれずにがつがつと飯を食ってしまうだろう。

 で、この二子玉である。俺らのからめちゃくちゃ近いとは言えないが、こうやって今日俺が興が乗って歩いてみればいつの間にかついてしまっているような場所である。自転車なんかで向かえばあっという間だ。この辺に住んでいる連中も結構いるはずふだし——俺達の学校の生徒たちにしてみればここはもっとも近く、手頃に都会の匂いを感じられる場所。最も近い、手軽な東京である。

 なので二子玉ここには結構クラスメートがいる可能性が高いのだった。不意の接近遭遇の危険でいえば、二子玉ここは学校近辺の駅前を除けば、最も危ない場所と言って良いのだった。

 いや、俺が気づかないだけで、すでに誰かに見られてしまってる可能性だってある。大型商業施設の駐車場に向かう車が、どんどんと俺の前の交差点を曲がっていくけれど、それには同級生が乗っている可能性も考えられた。——親の買い物に付き合って。はたまた、たまには家族団らんで食事に来た。またあるいは今日が誕生日で何か買ってもらうとか?

 その理由なんて何でも良いけれど、ともかく、クラスメートに俺が、と言うか百合ちゃんの姿が、いつのまにか目撃されてしまうのかもと思えば——なんだかあんまり無責任な行動はできないのではと思ってしまうのだった。

 まあ、たかが牛丼食べるかどうかの話といえばそれだけの話で、そんな迷うなら隣のフライドチキン屋でチキンとビスケットでも食べれば良いだろーー俺もそうは思うのだが……

 なんだか一度牛丼を食べたいと思ってしまうと、どうにも我慢ができない。俺の頭はつゆだく状態で牛丼のことしか考えられないような状態になってしまっていたのだった。

 ならば、

「聞いてみるか」

 おれはスマホを取り出すと喜多見美亜あいつに電話をするのだった。

「はあ? 牛丼食べて良いかですって? 電話かかってきたから——明日の計画の深刻な話かと思ったらあんた何言ってんの?」

 まあ、この反応は予想して叱るべきであったが、お前はアホかと言った口調でまくしたてられる俺であった。

 いやこれはこれで深刻なんだって。俺の軽はずみな行動が百合ちゃんの評判を落としてしまうことになるかもしれないんだって。

「まあ、あんたの相談だから、ろくなもんじゃないことかもとは覚悟したけど、本気でそうだと呆れるというより脱力しちゃうわよね。そんなのに悩むなら牛丼やめてハンバーガーでも食べたらいいでしょ」

 いや、そのくらいは俺でも考えたよ。そういう女子高生が行ってもおかしくなさそうと誰でも思うような安牌な店に行ってこの空腹を解消するのが最も無難で賢いやり方だって。でも、それでも諦めきれなくて相談したんだから、と俺はそのまま無言になってしまうが、それでかえって、

「まったく……しょうがないわね」

 喜多見美亜あいつにも俺の本気度が伝わったようで——嘆息……の後、

「じゃあ、食べれるようにしてあげる! そこでしばらく待っていてよ」

 はあ?

「私がこれから二子玉そっちへ向かうから!」

 俺は余計な相談をしたせいで、この空腹にしばらく耐えて、喜多見美亜あいつのことを待っていなければならなくなったのだたった。


   *


 そして、三十分ぐらいで喜多見美亜あいつはやって来て——来るなり言うには、

「もう電車乗ってからメールしたから。乗り換えもそんな悪くなかったし、あっと言う間だったしょ」 

 とのことであった。

 確かに——実際、もっと時間がかかるかと思っていたので、それよりは随分と早く着いたなと俺も思わないでもなかったのだが、……それにしても限界まで空腹になたっところでの追加の三十分は辛い。

 正直、この際牛丼は諦めて、フライドチキンかハンバーガーか、それとも、俺がこの一ヶ月に鍛えたをフルに使ってお洒落レストランにチャレンジしようか? とかいろいろ考えてしまったのだが。

 もしかしてなんか食べてる間にあいつが到着して食べちゃったのがバレたら、何でそのちょっとが待てないのかとうるさそうだし、それもフライドチキンとか食べてたら、あいつにとって命より大事なダイエットにからめて、女の子に何をしてくれたんだ、このあと三十キロランニングだとか俺に詰め寄ってきそうなので——色々めんどくさくてただ空腹に耐える三十分であったのだった。

 

 待ち合わせ場所は、さすがに交差点にずっと立ちっぱなしと言うわけにもいかないだろうから、ついたらあいつが電話をかけてくれるので、それまで俺はどこかで時間を潰している、と言うことになっていた。で、その間、空腹の俺は、あんまり動かずに時間を潰すすべを考えなければならなかったのだが、……他に案もないし、改札近くのビルの間の広場でちょうど行われていたアマチュアの弦楽四重奏のコンサートを聴いていたのだった。

 俺はクラッシックに善意も悪意もない、興味もない、そんな野郎だが、百合ちゃんならこんなの聴くのかな? そ言うの聞いてる姿様になりそうだな? なんて思って、並べられた椅子に座ったのだが——腹の虫が鳴いているのに隣の人に気づかれないかハラハラしながらであった俺だった。

 だが、その虫が哀愁ただようビオラの音色に合わせて、ちょっとヤバいくらい切実な感じの鳴き声になってきて、こりゃ流石にと、席を立った時……

 ちょうどその時に、電話をかけるより先にあいつが俺を見つけて声をかけてきて——俺たちは歩き出したのだった。


「で、あんたは牛丼が食べたいわけよね」

 正直、もう牛丼でもカレーでもなんでも良いから早く食べたくてしょうがないと言う気分だったのだが——まあ牛丼でいいよ。と言うか、こいつに余計なこと言ってしまって、本気で他案も検討されてしまって、食事にありつけるまでの時間が長くなってしまっても馬鹿らしい。

 とにかく早く何か食べたい俺は、ただ素直に頷くだけだったのだが、

「じゃあ行きましょう」

 俺たちは二子玉のメインの通りに出て、多摩川方面に向かい、

「さあ入りましょう」

 あっさりと牛丼屋に入るのだった。

 こいつが言う食べられるようにすると言うのは——ただ単になんの躊躇もなく店に入るってことであったのだった。

「別に、余計なこと気にしないで食べれば良かっただけだと思うけど。私も一人で入ることあるよ」

「そう?」

「そうだよ」

 俺の意外そうな顔を見て、何を意外そうな顔をしてるんだとばかりに、眉をしかめるあいつだった。

 いや、実際、意外だった。あの対面ばかり気にするキョロリア充の喜多見美亜こいつが牛丼屋に普通に入るんだと?

「まあ、あんたが女の子に変な幻想持っているのは知っているけれど、あんたが思ってるような二次元の世界と違って、本物はもっとがさつで打算的なものよ。腹が減って手頃な食べ物屋があったらそれに普通に入るでしょ」

 そうりゃそうだろうが——それを俺はこの一ヶ月、こいつの中に入って思いしっていたが——百合ちゃんは違う。と言うか、違うというイメージを俺は守りたい。少なくとも俺がそのイメージを壊す行動はしたくない。そう思って、まあ、無意味に空腹に耐える羽目になってしまったのだったが、

「まあ、あんたがあの子を思いたいって思ってるのは分かるけど」

 こいつにはどうもそれはお見通しで、

「でもそれってかえって失礼って気はするよね」

「……?」

 んっ?

「あんたの理想押し付けられてるってことでしょそれ。それって百合ちゃん本人じゃないよね、あんたの妄想で生まれたなんかよねそれ」

「そりゃそうだけど……」

「私の中にいた時はもっと自由に動いてたと思うけどな……君」

 まあ——確かにそうだ。喜多見美亜こいつに入っていた時は——なんだか、なんでだろな? おれはしなきゃいけないような気がして——なんだがこいつの家族もそれを喜んでいた雰囲気があり……

「まあ、でも百合ちゃんは立場が難しい子だからあんたが立ち位置を謝るのも分かるけど——あの子自身が本当のとして生活できない、生きれないんだものね」

「でも……」

 まあ、それも明日まで。決意の重さに言葉を途中で切って無言になってしまう俺。

「そうね、でもそれも明日まで……なら、ちょっと勿体なくない?」

 その意は感じ取ってくれたあいつだったが、合わせてちょっと意味不明のことを言い出す。

「勿体ないって? 何が?」

「この今の状態よ。シチュエーションよ」

 は?

「シチュエーションって……なんだよ?」

「わかんないの? 鈍いわね」

 鈍いって言われても、何のこと?

 と、目が泳ぐ俺に、

「……ふふ、あなたが一番したくて、もうできなくなってしまう事」

「なんだよそれ?」

 そんな事言われても、言えるものから言えないものまで様々な一番候補が頭の中を駆け巡るのだが、

「デートよ! あんた百合ちゃんとデートしたいでしょ!」

 とあいつは俺の中のスロットを三つハートで揃えて止めてしまうような一言を言うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る