48_MeteoriteBox_10


 あてもなく駅から離れる方向に歩きながら、自分の顔の重ねたチョキがくっつく辺りを手で触る。ところが何にも触れない。実体のガラスがあるわけではないみたい。すると半透明な膜でも表示されているのだろうか。あれ今は付けているんだっけ外しているんだっけと景色に頼る。まだ一瞬勘違いしそうになるけれど、レンズを付けたら街並みはラクガキとヨゴレを得る。そうだ、どこかに鏡は……


「ジェミー、鏡になれたりしないよね?」


{なれなくもないジェミよ}


 なれなくもないと言ったのは、鏡と同じ機能は映像の遅延入出力で真似できるから。と、ピンクの丸い手鏡に緑の文字が収まって消えた。はたと道端で手鏡(を模したジェミー)を眺めて立ち止まる。自分の顔も何だか久々に見た気がするがそうではなくて。


「おぉ」


 半透明の小さな正方形の板が左目の辺りに浮いている。テトレンズとやらをやっと捉えた。


「あれ? でも……」


 今度はそのまま左目を閉じる。顔を上げて右目だけで景観に再度問い合わせる。元のままレンズ越しの景色だ。右目には何もかけていないはずなのに。


{形はおまけジェミよ。もう一回鏡を見るジェミ}


「え?」


 鏡の中のテトレンズが完全に見えなくなった。なったけれど、再度顔を上げて見える景観は変わらない態度のまま。


{レンズ自体の形も見える見えないも調整できるジェミ}


「そういうことね……」


{ちなみに触れるようにするのはちょっと難しいジェミ}


 片目で見ている時は効かないようにできたりしないだろうか。もしくは何かの予備動作に――


「……あの辺に座ろっか」


{そうねジェミ}


 そうこうしているうちに結構歩いたのだろう、脚も思考もそれなりの反応を返す。思考は歩行のせいじゃないね。

 この辺りはちょっとだけ階段が多いような気がする。そういえばスタート地点のところも小高い所だった。駅前の建物感と密度を完全に抜け切らない辺りで、階段を上った空間にベンチがあるのを見つける。ベンチを目的にするには私の知る駅前の人々は忙しすぎるのだけど、ここの人たちもそうなのだろうか。


「ふー……」


{ふージェミ}


「ジェミー真似するの好きだね」


{好きジェミ}


 思ったよりも高さのある階段の上の空間には本当にベンチだけが置いてあった。変と言えば変だけど直前に私の思考に合わせて生成されたのかもしれない。両手をベンチに乗せ上体を支えて楽な姿勢を取る。そのまま目を閉じて、少し頭の回転を抑え、思考を整理しようとする。しばらくジェミーは黙っていた。私が黙っていたからかな、この辺は実に高度に空気を読んでしまう。


 目を開けた私は公園らしき区画をぼーっと見ていた。ゆっくり見渡す途中でここからその一部が見えたのだ。公園なる空間は都会から姿を消しやすい。人の層に左右され空間としての価値を無くせば彼らは無抵抗に取って代わられるだけだ。駅に近いとなればなおのこと。ベンチにお礼を言い立ち上がった私は『覚えるくん』の話してくれたことを思い出していた。もしかすると公園には何かあるかもしれない。


{今度はどこに行くジェミー……}



* * * *



 公園だ。入り口で立ち止まった私は不思議な感覚を楽しんでいた。公園はもともと時間の流れに取り残されがちで、役目を終えて朽ちて行く遊具が草木に包まれている姿を見れば人には、と言っちゃあれだね、私には、ある類の感情が想起される。


――フラスコに溶け広がる薄い紫色の気体を淡い朱色の期待へと変えるには、夕刻を待つのが良い。


 そんな詩的なというか私的な思い入れの断片がこの公園にも散りばめられていた。と言っても、いくつかの簡素な遊具と木の影になったベンチが並んで設置してあるだけなのだけれど。感覚の演出があいさつ代わりに設けてあったのかもしれない。

 テトレンズを付けてぐるり、また外してぐるり、公園の景色をざっと見渡す。思った通り、あまり変化が無い。情報が付加されていないのだ。だれもこんなところに興味がないということか。地面の砂は傷や汚れの有無には元より平気な顔。一番手前のベンチにはおじさんが一人。一番奥のベンチには女の子が一人座っている。この世界の公園で時間を過ごすような人か。また何か聞いてみようかな。

 それとなく手前から二番目のベンチに座り、しばらく遊具を眺める。登るところと掴まるところと見下ろすところとがあって、子供たちは身体の感覚や勝ち取った高度を楽しむ。……今は子供はいないようだ。ちらっと左側へ視線を向けると、


「……あら?」


{どっか行っちゃったジェミよ}


 タイミングを窺おうとしたら、おじさんは音もなく立ち去ってしまった? 砂が敷き詰めてあるはずなのに本当に音が無かった。見ていないところだから半透明になって消えたのかどうかはさておき、他人の時間に水を差してしまったかもしれない、だとすれば申し訳ないことをした。もう一人は――


(……?)


 一番奥のベンチには女の子が変わらず座っていた。変わらずというか、動いていない……? 思い出したようにテトレンズを使うが、女の子がレンズを付けている時にだけ見えるなんてことはなかった。付けても外してもそのまま。それはそうか、レンズ越しにだけ見えるとしたらそれは人ではない。彼女は映像ではなく、ヒトとして構成された登場人物であることは間違いなかった。のだけれど……

 それとなく彼女に近づく。砂の音は一つ大きな『ジャリ』の音でちゃんと鳴っている。女の子に反応は無い。私が目の前に立って、やっと私を認識した。


「あの、すみません」


「……はい?」


「えっと、何をしているのでしょう」


「……何を……」


 私を見ていた瞳がおぼつかない軌跡で虚空に戻る。服装は他の人々と変わらない世界観。ショートカットに大きな瞳、控え目な雰囲気。年代は自分と同じくらい。外見にではなくその様子に私の直感が何かを告げている。大きな瞳もどこか曇っているような――


「あなたの名前を教えて?」


「イオ……です」


 記憶ではない? それなら、


{この子、機能を無効化されてるジェミ}


「え?」


 私の推理を打ち切ってジェミーが突然妙なことを言った。機能? 言の葉の色味がこれまでと違う。ジェミーがヒトに使う言葉かどうかということ?


{データが変ジェミ。大きな空っぽのコップみたいなのジェミ}


 注意深くジェミーの言葉を紐解く。機能の次はデータ、その後の表現は多分繕った言葉。ジェミー自身にも疑問と混乱が?


「ジェミーが決めたんじゃなくて?」


{私じゃないジェミ}


 仮定作者とジェミーの関係はどこまで整理が付いている? 登場人物の構成、今の問いはNOが返ってくるのが分かっていた。


{ここに来るまでにもいろんな人がいたジェミが、この子は初めてジェミ。ハルカ、そういうの分かるジェミ?}


「ジェミ―ちょっと落ち着いて。私も落ち着くから」


 反応の薄い女の子――イオとだけ名乗ったその子は、実体化してテレビ型になったジェミ―と私のやり取りを見て不安そうな顔をしている。なんだか場の空気まで重く……いや、違う、暗くなって――


「……うそ? もうそんな……ジェミー、時間を見せて!」


{00:00:43}


 完全に時間のことを忘れていた。緑の点二つの代わりにテレビ画面に絶望の数字が並ぶ。


{時間ジェミ……}


 イオはベンチから立ち上がり、人工巨大落下物を見上げ、泣いていた。――思いが溢れたような大粒の涙。私は隕石ではなくイオの方を見ていた。イオが私の方を見る。雫が砂に一つ二つ、彼女に表情が、生気が戻った……?


「――私は……」


 教えて、続きを、何を私に伝えてくれるの?


(少しだけ待ってよ……)


 ジェミーをかばうのも忘れて立ち尽くす私を、イオが抱き寄せた。


 痛みは全く無い? 身体的な負荷はそうかもしれないけれど。私のことはいい、イオは何に涙を流したの?

 上空視点で描かれる半球状の破滅に私は早々と目を閉じた。

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