33_DanceBox_10


「――ルカ? ……大丈夫? ……ハルカ!」


 ケイコの声だ。意識が遠ざかっていたらしい。どのくらいの間だろう、何を見ていたんだっけと考える間に、ケイコが私を近くの椅子に座らせてくれた。



「ぼーっと見ていただけに思えた、5分くらいかな。瞬きも呼吸もしていたんだけど、あたしの方が先に怖くなっちゃって……」


「……ううん、呼びかけてくれてありがとう」


 踊り以上の何かを見ていたことは覚えていなかった。気合を入れて見たのは間違いないけれど、ただ素直にあの美しい身体の動きを眺めていたように思う。ぼんやりと? はっきりと? 恐る恐るピントを合わせずに空間の中心を見ると、まだ女性は踊り続けている。


「見る人によって受け取るものが違うって聞いたことはあるよ。感性やら感受性やらにどこまでも訴えかけられるように、あっちは恐ろしい深さを持っているんだって」


 ケイコはそのまま私の感受性を褒めてくれたけれど、直前の数刻が朧気なまま私は素直に喜べないでいた。“恐ろしく深い”とケイコが言ったのは、この空間に入った直後に引き寄せられ、遠目にでも認識した瞬間に強く訴えかけてきた何かのコアに他ならない。その外層さえあまりに強力で、認識に関係する全てを歪め兼ねないような何か。それは言葉に依らない疎通、私が秀でているとは思えない手段に重ねられていた。

 恐ろしく深い“何か”とは、何か。今回に限っては言葉遊びなんて即座に逃げ出してしまう。ケイコが隣にいるからと気兼ねなく少しの間だけ思考に沈みかけたけれど、探していた感覚は記憶の浅瀬でまだ淡い光を宿していた。ひとり砂漠を歩く彼の手のひらに隠されていたものを見たとき、私は似た感覚に襲われたのだ。


 仮想箱とは一体何者なのだろう。ある水準以上の収集機構があれば、ヒトの許容できる量を超えた集積/出力を生み出すのは簡単なことになって、それなら、無数の――


「……ごめんケイコ」


 結局思考の海に沈んでいた私は(きっと臨戦態勢で)黙ってそれを見守ってくれていたケイコに謝った。


「なかなか素敵な表情をしてたよー」


 ケイコはそう言って私の水気を払ってくれた。


「あたしもあの女性の踊りを見た何人かのリアクションを知ってるんだけど、あれはきっと一人の人間が立ち向かえるようなものじゃないんだろうね」


 厚めのフレームが縁取るレンズ越しにケイコはそっと空間の中心を見た。そういえば初めて見たような気がする彼女のそれへの視線は、軽微とはいえない経験値を宿しているようだった。

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