04_SandBox_01
すとん、と尻餅をついたらしい。夢から覚めるときは布団の上。ここは……箱の中のはず。
砂の感触がある。視界が手に入るのとどちらが先だっただろう、ほんの少しずつの時間差はあれど意識と五感が戻る。意識はさっきまでと継続していた。これはちょっと新し――
「すごい」
やっと声が出た。私は砂漠の真ん中に体育座りして左手で砂を掴んでいた。右手は既に古典的お約束を遂行し頬をつまんでいる。痛いと思って目が覚めないという組み合わせが新鮮だ。すぐに肌寒い乾いた空気が身を包み、音と光が極めて少ないことを身体の器官が教えてくれる。ここは夜の砂漠……なのだと思う。
もしかして椅子に座った姿勢のまま仮想箱の中に転送(?)されて、椅子が無くなったから尻餅をついたのだろうか。そうだとすれば不親切な仕組みだと考えているから、頭の中も仮想世界の未知の入力に慣れてきたようだ。
実は一つ目の箱を自分で選ぶことができた。合成音声の案内係は私の言葉を理解してくれて、ある程度融通も効いたのだ。「体験版」「手軽」「初めての人にもおすすめの」といったニュアンスをどうにか伝えることができた。――できたと思ったのに、
「砂漠……?」
立ち上がり視線の位置を確保する。遠くを見ようとするが、目の良い自分でもここまで光源が無いと……。はたと気付き視線を上へ。そう、砂漠の夜空には綺麗な星が一面に――
「……無いのね」
無いはずがないはず。空は真っ黒で、それはそれで不気味だ。そもそも私が見上げているのは空(を再現したもの)なのだろうか。光源が無いはずなのに少し遠くなら見える。ちぐはぐな視界は変に納得がいき、そこが仮想空間であることを再認識させてくれた。海賊の映画に宇宙ヒーローが出てきては困るように、夜空の星は今回のテーマではないということだろう。ではこの何もない砂漠が主役ということになって……
《お困りのことがありましたらお呼びください》という文字が目についた。合成音声がそういったのではなく、足元の砂に文字が小さく浮かび上がっている。ちょうど最後の文字まで認識してこの砂漠に来る前のやり取りを思い出した瞬間に、すーっと文字が消えて行く。無数の砂粒が残って、視界が切り取れるほかの面積と区別がつかなくなった。
箱に入る前、椅子のある部屋まで私を案内してくれた声とは別の案内係がこの仮想箱について簡単に説明してくれた。この箱専属だというそれは、箱に入った後でも声をかけるなり呼び出そうと意識するなりすれば、案内係をいつでも呼び出せることを最初と最後に少し強調して説明した。お客様に不安の無いようにということだろう。仮想箱を楽しんでいただくため通常は目立たないようにしている、なんてお洒落な説明もあった。
「これは何?」
砂を一握りつかんで声に出してみる。
《それは砂です》
と返ってきた。声はイヤホンをつけている時のように耳元からする。
「何でできているの?」
《主に石英と呼ばれる鉱物で構成されていました》
ここまで説明が続けられる。データです、と言わない辺りはまあ雰囲気を壊さないためかな。
「ました?」
《申し訳ありませんが、質問に対する答えが用意されていません。質問を変えていただければお応えできるかもしれません》
「大丈夫、ありがとう」
砂が手のひらから地面までの空気を楽しみながら元あった場所に帰る。砂粒の振る舞いも握った質感もとても作り物とは思えない。
箱の外にはもう砂漠がないのかも知れない。その意味で過去形にしたのなら、案内係のセリフを設定した誰かの細かな感覚が少し好きになる。少し話したことでAIの程度も分かったことだし、さて何をし――
ジャリ、という音。認識した私の身体は飛び退いた。
音は後ろ数メートルから聞こえた。自分以外に動くものがある。さっきまでは気配なんて無かったはず。十代そこらの少女が身構えたところでどうにかなる範囲は広がらないにしても、経験値だか本能だかがそうさせた。
「ロボット……?」
らしきものが向こうの方を見ている。自分の背丈よりも小さく、かろうじて人型をしているが背中は曲がっている。らしきもの、かろうじて。部品は古く錆び付いたようで、フォルムは私が想像する近未来的なそれとはかけ離れている。『ギィ』という音を立てて一歩だけ歩き、砂が『ジャリ』と同じ音を立てる。脚が人よりもわずかに深く砂に沈む。二度目の音に私が警戒しなかったのは、そのロボットが自分の方を向いていないからだ。危険そうに見えない、というのがまずあるけれど……。
仮想空間にしても、体験者に怖い思いをさせたり危害を加えたりはしないようになっているはず。考えてみればそのはずだった。
ジャリ、とロボットがまた一歩進む。絶妙にのんびりとした足取りだ。ロボットの背後にはどうにか等間隔の足跡が一直線に伸びていた。時間の継続を思わせる丁寧な演出だが、足跡とロボット自身を瞬時に出現させることもここならできるはず。さっきまで気配がなかったのには少し自信があるし音も聞こえなかったので、ロボットは今突然出現したのだろう。この広大そうに見える夜(暗いだけ?)の砂漠で、何をしようかと私が考え始めるのを待っての演出なら、これもまた見事なもの。では、このロボットが主役なのだろうか。人を感知するだけの機能があるのかどうか少々頼りない外見だが、そっと彼に近づく。
足音を立てないように、は砂の上では難しい。彼の立てる足音よりも控えめな音が鳴るが、ロボットは振り向かない。
手の触れられる距離まで来るとロボットの質感や大きさがより鮮明になった。背中を曲げて大きさは1メートルくらい。遠目に見ても目立ったロボットの表面ダメージは、近づいてみると余計にもの悲しさを漂わせていた。金属の錆と無数の傷が元々の質感を覆い隠すように表面を埋め、欠けた部品やむき出しになった配線も点在する。
こちらが立ち止まるのはお構いなしにまた一歩、歩みを進める。念のためロボットの向いている方を真似して見てみるけれど、実に何も見えない。曇り空であればまだましだろう、模様のない完全に黒一色の空間が上半分、やや隆起のある地形感と再現されているのかどうかわからない風が造る砂波模様が下半分。砂漠の終わりも始まりも全体の大きさも分からない。
「んー……」
これは、こういう作品なのだろうか。例の案内役に聞けば即答されてしまうかもしれないので、ひとまず解釈を試みる。無限の砂漠をただ歩き続けるボロボロの人型機械。どんな空間も再現できるようになったことに対する皮肉。進みすぎたテクノロジーがもたらす孤独。終わりなき旅の表象。
少し風が吹いた。砂嵐は再現されていない。ただ、弱い風がひんやりと肌を撫でるように。
ジャリ、という音に合わせてロボットのすぐ横を歩いてみる。なるべくリズムを真似て、彼と同じ方向を向き、それをしばらく続ける。
ロボットは私に興味を示さなかった。私を感知していないようだった。なんとか維持している機械的なリズムだけを従順に守っていた。
「ロボットさーん……」
そうか、興味か。次のアプローチは自然とそうなる。話しかける、進路を阻もうとする、そして彼に触れる。話しかけるのはひとまずダメだった。進路を阻むのはどこか悪い気がしてしまうので、いよいよ彼に触ってみることにした。
後ろから、歩行を邪魔しないように気を付けながら、肩のあたりにそっと指を伸ばす。冷たく硬い材質を指先が伝えた。また一歩ロボットが動く。次の一歩までの短くて長い時間を使って、手のひらを当てる。仮想箱はよくできている。最初に砂で確かめてはいたけれど、思った通りのリアルな感覚だった。
ロボットの横に立ち位置を戻し、再度考える。期待はしていたものの、多分これでこの作品はおしまいなのだろう。考えさせるような作品、というやつで、砂の質感やロボットの手触りを試すことはできて、仮想箱の何たるかは分かるようになっている。少しお安い施設だから、というのもあるかもしれないが、言わばお試し版なのだ。例の案内係を呼び出して、頼めばすぐに箱から出られるはず。と、その前に。
「ナビゲーターさん聞いてるかな」
《はい、ご用件はなんでしょう》
念じるのではなく声に出したからか、足元の砂や空中に文字が現れるのではなくイヤホンを付けていない耳元から声が返る。
「あのロボットのことを説明してくれる?」
《はい、あれはこの作品の中心で、体験者に様々なテーマを考えさせるようにと設定されています。なるべくご自身でその意味を考えてほしいと作者の意図は記録されていますが、解釈の例をご説明することもできます。説明を続けますか?》
「……いいえ、聞かないでおくね。ありがとう」
違う時代に生きる/生きた人たちの価値観を人工物伝いに聞くのもまた趣があるけれど、それはまたの機会にしようと思った。まだ自分で確かめたものが足りていないというか。
さて、とやや距離を置いてロボットの“正面”に回った。ヒトを感知していないようだからぶつかってくるかもしれない。別れの挨拶くらいは向き合って言っておこうと思った。
「――ん?」
ロボットは立ち止まった。少しの前傾姿勢は変わらないが、頭をやや上げてこちらの表情を見るようにして停止した。それまで無限に続けていて、これからも無限に続くはずの歩みを止めてしまった……? 都合よく彼の動力が尽きたのではないと思うし、ではやっと自分を感知してくれたのだろうか。
ふと、ロボットの右手のひらに青白い光が見えた。その右手は腰くらいの位置で映像を止めたように固まっている。手のひらは握られていない。人が自然に歩くときのそれを不格好に再現している。ロボットはそのまま動かないので、しゃがむようにして彼の手のひらの光を覗き込んだ。
「綺麗な光……」
丸底フラスコのシルエットのような、鍵穴のような形から光が漏れて出て光の極小粒子が踊っている。おとぎ話のよう。
(……?)
その光を認識して、解釈しようとしてどのくらい経っただろうか、光に言い表すことのできない感覚が混ざっていることを仮想化されたはずの身体が、あるいは精神が告げた。一歩下がる。ロボットは停止したままだ。
「ナビゲーターさん、あの光は何……?」
すぐに答えを求めた。読解力や繊細さが介在できない感覚に、箱の中の自分は何とも頼りなく思える。
「ナビゲーターさん?」
《対象を認識できません、質問を変えますか?》
「えっと……」
こんなことをしても意味はないと思いながら、ロボットにまた一歩だけ近づき手のひらの内側の光を指さす。
「これは、何ですか」
《対象を認識できません、データがありません》
不親切なこともあるものだ、演出にしては少し変というか、案内係の対応が本当にデータがないことを示しているようだった。
「そんなこともあるのね……」
綺麗ではあるけれど、ロボットや砂漠の演出する『考えさせる作品』の構成要素ではない。そして箱を統括するはずの案内係が情報を持っていない。
もしかして、もしかするかもしれない。“私がここへ来た理由の入り口”とやらだ。
手のひらの光に“触れる”やり方は自然と想像がついた。指先だけで突っつくようにするのでない、ロボットが自分よりやや小柄だからそうなってしまうが、膝をついて握手をするように手を握る。ロボットの右手はちょうど歩行動作の中で一番前に出た位置で停止している。
胸がざわつくのとは違う。仮想化された中で懸命に探ろうとしている光の感覚は過去に経験したどれでもなく、意識は少なくとも反発を意味する何の反応もできていない。
光を共有するように手を握った。
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