1章 どこでもないどこか

第2話 一寸先は闇

 

 意識を取り戻しても目の前に広がるのはただ暗闇だけであった。

 一向に光がささない完全なる闇。今どんな体勢でいるのかすらも分からない。

 何故自分はこんな場所にいるのか、彼、小柳 居世(コヤナギ イヨ)はまだ覚醒しきっていない頭を働かせる。


「……死んだ?」


 呟いた言葉は認識できた、自分自身という存在は確かにここにある。

 朧げながらも自分についての記憶はあり、視覚、触覚では確認できないが身体も五体満足でありそうだ。だがそれでも今まで通り普通に生きている状態でないことは漠然とだがごく自然に理解できた。

 

 小柳 居世は東京都の大学に通う4年生である。

 周りと比べて特別何かに秀でていることはなく、いたって一般的な学生ではあるが日本人では珍しい180㎝を超える身長と、はっきりと映える茶色の瞳が特徴的だ。

 すらりとした体型、クセ毛気味の黒髪、美男子とまではいかないもののそれなりに整った顔立ち。

 自己主張は強い方ではなく目立つタイプではないが、人付き合いは上手く他人に合わせて振る舞うことが多かった。だがそれはいつしか、周りと常に一定の距離感を保ち続けてしまう枷になり、心許せる友人は誰もいない。


 そんな彼でも唯一気兼ねなく接することができる人物がいた。それは母親である。

 父親は過去に亡くしてしまい、兄弟はいない。ただ1人の肉親が余計な気を使わなくてもよい友人のような存在であり、母親に会うため居世は実家に帰ろうとしていたことを思い出した。

 夜行バスに乗り込み、車内の明かりが消え眠りに落ちた所までがはっきり覚えている最後の記憶だ。


「ってことは乗ってたバスが何か事故でも起こしたのか」


 TVやインターネットのニュースで夜行バスが事故に会ったというものは目にしたことがある。でもまさかそれに巻き込まれることになるなんて。


「……旅費ケチんなきゃ良かった」


 こんな状況でも思わず軽口が出てしまった。死んだかもしれないのにいたく冷静な自分。

 

ーーいや、そもそも本当に死んだのか。

 

 死から連想される痛みも走馬灯も何もなく、バスでただ眠りにつき気がついたらこの場所にいた。突然の出来事過ぎてどこか自分自身のことだと捉えられていないのかもしれない。

 

 疑問はつきないが答えは何も見つからない。しばらくの間、考えてみたが、いや、そもそも何を元に考えて良いかも分からなかった。

 眼球が黒く塗りつぶされたのではないかと思わずにはいられない真っ黒な世界。そして、そこに取り残された1人の男。

 もしこれが死ぬということならなんともあっけなく、なんともむなしいものだ。世間から発信される死はもっとドラマチックだったような気がするが、どうやらそれに縁は無かったようである。


「一体どうする、いや、どうなる。でも、……あー、駄目だ、分からん」


 だんだんと感情が乱れてくる。

 落ち着き払っていた居世であったが、思考を凝らす度、ふつふつと暗い何かが心に迫ってくるのを感じた。それは不安であり恐怖であり、少なくともこの状況に何かしらの変化がなければそれに呑み込まれ、己を見失うのは時間の問題であった。

 分からない、もう1つの闇が徐々に心を侵食してくる最中、それは突如起こった。


「目が覚めたか」

 

 居世に語りかける聞きなれない声、そしてここに来て初めて映る暗闇以外の物。

 大きな変化が現れたのだ。彼は目を凝らした、手が届きそうな先にはどこから現れたのか、生き物らしき物体がいる。

 

ーー狐?いや、犬?


 そこにいるのはこの真っ黒な世界だからこそなお一層存在感を放つ純白の生き物だった。


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