第6話「何を言ってるんだ。もう死体のくせに」
無い頭での哲学や、なんだか胸の奥がむずむずとする回想などなど。
出来うる限りの現実逃避をしてきたあたしでしたが。
流石に青年の手があたしの服を脱がそうとしているところで、現実に戻らざるをえなかった。
「さて。そんな汚い格好じゃかわいそうだから、こっちの綺麗な服に着替えようか」
そう憎たらしいくらい爽やかに言って、彼がパジャマの上から着せてくれたパーカーを、ゆっくりと、楽しむように、青年が脱がせてゆく。
心臓にもっさりと毛でも生えているんじゃないかと自分でも疑うほど、神経が図太いあたしだったけれど、パーカーに手をかけられた時、びくっと冷たくなっている身体が、震えた気がした。
あたしが、死んだ直後。
父のはからいで、二人きりになった病室で、彼は笑顔のまま、あたしにこのパーカーを着せてくれた。
あの、サツマイモ事件以来、彼は絶対に泣かなかった。
代わりに、困ったような顔で笑うようになった。
あたしは、彼のその笑顔が大嫌いだった。
だって、その笑顔は結局。
涙が流れていないだけで、いつも通りの彼の泣き顔と変わらなかったから。
初めてその顔を見たとき、笑顔と泣き顔はこんなにも似ているのかと驚いた。
その顔は本当に痛々しくて。
そして何より。
彼があたしの前で素直に泣けなくなったのかと思うと、悲しくなった。
ねえ、最後なんだよ。最後くらい、素直に泣いてよ、と実際に聞こえる筈も無いのに叫び続けているあたしに、彼はあの笑顔を浮かべたまま、何かを決意したかのように黙々とパーカーを着せてくれた。
元気だった頃、彼と遊びに行く時に、よく着ていたそのパーカーを。
本当は、可愛い格好とかしてみたかったけれど、今更気恥ずかしくなってしまい、なんだか意地になって着続けていた、薄汚れているそのパーカーを。
……本当の本当は、ペアルックみたいで、それがちょっと恥ずかしくて、でも全然嫌じゃなくて、むしろその恥ずかしさが心地よかった、そのパーカーを。
彼が最後に着せてくれた、その大切なパーカーを。
目の前の名前も知らない男が、笑みを浮かべて、脱がせている。
部屋の畳の上には、制服が置かれていた。
それは、この部屋に並んでいる他の人形も着ているものだった。
よくよく見てみると、それはあたしも好きなアニメに出てくる制服だった。
もし生きていれば、「中々よい仕事をしていらっしゃる」なんてこの青年と小一時間歓談でも出来たかもしれない。
でも、死体となった今、これを着てしまえば、あたしは部屋中に並べられている人形達と一緒になってしまう。
自分からは話すことも、動くことも出来ない、キャラクターの偶像。
変わることも出来ずに、ずっとそのまま。
死体だから、結局遺影と“思い出”の向こうでそうなるのだけど。
だからこそ、身に着けているものは自分のものがいい。
例え、どんなに汚れていても。
例え、もう死体でも。
あたしはこのパーカーを着ていたい。
あたしは、アニメのキャラクターじゃない。
彼との“思い出”という物語の中で生き続けるあたし、なんだ。
そんな画面の向こうで永遠にキラキラしているものじゃない。
暴力的で、我侭で、素直になれない、可愛さの欠片も無いあたしで死んだんだ。
上から別の物語を被せられる位なら、そのいつも通りのあたしで、彼の記憶に残ってやるんだ!
……なのに。
「これは、限定モデルで、他の子達が来ているものより、より原作に近いんだよ。……やっぱりね、アニメ化されると、作画的な理由もあるんだろうけど、微妙にデザインが変わっちゃってて、駄目だね。まあ、そんな違いも俺しか気づけないんだろうけどさ」
その言葉と共に、とうとうパーカーを脱がされてしまう。そして乱暴に投げ捨てられる。
部屋の隅でくしゃあとなっているそれが、まるで自分みたいに見えた。
すでに機能を停止しているはずの、心臓の辺りがざくざくと痛む。
そんなことを目の前の死体が思っているとは露知らず、青年の手が、今度はパジャマのボタンに伸びてくる。
荒い鼻息が顔にかかる。
今すぐにその顔を蹴っ飛ばしてやりたいのに、死体だから何も出来ない。
一番上のボタンが外される。
「後で、腐らせない方法を調べなきゃな。ずっと綺麗なままで置いておきたいから」
と、鼻歌を歌いながら、二番目のボタンに手をかける。
なんだよ、死体だって気づいているのかよ。死体をどうこうすると犯罪になるんだぞ、と彼のことを棚に上げて心の中で思いつく限りの罵詈雑言を添えて毒づく。
そして、三つ目のボタンが外されたところで、重大なことに気づいてしまった。
パジャマの下にブラをしていない。
その瞬間、生前でも感じなかった程の怒りと、悲しみと、恥ずかしさに襲われる。
嫌だ!
と、叫びたいのに、叫べない。
それまで普段通りにふざけて居られたのに、パーカーを脱がされてからというもの、まるで胸の奥で暴れまわっている真っ黒な何かが居て、冷静になろうとすればするほど、それに両手足を引っ張られて邪魔されているようだ。
四つ目のボタンが外される。
もう今にもパジャマは肩から落ちてしまいそうだった。
「かわいそうに……。こんなに若くて可愛いのに死んじゃったんだね。でも、大丈夫。これからは俺が、彼女たちと同じように綺麗にして、ずっと愛でてあげるからね」
死んじゃったんだね、というその青年の言葉が、胸の奥の何かを更に暴れさせる。
こんなことされても、相変わらず何も出来ない自分は本当に死体なのだと思い知らされる。
それまで、まるでガラス越しに自分の死体が出てくる物語を見ているみたいだったのに、急にそれがあたしの死体だと、紛れもなく死んだあたしの死体なのだと、思い知らされる。
それは、もうただの絶望だった。
「さて、まずは身体を拭いてあげないと……。いやあ、違うんだよ! これはやましい気持ちからじゃなくてね……」
そんな嬉しそうな声が遠くの方から聞こえる。
あたしは、本当に死んだのだ。
彼が、いつものように暢気な顔で話しかけてくるものだから、実感がなかっただけで。
この死体は、あたしなのだ。
胸の奥の何かが、ゆっくりとあたしの思考を引きずってゆく。
考えることをしなくなったら、あたしは本当に死んでしまう。
本当に死んでしまう?
何を言ってるんだ。もう死体のくせに。
死体らしく、もう考えることもやめてしまおうか。
……遠くで聞こえる青年の声が次第にあたしの声に変わる。
……初めから知っていたでしょう?
……何を勘違いしていたの?
……死んだ後も意識があるから勘違いしちゃった?
……あたしは、死んだんだよ。
……彼だって、いつかみたいに助けになんか来ないよ。
……あたしは彼にとって鬱陶しい暴力女だったんだから。
……あたしは、そんな悪役で、この物語は最終回。
……謝ることも、出来ないね。
……だってさ。
――死人は、もう何も出来ないのだから。
その自分の声で、全てを諦めかけてしまった時だった。
部屋の古い窓ガラスが、まるで映画みたいに派手な音をたてて割れる。
それと同時に、
「なにしてんだっ! このやろおおお!」
いつか聞いた、大声が室内に響き渡った。
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