記憶を消してくれる薬
「黒歴史や恥ずかしい出来事を思い出して叫びたくなることってありませんか?」そんなふざけた広告に釣られてオンラインで買ってしまった。
そう、巷で流行っている、記憶を消してくれる薬「オブリビオン錠剤」である。
朝、郵便受けに取りに行くと、さっそく薬が届いていた。
私は開封して中の説明書に目を通した。それによると、自動的に脳の悪い記憶をターゲティングして消してくれるらしい。ただ、効果が現れるまでの時間や持続時間は明記されていない。
おそらく世の中の多くの人間が一度は「特定の記憶を消したい」と思ったことがあるのだろう。メーカーもよくこういう薬を売ろうと考えるものだ。こんな秘密道具のような夢の薬、正直私には半信半疑である。
薬自体は単なるカプセル錠剤のようで特別な印象は受けない。私はしばし錠剤を眺めたあと、口に含んで水で流し込んだ。
職場では同僚とオブリビオンの話が出た。
「オブリビオン?俺も最近飲み始めたんだよね。今や国民的錠剤だよね。」
「もともとはPTSD治療薬だったらしいな。本当に効くんだろうかね?」
「もしプラシーボであれだけ儲けていたら国民的詐欺会社だよ。」
「まぁどんな変化がみられるか、日記とか動画とかで記録してみると面白いかもね。」
怪しい健康食品で溢れている世の中である。なんだか分からない錠剤メーカーが一等地にビルを構えていても何ら不思議ではない。それにもともと大衆はキワモノ商品に取り憑かれたりするものだ。
私は会社帰りにコンビニ弁当と缶ビール、そして切らしている歯磨き粉を買って家路を歩いていた。
今までの間で何か記憶に変化があるだろうか? 同僚との会話も覚えているし、歯磨き粉を買うこともちゃんと覚えている。
そうやって思考を巡らせているうちに別の買い忘れを思い出した。
「しまった、牛乳を買い忘れた。」
だがしかし、これは別に薬の忘却効果ではないだろう。もし買い物レベルの記憶操作なのだとしたらショボい薬だ。悪い記憶でもなんでもない。
私はメモがわりに普段開かないツイッターを開いて「明日牛乳買う」とツイートした。
家に着いた私は缶ビールを開けながら弁当を食べ始めた。
疲れるとしばらくは何もする気が起きないため、いつも一時間ぐらいダラダラと時間をかけて夕食と風呂を済ませている。
風呂から上がって自室に向かおうとしたとき、買った歯磨き粉のことを思い出した。洗面台にしまっておこう。
買い物袋から歯磨き粉を取り出して洗面台の収納用の引き出しを開けた。
その瞬間、私はびっくりして脳の思考が停止しかけた。
引き出しを開けると、中には歯磨き粉が大量にあった。数えることすら気が遠くなる量の歯磨き粉が。50本、60本、いやそれ以上もの山が。
嫌な予感がする。そうだ動画で記録せねば。
足早に自室に向かい動画用のカメラを探した。あった。椅子の下に転がっていた。なぜこんな場所に。
カメラを起動しようとするもSDカードが入っていない。SDカードはパソコンに刺さっていた。
私はパソコンを起動して恐る恐るSDカードの中身を確認した。
SDカードの中には、大量の自撮り動画が保存されていた。全て撮った記憶の無いものだった。ファイルのサムネイルはどれも自分の激しく歪んだ表情のアップだった。それが100日以上前から毎日撮影されていた。
それらの動画の中で私はこう言っていた。
「おい!明日の自分聞け!」
「薬を飲むな!解約しろ!」
「オブリビオン製薬は悪徳薬物メーカーだ!」
昨日撮られた動画の最後で、私はカメラを放り投げていた。映像は椅子の裏を見上げて終わっていた。
「うそだ…」
そのとき暗い部屋の中でスマホの画面が光る。ツイッターのバナー通知が来ていた。
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
指が反射的にバナーをタップしてアプリの通知画面が表示された。
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
『〇〇さんがあなたのツイートをいいねしました 「明日牛乳買う」』
………
私は毎日同じ時間に同じツイートをしていた。同じフォロワーが毎日私のツイートにいいねをしていた。
私は朦朧とする意識の中でオブリビオンについて調べ始めた。
Google検索『オブリビオン 錠剤』
『オブリビオン錠剤は健康に良いってホント?』
『健康に良い成分をたっぷり配合しているオブリビオン錠剤』
『オブリビオンの安眠効果★自然由来の睡眠作用成分』
『PIKASON TV オブリビオンとメントスコーラ混ぜてみた』
必死に検索結果をスクロールした。しかしどのサイトやSNSを探し回ってもオブリビオンに関する悪い情報は何一つ無かった。
気がつけば私はオブリビオン製薬に解約の電話をしていた。
「解約だ。顧客番号はXXXX-XXXXだ。そうだ解約だよ!明日から送ってくるな!」
もう平静を保てなかった。
電話を終えたあと、私はカメラで動画を回し始めた。
「おい!明日の自分聞け!薬を飲むな!解約しろ!オブリビオン製薬は悪徳薬物メーカーだ!」
あとやれることは何だ。考えないと。オブリビオン製薬の陰謀を…どうにかしなければならない。しかし、急激に疲れ果てた私の脳には既に重い睡魔が襲いかかっている。
まだ、残したい、メッセージが、あるのに…。
まだ、寝てはダ
◇
◇
◇
「黒歴史や恥ずかしい出来事を思い出して叫びたくなることってありませんか?」そんなふざけた広告に釣られてオンラインで買ってしまった。
そう、巷で流行っている、記憶を消してくれる薬「オブリビオン錠剤」である。
朝、郵便受けに取りに行くと、さっそく薬が届いていた。
おわり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます