エルブアード戦記
秋田川緑
第1部 蛮族戦争
第2章 防戦
第12話 弔いも出来ずに
アキラが良心を保てたのは、唯一、全くの無傷で発見された者がいたからだった。
宿の、食料庫のツボの中に彼女はいた。
「ひっ」
「君は……?」
妖精だった。
あの日、眠っていたアキラを起こしに来た、小さな少女。
確か、ニュムリィと言う種族の。
どうやらアキラの顔を覚えていたらしい。
少女はツボから飛び出て、アキラの身体に飛びついた。
「み、みんな、死んじゃった。私、隠れてて。助けてって、みんな叫んでたのに、私、出て行けなかった……!」
なんと言う無力さだろうか。
生き残った彼女に、いったい何を言えるのだろう。
ただただ、アキラは悲しむ彼女のその言葉に、優しく言い聞かせるように言った。
「仕方の無いことだったんだ。ほら、もう大丈夫だから」
その瞬間、アキラの目からどっと涙が溢れた。
もう、悲しみすぎて枯れていたかと思われていたのに、それでも。
「君が生きていてくれて、良かった……!本当に!」
慟哭だった。
胸に溜め込まれた悲しみが、ついにその表面を破り、張り裂けて出て来たのだ。
「救世主、さま」
身長40センチの少女がアキラの腕に乗る。
「私、少し、疲れちゃった」
ホッとしたのだろうか。
彼女はアキラの身体に体重を預けて、うとうととし始める。
「うん。良いんだよ。怖かっただろ? 少しお眠り」
アキラは左手で彼女を抱きかかえると、起こさないようにゆっくりと歩き始めた。
――
ミューエルの空気は血の臭いと、腐った肉の臭いで汚染されている。
絶え間なく流れる死臭の中、救援隊は各々でミューエルの犠牲者達の弔いを行った。
しかし、失われてしまった町の機能によって、簡易な埋葬も出来ず、せいぜい、布をかぶせてやる程度しか出来ない。
アキラもそうだった。
宿の人々はアキラの手によって、宿の備品だったシーツをかぶせられ、眠る。
もう二度と目覚めること無い、永遠の眠り。
そうして誰もが、苦しみから解放されたそれらの
アキラの護衛についていた三人もそうである。
コトン少年はすでに胃の中身を吐き尽くしていた。
もはや、中身は空っぽで、胃液も出ない。
「コトン、大丈夫か?」
ウルオウがその背中を擦る。
「……ウルオウさんも、シィクルさんも、平気なんですか?」
「馬鹿を言うな」
シィクルが震える声でコトンに言った。
「平気なわけが無いだろう? 堪えているのさ。必死でな」
ウルオウがシィクルの肩を叩き、それからコトン少年に言う。
「こんな光景を見るのは、我々は始めてではない。すでにいくつもの町が同じように壊滅している。もう、慣れてしまったが、それでも辛さに変わりはない。必死に心を保っているんだ。戦士だからな。剣を持つ力を失っては、この惨劇を止めることは出来ない」
その通りだった。
「戦争が終わるまではまともに弔うことも出来ない。だからせめて少しの間だけは、自分の中にある悲しみや怒りと向き合わないといけないのさ。だが、何度同じことを繰り返せば良い? こんなことが続いては、いつか、戦う力も失ってしまう」
これもその通りだった。
どうすれば、この地獄の連鎖を抜け出せるのだろうか。
戦士達は答えを出すことが出来ない。
唯一の回答は、蛮族たちを滅ぼし、戦争を終わらせることであるが、その険しすぎる道を想像し、さらなる地獄を進む覚悟を決めなければならなかった。
今は誰もが休息を必要としている。
そうしてミューエルの町は悲しみにくれ、天からの光も陰ようとしていた。
段々と薄暗くなっていくエルブアードの空は、戦士達に何の希望も与えてはくれない。
ヒィスリードは冷たくなったルレィの体を草の上に寝かせると、自身の家、ネイフィス家の紋章が描かれたマントをその遺体に被せた。
アキラはそのすぐそばで膝を付き、手を合わせて祈る。
「これは、もし、可能ならば、私の妻としたかった女だった。幼き日より、ずっと」
ヒィスリードの悲しみを、アキラは聞いた。
自嘲するかのように、彼は嗤う。
「くっくっく。騎士だと? 女の一人も守れずに……身分が何だと言うのだ」
アキラの霊力は、ヒィスリードの心にある死への誘惑を察知している。
それは逃避への欲望であった。
「ヒィス。それはダメだ」
「分かっている。私はフォレングスの騎士なのだ。戦わなければならない」
自然と、ルレィが呼んでいた彼の愛称が口から出たが、アキラには不思議と違和感が無かった。
ヒィスリードも気にした様子はない。
なぜ、そんな言い方をしたのか、アキラにはわからなかった。
「全滅した騎兵隊とミューエルの犠牲者を弔う時間は無い」
自分を取り戻したヒィスリードが言う。
弔うことも出来ずにここを去ると言っているのだ。
ルレィやフィリ、町の人々の死体はそのまま置かれてしまう。
腐敗が彼女達の体を変えてしまうのだろう。
アキラには、それがどうしても悔しかった。
人手が無い。そして、弔う十分な時間さえあればと、誰もが思う。
そして、救援隊は休む間も無く、彼らは次の戦いの中に身を投じようとしていた。
ミューエル救援隊、フォレングス城を発った300騎の内、死者46。負傷者80。
生き残った者達の傷の手当と休息は次の戦いへの準備に過ぎない。
馬の世話と寝床の確保。
町に残された食料を集め、騎兵隊はミューエルの町で夜を過ごそうとしていた。
そして、光が陰って間もなく、蛮族の生き残りが束縛される。
戦局が不利になるとそそくさと町にとって返し、今までずっと見つからないように隠れていたのだ。
コ・ボルと言う名の、ミューエル攻撃を指揮していた蛮族である。
だが、彼は自身の名前を口にしたものの、それ以外は何も喋ろうとはしなかった。
夜を通しての拷問にも耐え、情報が引き出せないなら殺してしまおうと言う話になったが、ヒィスリードがそれを止める。
「アキラ・ミズキの霊力なら、彼の考えていることも分かるかもしれない」
もちろん、アキラには心を読むなんてことは出来ない。
「いくらなんでも、無理です。それじゃ、エスパーか、本当の魔法使いみたいだ」
そう苦言をもらしたアキラだったが、結局、その蛮族と対面することとなった。
翌日の早朝のことである。
コ・ボルはアキラの顔を見て、また、アキラは彼の顔を知って驚いた。
「お前は……!」
お互いの声が重なる。
アキラには、その恰幅の良い体格と顔に見覚えがあった。
コ・ボルもそのようである。
「あの女と一緒に空から落ちてきた奴じゃねぇか。アキラとか言ったか? 覚えているぜ、お前のことを」
アキラの体を憎しみの血が駆け巡る。
こいつが、こいつさえいなければ、ミカゲ先輩は死なずに、リナ・トウルマも自分と離れ離れにならずにすんだのだ。
必死に怒りを抑えながらも、アキラは言う。
「こちらも覚えているよ。僕と一緒にいた女を連れて行っただろ? 彼女はどうした? 生きているのか?」
「まったく、なんの因果だ、これは。なぜ、お前が」
「答えろ!」
この蛮族は手掛かりの無かったリナ・トウルマの行方を知る、唯一の手段である。
これを逃すことは出来ない。
コ・ボルはアキラの苛立った顔を見ると、いやらしい笑みを見せた。
「あの女か。生きているよ。連れ帰ってから何人かで可愛がってやったが、すぐに姉御にばれてしまってな。取り上げられたよ。忌々しい。あんな上等な女、姉御の寝所から声ばかり聞かされて、こっちは生殺しだ」
「……姉御?」
蛮族は言う。
「ティ・エだ。俺達の大将だ。今のところのな」
すかさずヒィスリードが口を挟んだ。
「なるほど。おい、貴様。そのティ・エは今どこにいる? 話せば命を助けてやっても良い」
「ヒィスリードさん?」
「私に任せろアキラ。……どうだ? 悪い話ではあるまい?」
「必ずか? それにただで教えるわけにはいかんな」
「命を助けるだけでもずいぶんな譲歩だが、良いだろう。食料と馬もくれてやる」
「ふん。まぁいい」
コ・ボルはその口から敵の行方を語る。
それは、その場にいる誰もが予期しない場所であった。
「姉御は総力を結集して移動中だ。今頃はフォレングス城に攻め入るところだろう。この町は囮だ。ここの戦力が手薄なことを知って、すぐに姉御はフォレングス城を目指した。ここを助けに来るだろうお前らと鉢合わせしないように、北の迂回路を使ってな」
「なんだと!?」
ヒィスリードは激しく動揺した。
「貴様、それは本当か!」
「姉御は頭が良いんだ。俺達とは比べ物にならない。少なくとも交渉だなんて、誰も考えもしなかったからな。ゲブゲとか言う男がいるだろう? 姉御は奪った宝石やらをアイツに流す代わりに土地の情報を入手しているんだ。ゲブゲはこっちがここを攻める寸前に出て行ったみたいだが、いくらピカピカしてるとは言え、あんな石ころぐらいで仲間を売るんだからな。とんでもないブタ野郎だぜ」
「……アキラの友人。お前たちが捕らえた女はどこに?」
「さぁな。ラーバンの森の駐屯地か。もしくは姉御が隠して戦場に連れてきているかもしれない。姉御は独占欲が強くて嫉妬深いからな。十分ありえることだ」
「そうか」
ヒィスリードはそれを聞くと、剣を抜いた。
コ・ボルはにやりと笑う。
「ふん。答えてやったぞ。それ以上のことは俺だって話せることは無いな。ほら、早く縄を切ってくれ」
「良いとも。ただし斬るのは縄ではない」
「あぁ?」
どちらにしろコ・ボルはそれ以上のことを何も言えなかった。
ヒィスリードが剣でその首を跳ね飛ばしたからである。
転がった首が床を跳ねて、凍りついた断末魔の表情がアキラに向いた。
「ヒィスリードさん……ッ!」
「フン! 生きて返すわけが無かろう! こいつは死んで当然なのだ! そして、我々には一刻の猶予も無い。すぐにフォレングス城に出発しなければ」
アキラの心に、不安が募っていく。
「しかし、ゲブゲか。奴はますますもって生かしておけん。必ず殺さなければならない」
霊力と言う力が、ヒィスリードの変容していく心をアキラに教えていた。
アキラは、ヒィスリードの心がますます憎しみに染まっていくのがたまらなく怖かった。
「ヒィスリード、さん」
「なんだ?」
だが、何と言えば良いのだろうか。
アキラは言葉を上手く見つけられず、彼の心の底で渦巻く蛮族やゲブゲへの憎悪の心に、何も言えなかった。
今のヒィスリードから感じるのは、殺意への欲望だけだ。
しかし、それでは……行き着く先は蛮族のような業を背負うだけではないのだろうか。
「やることをやるのみだ。もはや」
「でも……ヒィス」
その瞬間、ルレィの心がアキラ自身に宿った気がした。
声に、仕草に、心に、その霊力に。
何かが心の底で彼に伝えよと囁く。
ヒィス。目を覚ませ、ヒィスリード・ネイフィス!
アキラの胸の底ではっきりと生まれてくる、彼への愛しさを持つ女性的な感情。
そして、暗黒の道を進もうとしている彼を心配する心。
間違いなく、ルレィの心のようだった。
……ああ、なぜ涙が流れるのだろうか。
優しく、それでいて力強い精神的な力の奔流。
アキラは自分の心に宿った彼女の感情を感じて、言った。
感情が口からたまらずに流れ出るように。
「ヒィス。それでも心配だ。憎しみに心をゆだね過ぎてはいけないよ。お前は立派な騎士なんだろう?」
アキラの意識は、彼女の心に支配されているも同然だった。
その時、アキラは確かにルレィそのものだったのだ。
ヒィスリードはその言葉を聞くと、呆けた様にアキラを見返して、それから言った。
深く、深く何かを理解したように。
「……そうか。大丈夫だ。どうやら霊力と言うのは、私の想像以上に人の心に容易く入り込むことが出来るようだな。今、ただの一瞬の間だが、君の中にルレィを見た。私の心の中に在り続ける、私が望む彼女の姿だ。大丈夫だ。君を通せば、私は自分を見つめ直すことが出来る。私が望むままの美しい彼女が、私を正してくれる。アキラ。私が道を違えそうになったらお前が救ってくれ。この国がお前を欲していたように、今の私には、お前が必要なようだ」
全てが伝わったのだろうか。
それは今のアキラには分からない。
だが、それでもヒィスリードの心には、前を向いて歩くだけの強さが戻っていた。
それは憎しみだけではない。
一刻も早く戻り、フォレングス城の人々を救わなければならないと言う、強い意志だ。
その後、ヒィスリードはすぐに救援隊を召集し、フォレングス城へ向かうため、隊を引き連れてミューエルの町を後にした。
いつか、平和な時代が訪れたときに、必ず弔うと心に約束して。
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