第204話 天秤

—1—


9月3日(月)午後8時51分


 ペアを組んだ佐藤平治とタエの老夫婦が、手首に手錠を付けた状態で集会場の中から戻ってきた。


「これでとりあえずは一安心だ」


「明日は特にやることも無いし、家にいようかね、お父さん」


「そうだね。たまには畑仕事も休むか」


 平治とタエは、ペアを組めて安心したのか、自分の家に帰って行った。


 ペアを組む為には集会場の中に行き、ペアの証として手錠をはめなくてはならない。タイムリミットは明日の正午。時間は長いようであまり残されていない。


 ペアは家族を中心に組まれていった。

 2人暮らしなら1ペア。4人家族なら2ペアできる。1人暮らしの人は、性別が同じ1人暮らし同士でペアを組むことになった。


 組むことになったといっても、話し合いの結果そうまとまっただけで、誰とペアを組むのかは個人の自由だ。何せ自分の命が懸かっているのだから。


 そして、いつまで手錠で繋がれるのか明らかにされていない為、ペアを組む相手は気を許せる者であることが好ましい。


「凛花はお母さんとペアを組め。父さんはおばあちゃんとペアを組む」


「お父さん……」


 私の家は4人家族なので、ペアを組む相手に困ることはない。

 でも、私の親友の奈緒の家は、3人家族なので誰かが余ることになる。もしかしたら、奈緒がペアを組めずに脱落してしまうかもしれない。


 人の心配をしている余裕が無いことくらい分かっているが、家族以上に一緒に居る時間が長かった奈緒が脱落するのは嫌だ。


 ぱっと見、集会場の前には奈緒の姿は見当たらない。家に帰ってしまったのだろうか。

 今すぐにペアを組まなきゃならない決まりは無いので、帰ったとしても不思議ではない。


 焦ってこの場でペアを組んでも、最低でも明日の正午まで手錠を繋がれていることになるので何かと不自由になる。

 そういった意味では、いったん家に帰るという選択もありかもしれない。


「どうしたの凛花? 行くわよ」


 数メートル前にいる母が手招きをして私を呼ぶ。


「早く行け、凛花。お父さんはおばあちゃんを連れてくる」


「わかった」


 父は家に帰っておばあちゃんをおんぶして来るようだ。


「ねえお母さん、ちょっと待って」


「何? どうしたの?」


 集会場の入り口で立ち止まった。


 私にはずっと引っ掛かっていることがある。

 政府の人から貰ったこの1枚のA4用紙。そこに記載されている「しかし、よく考えてペアを組むこと」という1文。ここまで念を押す意味とは一体?


 わざわざ書かなくても大した問題にならない1文を書く理由。

 一見すると気にならず、読み飛ばしてしまいがちだ。実際、村のみんなもペアを組むことばかりに気を取られて、この1文を気にしていないだろう。


 しかし、普段からよく小説を読む私にとっては、この文章がかなり引っ掛かって、もやもやする。


「お母さん、ペアを組むのは明日になってからでもいいんじゃないかな? お風呂に入るのもトイレに行くのも一緒だなんて大変だよ」


「うーん、それもそうよね」


 そう言って母が周りを見渡す。

 ペアを組んだのは、小学生の大吾と母の恭子。村長の茂夫と妻のフミエ。それから、先に帰った老夫婦、佐藤平治とタエだ。


 今後の方針を決める話し合いはすでに終わっているので、後は各自の判断に任せられている。

 ここに残ってどうするか迷っている人もちらほらといるが、帰った人も少なくはない、か。


「凛花、凛花の家はどうするんだ?」


「克也くん」


 周りの様子を窺っていた私に克也と小町が話し掛けてくれた。

 克也の家も私の家と同じく4人家族だ。なのでペアに困ることは無い。


「私はお母さんと組む予定だよ」


「克也くんの家はどうするの?」


 母が克也に訊いた。

 母も他の家がどう動くのか気になるのだろう。


「俺は小町と組む予定です。父さんは母さんと組むって言ってました」


「そうなんだ。やっぱり、どこの家も身内で組むんだね」


「そうですね。そう考えると一人暮らしの人は大変ですよね」


「奈美恵先生とか誰と組むのかな?」


 小町が心配そうな声で呟く。


 志賀奈美恵は中学校の先生だ。

 今は私と奈緒に勉強を教えてくれている。優しくて綺麗な先生で、私や奈緒の話を真剣に訊いてくれる、信頼できる先生だ。


「奈美恵先生なら大丈夫だろ」


「うん」


 克也が自身を持ってそう答えた。


「克也! 帰るぞ!」


 克也の父、太郎が大きな声で克也を呼んだ。妻の麻紀も一緒だ。

 太郎が私と母に軽く会釈をしたので、私たちも会釈をする。


「それじゃあ、帰ります。凛花、また明日な」


「ばいばーい」


 小町が控えめに手を振り、克也と共に去って行った。


 あんまり帰るのが遅いと、父がおばあちゃんを連れてやって来てしまう。

 ほぼ動けないおばあちゃんと組んでしまっては、父に行動の制限がかかってしまうので、明日の正午ギリギリに組むのが得策だろう。

 それを帰って伝えなくては。


—2―


9月3日(月)午後9時22分


 家に帰ると、ちょうど父がおばあちゃんをおんぶして、集会場に向かおうとしているところだった。


「お父さん、ストップ」


 玄関で両手を広げて父を止める。


「なんだ凛花、まだペアを組んでないのか?」


「期限は明日の正午までだから急がなくてもいいんだよ。だからお父さんも1回部屋に戻って」


「そうは言っても早いに越したことは無いだろ」


 口でそうは言いつつ、靴を脱ぎ、茶の間に戻ってくれた。

 おばあちゃんを柔らかい座布団の上に座らせ、万丈目家が全員茶の間に集まった。


「そうか。阿部さんの家も家族で組むのか。まあ当然だな」


 母が父に集会場の前で克也から聞いた話をすると、父が納得の表情を見せた。


「凛花の言い分も理解できる。今急いだところで手錠で繋がれた後が大変だしな」


 父が「うーん」と唸り、茶の間に沈黙が流れた。

 その沈黙を破ったのは、意外なことにおばあちゃんだった。


「浩二からこの村で起こっていることを一通り聞かせてもらったが、どうやらわたしは足手纏いみたいだね」


「ううん、そんなことないよおばあちゃん」


 とは言ったものの、否定できないことは事実としてある。

 どうにか負担を軽減する方法はないものか。


「わたしのことは考えなくていいよ。わたしより元気な動ける人と組みなさい」


「母さん……」


 父がおばあちゃんの言葉を受けて固まる。


「わたしはもう十分生きたよ。村の誰かが犠牲にならなくちゃならないんだろ? それだったら、自分でろくに動くこともできないわたしでいいよ」


「母さん、そんなこと言うなよ。母さんは何も考えなくて大丈夫だから。もう遅いし寝るか」


 父がおばあちゃんを抱え、奥の部屋に向かった。

 まさか、おばあちゃんがあんなことを言うなんて。私もおばあちゃんには死んでほしくない。


 私が大人になって、素敵な人と結婚するその日まで長生きしてほしい。まだまだ教えて欲しいこともたくさんある。


 私は、命に重いも軽いも無いと思う。

 77年生き、腰を悪くしたおばあちゃんと、この世に生を受けてまだ13年しか経っていない私。その命は等しく平等に扱われるべきだ。


 選別ゲームが始まる前まではそう思っていた。

 しかし、逃げることが不可能なこの理不尽なゲームが始まり、その揺らぐことがないはずの天秤がぐらぐらと揺らぎ始めている。


 誰にも死んでほしくない。でも、どんなに願っても明日の正午には誰かが脱落してしまう。

 そんな恐怖と不安を抱きながら、私は目を閉じた。

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