最終章 ヒーロー未満

一話

 火炎使いと人形遣いの対決は、文字通り死ぬまで動き続けられる人形遣いの捨て身の戦法によって、その圧倒的とも言える実力差をどうにか埋めて、人形遣いの勝利で終わった。

 人形遣いの勝利で終わり、人形遣い――雨夜維月の記憶も、そこで途切れた。

 彼からすれば、格好つけて雄叫びでもあげようかと、快哉を叫ぼうかと思っていたところだったから、なんというか空回りした気分だった訳なのだが、まあ今までずっと動かない体を能力で動かし続けていたのだから、むしろよくここまで『充電』が保ったと、自分を褒めてやるべきだ。


 気を失って、次に雨夜が起きたのは、その一週間後。病院の病室の中でだった。

 四人部屋ではなく一人部屋。

 集中治療室と呼ばれる部屋。


 あそこまでの大怪我を負ったのだから、まあ当然といえば当然の扱いではある。

 白が基調の、清潔そうな部屋の隅に鎮座しているベッドの中に雨夜は寝かされていた。

 全身くまなく、一つの隙間もなくハサミを突き刺され、その上から金属バットで殴打されたみたいな。

 そんな、言い難くて形容し難くて耐えがたい激痛によって、雨夜は目を覚ました。


「いってええぇぇぇ!!」

「うわっ、びっくりしたあ」

「ぇぇぇ……ん?」


 痛みで叫びながら、上半身を跳ね上げた雨夜は、自分が置かれている状況を……いつの間にか見知らぬ部屋でベッドの上に寝ているという状況を、今一呑み込めずに、目をパチクリさせた。

 聞き覚えがある声がした方を向く。


「全く、きみの起き方は心臓に悪いよ。なんていうか、ホラー映画に通ずるものがあるね。背骨にスプリングでも装備してるんじゃあないの?」

「委員長……」


 そこにいたのは、汐崎美咲だった。

 その肩甲骨まで伸びた艷やかな黒髪を、窓の隙間から流れ込んでくるよそ風で靡かせている。

 彼女は胸に手を当てて文句を言いながらも、目覚めた雨夜に向けて、柔和に微笑んだ。


「おはよう。体の調子はどう?」

「あー、うん。見えるし聞こえるし話せるし動けるって事は、能力自体は全快と見ていいと思う。体の方は……この重装備を見る限り、すこぶる悪そうだな」


 雨夜は苦々しく笑いながら、右腕を持ち上げた。

 火傷まみれな全身には包帯やシップが貼られていて、折れて火傷している右腕はギブスで固められて動けなくなっている。

 ぱっと見、ミイラのようだった。


「四肢五体の一つも欠損せずに残っているだけマシだと思わなきゃ」

「まあ、そうだよな。そう考える事にするよ。それで委員長」

「ん、なに?」

「あの後、僕が気絶した後、どうなった?」

「そうだね――」


 汐崎はまだ起きたばかりで上手く頭が働かない雨夜にも分かるように、懇切丁寧に教えてくれた。

 矢霧対雨夜の対決は、雨夜の勝利で終わった事。

 その後一週間気絶していたこと。

 気絶した雨夜を、この病院まで小坂井が背負いながら運んできてくれた事を、教えてくれたこと。


「身長差が結構あるからね、体重が軽いとはいえ雨夜を引きずりながら運んできてくれたんだよ、後で御礼を言っておかないとね」

「そっか……僕、そんなに長く気絶してたんだ」

「まったく、きみは日常生活を送ること自体かなり無茶しているという事を忘れ過ぎだよ」

「けど、それ以上無茶しないと負けてたし、仕方ないだろ」


 雨夜は言い訳をする子供みたいに、口を尖らせながらぶつぶつ言う。

 汐崎はそんな子供をとがめるように、こう言い返す。


「失敗したくないのも分かるし、報われたいと思うのも仕方ないと思うよ。人が頼ってくれたのが嬉しくて、頑張っちゃうのも、まあ分からなくもない」

 けど。と汐崎は続ける。


「それで雨夜の体が壊れたら元も子もないよ。きみはきっと、体が壊れてもそれが原因で死んでも本望だと言いそうだけど、残される側の事も考えてほしいね」


「……ごめん」

 普通に正論で諭されてしまった。

 雨夜は申し訳なさそうに俯きながら謝る。


「謝るのなら許す」

 汐崎は少しふざけた風に返すと、持ってきていたバックの中からリンゴを取り出した。


「これ、高坂さんからのお見舞いの品。今剥いてあげるね」

 果物ナイフをリンゴの皮に当てて、汐崎はゆっくりと、実から赤い皮を取る作業に取り掛かった。

 一センチも進まない内に、皮は切れた。


「あれ、上手くっ! いかないなっ! 動画とかで見てっ! 研究したのにっ!」

 喋りながらリンゴの皮をむこうと奮闘するも、皮はすぐに途切れ、実も一緒に抉っているものだから、リンゴにでこぼこな線が彫られていく。


「ああもう! はい、雨夜。皮も美味しいよ!」

 最終的には、皮をむくのを諦めた汐崎は、皮がついたままリンゴを八等分に切り分けた。

 ちなみにその時も、リンゴが転がってうまく切れなかったり、普通に指を切りかけたりして、近くで見ていた雨夜は、黄色い実も赤くなるんじゃないかと冷や冷やしていた。

 まあそんな雨夜もリンゴの皮がむけるほど器用ではなく、切るのも億劫だから丸かじりするタイプだったりするので、文句は言わない。

 渡されたリンゴの内、一つを手に取り、口の中に放る。

 口の中も色々切っていたりしていたようで、リンゴの果汁が傷にしみる。


「ッッッ〜! そ、それで矢霧はどうなったんだ?」

「ん?」

「あいつはこれからどうするんだ?」

 ヒーロー失格である矢霧燈花とヒーロー未満である雨夜維月。

 その二人の対決の結果は、雨夜の勝利で終わった。

 ただその結果、事態が好転したかと言えば、実際そういう訳ではない。

 確かに負けた場合に起きたであろう最悪の事態は回避できた。


「だけど、だからといって、あいつの気持ちが変わるわけじゃないだろ」


 あいつの中では、小坂井を恨む心は変わっていないはずだ。

 今もまだ、小坂井を殺そうとしているはずだ。

 雨夜はそんな風に危惧していた。

 何度も矢霧はこの後も、自分たちを襲ってくるのではないかと、不安があった。

 もちろんその度に、雨夜は彼女の邪魔をするだろう。

 だが、果たして毎回自分たちはあんな化け物に勝つことが出来るのだろうか。


「大丈夫だよ」

 しかし、そんな雨夜の不安は既に払拭されていた。

「彼女はもう、小坂井さんを見つけたこととか、全部忘れているから」

「え?」

「記憶をね、遡らせたんだよ。この街に来る前まで、彼女が小坂井さんを見つけるその前まで」


 今は『この街にやってきた旅行客』のように丁重に扱ってるよ。

 と、汐崎は言った。


「きみたちがここまで頑張ったんだ。これからは私たちが頑張る番だよ」

 汐崎はむん、とガッツポーズを決める。

 雨夜はあはは、と笑って返した。

 この結末が、間違っていない終わりだと信じて。正しくなくとも、間違ってはいないと信じて。


「あれ、じゃあどうして僕のことももどしてくれないんだ?」

「今は無理だよ。矢霧さんの記憶を一週間近く戻したんだ。彼女自身の疲労もスゴくて、きみと同じように一週間前からずっと倒れてるよ。今は絶対安静というやつ」

 それとも、と汐崎は続ける。


「きみは自分がはやく動きたいからって、疲労困憊な彼女に、更に鞭打ってまでもどしてほしいの?」

 雨夜はぶんぶんと首を横に振った。

 汐崎は柔和に微笑んでみせてから。

「それにね、別の理由もあるんだよ」

 と呟く。


「別の理由?」

「そう」

 汐崎は嬉しそうに言う。


「自分のために動いてばかりだったきみが、初めて他の人のために頑張った日のことなんだから、忘れたらもったいないでしょ?」


「……委員長」

「汐崎さーん。矢霧が動き始めたみたい」

「あ、はーい。分かりました」

 雨夜は何かを言おうとしたが、それは外からの声によって遮られてしまった。

「えっと、それじゃあね雨夜。ゆっくり休むんだよ」

「あ、うん」


 汐崎は部屋から出ていき、何か言いそびれた雨夜はリンゴをひとつ食べる。

 ――人のために頑張った、か。

 シャクシャクと噛んで、果汁が傷口に染みて涙目になりながら、ベッドに寝っ転がった。


「本当に、そうなのかな……」

 そんな事を雨夜が考えた直後だった。引き戸のドアがガラリ、と開いた。

 青髪の少女、小坂井せつながそこにはいた。

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