第46話 決戦の前に
神社に帰って、今日はもう遅いのでみんなには泊まっていってもらうことにした。
有栖は舞火や天子が怪我をしていないか心配になっていたが、二人とも神社に帰る頃にはすっかり元気になっていて、次の朝にはすっかり回復していた。
朝食の席で舞火と天子は宣言していた。
「あいつ、今度会った時にはきっちり絞めてやらないとね」
「戦い方も掴めてきたわ。あの光る糸にさえ気を付ければ何とかなるかもしれない」
「それでも、霊力を乗せないと中級悪霊にはたいしたダメージは見込めないかもしれません」
有栖は慎重だった。舞火と天子もそれには同意見のようで口を噤んでしまった。
あの戦いには手を出さなかったエイミーが口を挟んできた。
「中級悪霊ってそんなに強いんですか?」
「はい、レベルが違うとは聞いていたんですが……文字通り、桁違いの強さでした」
「でも、有栖ちゃんなら追い返せたのよね?」
「はい、霊力を乗せて打ち込みましたから」
「霊力か……」
みんなは考えてしまう。舞火がやがて言葉を口にした。
「それの使い方、わたし達にも教えてくれる?」
「もちろんです」
断る理由は無かった。
朝食を終えて、みんなで境内に出ることにした。
青空の広がる良い天気だ。昨日の不安など何も感じさせない。
朝の日が刺す境内で、有栖はみんなを前にして話を始めた。
「今日は学校のある日ですけど、みんなは大丈夫ですか?」
今日は平日だ。本当ならみんなも学校に行かないといけない時間だが。
舞火はやれやれと息を吐いた。
「あんな凶暴な悪霊が野放しになっているのに、のんびり行ってもいられないでしょ」
「そうですね」
有栖自身も今日は中級悪霊への対策を立てるつもりでいた。学校へは大事な家の仕事があるので休むと連絡を入れていた。
みんなもそうなのだろう。ならば、今することはみんなの思いに答えて、仕事に取り組むことだ。
有栖は手に持っていたお祓い棒を舞火に渡した。舞火は不思議そうにそれを見つめた。
「これは有栖ちゃんの使っていた……?」
「そうです。これを霊力を込めて振ってみてください」
「分かったわ。期待に答えてみせるから見てて」
舞火はみんなの見ている前でそれを振った。良い風切り音が鳴って、舞火は目線を棒の先から有栖の顔へと移した。
「どう?」
「うーん、霊力はあまり出ていないみたいです」
「そうよね」
有栖はいつも普通の箒で戦っている舞火なら、ちゃんとした道具を使えばもっと上手くいくのではと思っていたのだが、どうも上手くいかないようだ。
その不満は舞火自身も感じているようだった。
「有栖ちゃんっていつもこんな使いにくい道具を使っているの?」
「いえ、別に使いにくくは無いんですけど……」
有栖は今度はお札の束を天子に渡した。
「天子さんはこれを投げてみてください。霊力を込めて真っ直ぐに」
「最初にちょっとやってた特訓ね。やってみるわ」
天子はお札の一枚を取って、霊力を込めるかのように目を瞑って集中して……投げた。
「ああっ」
お札はすぐに風に吹かれて横に流れていった。
舞火がため息を吐いて、有栖もついつられてため息を吐いてしまった。
「ミーが拾います!」
エイミーがすぐに拾いに走っていった。
これは時間が掛かりそうだ。
「有栖ちゃん、わたし達しばらく頑張ってみるから」
「はい、よろしくお願いします」
舞火がそう言ってくれたので有栖は練習をそれぞれに任せることにして、自分の仕事をするために神社に戻っていった。
薄暗い部屋に炎を灯し、有栖はムササビンガーの行方を占うことにした。
前に巫女さんキラーの行方を探した時と同じ儀式を行う。
みんなは外で修業をしている。有栖も自分の霊力を高めるよう意識しながら祈祷を行った。
そうして、いくつかの時間が経った頃。
部屋に入ってきた人がいた。有栖は祈祷の手を止めて振り返った。
黒い服を着て銀色の髪をした彼女はジーネスだ。
最初は悪霊王として彼女に注意していた有栖だったが、今ではもっと注意しなければならない悪霊がいた。
時間が惜しいので、短く質問する。
「どうかしたの? ネッチー」
「わらわに何か手伝えることはないか?」
「悪いけど……」
今のジーネスには悪霊としても巫女としても力が無かった。喧嘩をしても舞火にも軽く捻られるだろう。有栖はそう思っていたのだが、ジーネスは引き下がらなかった。
彼女は足を前に踏み出してきた。その顔を炎が赤く照らし出していた。
一緒に暮らして見慣れているはずなのに幻想さを感じさせるその姿に、有栖は少し息を呑んでしまった。
ジーネスは言う。特に何を感じさせることもない口調でさりげなく。
「わらわは知っておるのじゃぞ。お前がわらわの力を持っていることを」
「え……?」
有栖は思わず懐に隠し持っていた封印石の入った袋を握り締めていた。その手が動く前にジーネスの瞳はそこを見つめていた。
有栖はゆっくりとそこから手を離した。
「知っていて……?」
「風呂に入った時にな。後でエイミー先輩が丁寧に教えてくれた」
「エイミー……」
エイミーの行動を責めることは出来ないだろう。彼女は先輩として可愛い後輩の質問に答えただけなのだ。責められるとしたらそれは何も話さなかった有栖の方だろう。
父が帰ってくれば全てが上手くいく。そう思っていた。だが、その前に事態はすでに色々な方面で動いていた。
ジーネスの瞳が有栖を見る。その赤く揺れる瞳は凶暴な力を求める悪霊王のものではなく、少し寂し気な少女のものだった。
そうと気づき、有栖は強張っていた肩の力を抜いた。
「怯えないでくれ。わらわは今の生活が好きだ。昔のみんなとの生活も好きじゃった。悪霊と呼ばれてショックだったな。お前に守りたい物があるなら、わらわも守りたいと思っている」
「ネッチー……」
有栖は考えた。今目の前にいるのは何も知らない悪霊王ではない。ともに神社で暮らしてきた友達だ。
ジーネスは決して人を騙すような悪い悪霊ではない。父の話にもどこか間違いがあるのだろう。
力の一部分だけでも渡せればきっとジーネスは力になってくれる。
だが……
有栖にはもう交わした約束があった。父が帰ってくるまで、この封印石を守ると約束した。その約束を違える気は有栖には無かった。
だから、考えるまでもなく、答えはもう決まっていた。
「これは父さんから預かっている大事なものだから……」
「そうか……お前がそう思うのならそれでいい」
ジーネスは無理に奪ってくることはしなかった。ただ踵を返して言った。
「だが、お前がわらわに助けを求めるならば、わらわにはいつでも答える用意がある。そのことだけは覚えておいてくれ」
ジーネスが立ち去っていく。心細そうな背中をして、
「もう誰もいなくなるのは……寂しいからな」
最後にそう言い残して、ジーネスは部屋を出ていった。
有栖は炎の揺れる部屋で考えた。
「ネッチー……気持ちは嬉しいけど、きっとわたし達で何とかしてみせるから!」
そして、決意を新たにして祈祷を再開した。
精神を集中して研ぎ澄ませ、町に漂う霊気を探って辿っていき、やがてムササビンガーの居場所が掴めた。
「え? この場所って……」
有栖が疑問の声を上げてしまったのも無理は無かった。
その結果が前に占った時と同じ場所を示していたからだ。
つまり、巫女さんキラーを見つけたのと同じ場所。
「悪霊王ヴァムズダーのいた遊園地に? なぜ?」
分からないが、行き先が出たのなら確かめに向かえばいいだけだ。
有栖はすぐに部屋を出て、境内にいるみんなのところへ向かった。
有栖が姿を見せると、みんなの視線がすぐに集中した。
「有栖ちゃん、だいぶ霊力を使うコツが掴めてきたわよ。でも、わたしにはやっぱりこっちの方がまだ使いやすいみたい」
「そうですか」
有栖は舞火からお祓い棒を受け取った。舞火自身は再び箒を手に取っていた。
戦い慣れした舞火がそう言うのなら、有栖から特に反対意見を言うことは無かった。
続けて、天子が声を掛けてくる。
「有栖の方でも何か掴めたみたいね」
「はい、ムササビンガーは今、悪霊王ヴァムズダーのいた遊園地にいます」
「あそこか」
「大方、自分こそが次の王様だと宣言するつもりでいるのね」
「ミーも知っている場所です」
有栖は頷き、言葉を続けた。
「中級悪霊は強敵です。無理に挑まずに父さんが帰ってくるまで待つのも手だと思います。ですが……」
有栖の言いよどんだ言葉を、舞火が引き継いで言った。
「そんな情けない真似は出来ないわね。そのお父さんからこの町と有栖ちゃんを任されている身としては耐えらないわね」
「あたしのお兄ちゃんも強いんだけど、喧嘩に負けたからってお兄ちゃんを呼んでくるような奴って、めちゃくちゃ恥ずかしい奴だと思うわ」
「ミーはゴンゾーに良い所を見せたいです」
有栖は頷き、決意を告げた。
「わたしも同じ気持ちです。わたしも父さんから任された仕事をここにいるみんなで達成したいと思っています」
それはもう有栖個人の仕事ではなく、ここにいるみんなの仕事だから。
だから、みんなでやり遂げたいと有栖は願っていた。決意を確認して頷き合う。
「では、行きましょう。悪霊を祓いに。ネッチーは神社の方をお願いします」
「うむ、お前達が帰ってくるのを待つとしよう」
頷くジーネスに舞火が近づいていく。ジーネスは僅かに身を引いた。
「な……なに?」
「留守番も大事なお務めよ、ネッチー。もし、わたし達のいない留守中に神社が悪霊に襲われていたりしたら、デコピンするからね」
「わ……分かっておる」
「なら、よろしい」
舞火は少しいたずら好きなお姉さんの態度でジーネスの頭をわしゃわしゃと撫でた。
みんなは微笑ましく見守った。
「では、行きましょう」
「お土産楽しみにしているですよー」
エイミーが手を振って、みんなは目的地へ出発する。
見送って、ジーネスは深く息を吐いて無事を祈った。
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