フロリアの痕跡

「ついに指が見つかったのか……!!」


 ウェイルの目の前に置かれたこの生々しい肉片。

 それは世界競売協会にてルミナステリアに奪われた重役の親指であった。


「これこそが、この都市に『不完全』の連中がいたという何よりの証拠なんです」

「…………ッ!」


 ウェイルは絶句していた。

 クルパーカー戦争の後、贋作組織『不完全』絡みの事件は目に見て判るほど少なくなった。

 市場から贋作の多くが姿を消し、多くの人々が安心して取引を行っている。

 まさに今、この大陸は経済的に平和そのものであったのだ。

 だがその平和は一時の幻に過ぎなかったということだ。

 奴らはまだ身を潜めているだけで、またいつ活動を再開させるか判らない。

 目の前に置かれた指について、ウェイルは思考を巡らせていた。


(……クルパーカー戦争を起こしたのはイングの率いる『不完全』の過激派連中だ。指はイングの配下の者に渡ったと見て間違いない)


 戦争の後、過激派の贋作士の大半はプロ鑑定士協会並びに治安局に拘束された。

 大半と表現したのは、残る一部の者は逮捕を拒否し自害したためである。

 首謀者であるイングも逮捕され、指を奪った張本人であるルミナステリアは、実の姉であるアムステリアの手によってこの世を去った。

 プロ鑑定士協会の発表では、戦場から脱出できた贋作士は僅か三名で、その内二人はその後逮捕されている。

 その二名とクルパーカーで拘束した贋作士は、誰も指を持ってはいなかった。

 つまり持っていたのは最後の一人。

 戦場から唯一逃げ延びた、その者こそが指を所持していた者。

 ウェイルの脳裏に過ぎる、ある女の顔。


「となれば指を持っていた可能性があるのは――フロリアか」


 ――フロリア。

 王都ヴェクトルビアで王宮のメイド長として働いていた贋作士。

 王であるアレスを裏切り、ヴェクトルビアを大混乱させたばかりか、クルパーカー戦争にも参加していた。

 ウェイルは彼女を後一歩のところまで追いつめたが、最後の最後で逃してしまったのだ。


「ウェイルさん。今フロリアって言いました?」


 逃げ延びた最後の贋作士がフロリアだということを、ステイリィは知らない。


「フロリア……。ヴェクトルビアで事件を起こしたというメイドですよね」

「そうだ。奴はヴェクトルビアでクルパーカー戦争に向けて戦力増強のために悪魔デーモンを召喚し、使役していた。悪魔は全て葬ったが、奴自身を逃してしまったからな。フロリアはルミナステリアと戦地で合流している。指を渡した可能性も高い」


 まさかフロリアが、この教会都市サスデルセルに逃げ込んでいたなど想定外だ。


「……クソッ、あの時きっちり捕らえていれば……!!」


 自分のミスが、こんなところで被害を生んでしまった。

 だが後悔している暇もない。

 フロリアは逃げたのだ。

 この瞬間にも新たな被害者が出てくる可能性だってある。


「奴の足取りは判らないのか?」

「治安局は、奴らは鉄道で逃げた可能性が高いと考え、ここ数日の乗車記録を調べました。また電信局に問い合わせ、『不完全』と通信した痕跡がないか捜査しました。その結果、いずれも奴らの使用した形跡はなかったのです。奴らは贋作士ですので記録を欺くことも可能でしょうが、逃げている立場です。贋作を製作する道具もないし時間もない。故に考えられることはですね……」

「まだこの都市にいる、ってことか」

「そういうことになります。各鉄道駅の警備も強化しています。奴らが鉄道を使うことは難しいでしょう」

「鉄道以外でこの都市から……ってのは、難しいか。というより無理だ」

「はい。何せここは教会都市ですから」


 教会都市サスデルセルは、悪魔など魔獣の被害から都市を守る為、都市の周辺には大きな城壁が構えられている。

 さらに幾重にもわたって各教会が魔術結界を張り、都市を守護しているのだ。

 この都市から外に出る方法は主に鉄道であり、鉄道以外には城壁各地に設けられた門があるのだが、そこには当然門番がいる。

 誰にも気づかれずに隠れて脱出するのは非常に困難と言える。


「ますますサスデルセルにいる可能性は高いな」

「ですね。我々としてもこの都市にとって危険となりうる奴らの存在を許すわけにはいきません。警備や捜査を引き続き行っていきます。もし何か判り次第、ウェイルさんにも報告いたしますから!」

「助かるよ」


 あのクルパーカーという戦場から一人逃げ出したフロリア。

 彼女は今どこで、何を考えて生きているのだろうか。

 フロリアのやったことは悪だ。

 ヴェクトルビア王アレスを裏切り、都市全体を混乱の渦に巻き込み、さらにイレイズの故郷を襲った。

 到底許される筈はないし、許す気もない。

 しかしながら、彼女には彼女なりの事情がある。

 『不完全』に属す者、皆が皆好きで悪事を働いているわけではないのだと、ウェイルはアムステリアやイレイズの件から十分理解している。

 ヴェクトルビアで会話した際は、フロリアはただのセルク好きな年相応の女の子にしか見えなかった。


(……そういえば……)


 戦場から逃げ出したのはフロリア、ただ一人。

 治安局やプロ鑑定士協会の発表ではそうなっていた。

 しかしウェイルにはもう一人、戦場にいて、現状居場所が判らない者がいた。

 それはイングと共に行動していて、魔獣『龍殺しドラゴン・キラー』の力によって打ち倒したはずの神龍。

 確か名前は『ニーズヘッグ』。

 あの天然素直なフレスが、唯一憎しみの表情を向けた相手。

 龍の死体が発見された話など聞いていない。

 戦争の時は、イングのことにばかり集中していたため、ニーズヘッグのことなど思考から抜け落ちていた。


(ニーズヘッグはイングと共に行動していた。もし生きているとすれば、フロリアと一緒にいる可能性は高い……!)


「なぁ、ステイリィ。フロリアのことだが、もしかすると龍を連れているかも知れない」

「龍ですか!? あの、戦争の時にいた黒い龍のことですか!?」

「そうだ。もしフロリアが龍を連れているのであれば、捜査は慎重にした方がいい。龍の魔力の恐ろしさはお前も知っているだろう?」

「弱いとされる屍龍ドラゴン・ゾンビですら、あのパワーでしたからね……。判りました。気をつけます。ただ部下には龍の存在をあまり公表したくはないのですよ」

「しない方がいいだろうな」


 この都市は教会都市である。

 治安局員の中にも、何かしらの教会に属している者は沢山いる。

 多くの教会で『龍』の存在は許されていない。

 神々の天敵と説き、忌み嫌っているからだ。

 となれば、局員の中には龍の存在を知れば、畏怖し縮こまってしまう者も出るだろうし、逆に激高し、龍を仕留めんと勝手に動き出す者も出てくるかも知れない。

 今は捜査に少しでも不安要素を入れてはならぬ時。

 部下の動揺を誘う言動は控えねばならない。

 しばらくの沈黙の後、ステイリィはソファーにグッと持たれ掛って溜息をついた。


「はぁああ~、面倒事が多すぎですよ……」

「まさか奴らがお前の管轄に来るなんてな。運のない奴だ」

「それもありますけどね。他にも教会間での小さな争いごとが頻発していましてね。誰かさんがラルガ教会を告発してくれたおかげで、他の教会は今がチャンスとばかりに権力を誇示しようと必死になっちゃいましたから。特にラルガ教会と仲の悪いアルカディアル教会なんて、ラルガ教会の失脚によってかなーり天狗になっちゃってますからね。嫌な噂ばかり広まってますよ」

「……そりゃ悪いことをしたな。でもおかげで出世できたろ?」

「うう、まあそうなんですけど……」


 そう呟いて、もう一度大きな嘆息。

 その溜息にタイミングを合わせるかのごとく、部屋の扉が叩かれて部下が入ってくる。


「支部長! この書類にサインをお願いします!」

「おい! テメー!! 私とウェイルさんの蜜月なる甘い空間に入ってくるな!」

「す、すみません!!」


(いや、甘いどころか凄まじく生臭い話をしていただろう。指とかあったし)


「し、しかし! この書類は急いで本部に送らねばなりませんので!」

「だーめ! ウェイルさんといる時は仕事しないの!」


(こいつ、部下の前では本当にクズだな……)


 プンと頬を膨らませる支部長を見て、困り果てた様子の部下達。

 流石に部下が可哀そうに思えてくる。


「どうやら俺は仕事の邪魔の様だな。そろそろ帰るとするよ。ステイリィ、また来るからな」

「はい! ……って、え!? もう帰っちゃうの!?」

「ああ。フレス達のことも気になるし」

「あんな不細工な娘なんてどうでもいいでしょ!? ほら、こんな美少女が帰らないでって言ってるのよ? 女に恥をかかせないで!」

「急に口調を変えるな、気持ち悪い。それに部下に恥をかかせまくっているお前に言われたくはない。さっさと仕事しろ」

「そんな、殺生な~~~!!」

「じゃあな。情報を掴んだらまた来るよ」

「嫌だ~~、仕事したくない~~!!」


 ステイリィが何かと叫んでいたが、完全に無視して扉を閉める。

 廊下に行き交う部下達が揃って溜息をついているのを見て、その苦労が窺えた。

 ウェイルも彼らに習うように一度だけ大きく溜息を吐くと、治安局を後にしたのだった。

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