お前/あんたにだけは、絶対に。

 

 お題:【君の瞳にカンパイ】【ステンドグラスの聖女】【パブリックエネミー】【暴走車】

 

 

 

 嫌に重い屋上の扉を開けてみれば、先客の後ろ姿があった。

 沈み掛けた夕日。藍と茜のグラデーションを背に、見覚えのあるヤツがグラウンドを見下ろしている。

 はしゃぐ生徒達の声とマイムマイムに混じってぱちぱちと、火の粉の散る音が聞こえた。……四階建ての屋上だってのに、案外聞こえるもんだ。

 大きな火を囲ってのフォークダンスは、二日続いたお祭り騒ぎの締めくくりだ。

 これが最後だ楽しみ尽くせと、弾ける皆の姿が目に浮かぶ。グラウンドでは今、言い様の知れない熱気が渦巻いてるんだろう。

 

 ……だってのに、この屋上の雰囲気と来たら。

 

「……何よ」

 

 一瞬だけこちらを見たその女は不機嫌そうな声色で言った。俺もそのテンションに合わせて「別に」と返す。

 そんでなんとなく、そいつ――美里の五歩分隣へと陣取った。金網の格子に手をかけて、隣を真似てじゃねえがグラウンドを見下ろす。

 広がってたのは想像通りの景色。あまりにも予想通り過ぎて、胃がきりきりと痛んだ。

 

 ――――自然と誰かを探す自分の目線がどうしようもなく惨めで、嫌になる。

 

「……キャンプファイヤーとか、熱くて危ないだけじゃん」

 

 変わらず不機嫌な調子で、美里はぞんざいに吐き捨てた。それは多分、何かの感情を一緒くたに放った言葉で。赤く腫れたヤツの目を、俺は極力見ないようにして。

 美里はそれに気付いているのかいないのか、ぶつぶつと不平を漏らし続ける。

 

「火傷とかしたらどうすんだろうね。誰が責任取るんだろ」

 

「知らねえよ。多分、教師連中じゃねえの?」

 

「ふぅん。身勝手に騒いどいていざとなったら先生頼みなんだ。……馬鹿みたい」

 

「仕方ねえんじゃねえ? 俺ら学生だし、責任とか取れねえって」

 

「仕方ないで済むなら警察もPTAも要らないでしょ。ていうか、普通に考えて校庭でモノ燃やすとか頭悪くない?

 自分ちの庭で考えたらいいのに。そうしたら絶対やらないでしょ、危ないって目に見えてるもん」

 

「そりゃあお前……庭と校庭は違うだろ、広さとか。あと、消火栓とかもあるしよ」

 

「近場に水があればすぐ消せるから燃やしていいってこと? 都合良過ぎ、放火魔の考え方じゃんソレ。……っていうかさぁ、知ってる? マイムマイムって『水よ水よ』って意味なんだって。

 よく考えなくても馬鹿だよね。キャンプファイヤーの回り囲んで水が水がーとかさ。見た感じ水気無いこと分かるでしょ、普通」

 

 それは端から聞いてれば何気ない会話だったかもしれないが、今の俺にはとても耐えられるもんじゃなかった。 

 まだ文句を続けようとする美里に向けて「なあ」と。若干強めに言ってしまったことを後悔して。

 

「何よ」

 

「…………止めようぜ。空しいし、情けねえだろ」

 

 隣から、悔しげに言葉を呑む音が聞こえた。束の間の静寂は、弾ける火の音とマイムマイムに掻き消される。

 

「今の俺らが何言っても、負け惜しみにしかなんねえって」

 

「それは、でも……」

 

「お前も泣きそうになってんじゃねえか、止めようぜ。っていうか止めてくれ。……俺まで心折れそうになるわ」

 

 これ以上何も見ていられなかった。金網から離れて、グラウンドが視界に映らないところまで下がっていく。

 離れたのはだいたい七歩分。中途半端なこの距離が、俺に『届かなかった』という事実を突き付けてるみたいで。

 苦々しく「くそ」と悪態を吐いてしまえばもう、文句を垂れる美里と同じ穴のむじなだ。

 あからさまな俺の姿に、美里も流石に気付いたんだろう。ぽつりと、でも遠慮なく言葉を投げてきた。

 

「なんだ――――あんたも、駄目だったんだね」

 

「……わざわざ聞くなよ。OKだったら今頃あそこで馬鹿みたいに踊ってるっての」

 

 本当に、わざわざ聞かないでほしかった。あの時のショックと悔しさが、またキリキリとせり上がってくる。

 そういう風に見れないって何だよ。俺は最初っからバリバリ下心しかなかったっつーの。友達としてならって、そう思えねえから思い切ったってのに。

 そんな自分の身勝手な思考が、情けねえことこの上なくて。……重々しい内心を肺から吐き出せば、とんでもなく暗い溜め息が二つ重なった。

 

「…………さいあく」

 

「だから、そういうの口に出すなって」

 

「こっから机とか椅子ブン投げてやろうかな。やぐらごとあの鬱陶しい炎ぶっ潰したいんだけど」

 

「やめとけ、唯の頭おかしい奴じゃねえかソレ」

 

「いっそ誰か死んじゃえばいいのに、燃えるなりなんなりしてさ。そうすればこんなバカげたイベントなんか――――」

 

「アホ、言い過ぎだ」

 

 火に中てられて熱くなり過ぎたらしい美里を諌める。そうやって悪態を吐けば吐くほど、キツくなるのは自分自身だ。

 何を言っても同じこと。ここにいる二人は負け犬なんだ。文句を垂れれば負け惜しみ、暴れ回ったら八つ当たり。

 何かに敗けた人間ってのは背筋丸めて縮こまって黙ってる以外に無いんだ。そうして傷が癒えるのを待つのが最善の方法ってやつで。

 言えば言うだけ辛くなる。だというのに、美里は言葉を止めようとしない。

 

「なんで、あたしじゃないんだろ……」

 

 そんなもんは俺だって聞きたい。

 

「好きだったんだけどなあ、ホントに」

 

 そんなもんは俺だって同じだ。

 泣き言なんてもうたくさんだ。これ以上口を開かないでくれ。耐えかねてそう言おうとした瞬間――――

 

「ああ、もう――――くそったれがあ!」

 

 叫び声。がしゃあん、と金網が悲鳴を上げた。突然網の柵へ渾身の蹴りをかました美里へ向けて「お、おい!?」と口に出す。

 かなり大きな音に聞こえたが、少し待ってみてもグラウンドの熱気は何も変わらなくて。

 今は状況が状況だ、誰も気付かなかったか。そう安堵するとともに、こうまでしても負け犬の遠吠えってのは通らねえのかと胸が締め付けられもする。

 多分、美里も同じ気持ちだろう。自分の存在が否定されてるみたいな感覚に苛まれているに違いない。

 そう思った矢先に、当の美里がくるりと振り向く。

 ああ、多分とんでもなく情けない表情を浮かべているんだろうな、とか。そう思ってたけど――――

 

「――――びっくりした? あはは、ごめんね?」

 

 ――――美里は何故か、どこまでも晴れやかな笑顔を浮かべていて。思わず俺は言葉を失った。

 

 背後に広がる藍と茜のグラデーション。校庭から上がる橙のアクセント。歪んだ金網でセパレートされた夕焼け空の背景は、どこかステンドグラスを思わせて。

 金網のラピエサージュを背景に笑う美里の姿に俺は、ろくすっぽ声も出せない程目を奪われてしまっていた。

 

「あースッキリした。あんたもやる?」

 

「…………遠慮、しとくわ」

 

「そ。まあ、あんたはこういうの要らないのかもね。今だってなんか冷静そうだし、気持ちのリセット得意そうだし」

 

 あっけらかんと、美里は満面の笑みで言い放つ。その言葉に俺は、胸のあたりをぎゅうと締め付けられて。

 冷静? そんなわけあるか。リセットなんて得意じゃない。振り切ったフリをしてるだけ。内心を表に出さないようにしてるだけだ。……現に今だって、自分勝手な未練を抱いたままで。

 だからこそ思った。気持ちの強さってのは、俺みたいにこそこそ感情を隠すような人間になんて宿る訳なくて。

 

「あたし、メンタル弱いからさ。こうでもしないとケリ付けらんないんだよね。あ、ダジャレじゃないよ今の」

 

 何がメンタル弱いだ。お前みたいな奴のことを『ハートが強い』って言うんだよ。

 打ちのめされても乗り切って。折られても立ち直って。元に戻って笑い飛ばせる。そういう奴を強いって言わなきゃあ、ホントの強さなんてどこにもねえよ。

 そんなことを思ってても口に出せないのは、多分俺が彼女の姿を見て悔しいって、でもすげえなって。そう思ってるからだ。

 

 ――――この真直ぐな目には、一生掛かっても勝てそうにねえなって、そう思っちまってるからだ。

 

「はぁ……なんかイロイロ疲れた。あたし、しばらくここで休憩しとくわ」

 

 憑き物の取れたような顔で、美里は歪んだ金網にもたれ掛る。空の茜は消えかかり、夜の藍色が辺りを占めようとしていた。

 ……汗の浮かんだ額、そこに張り付いた彼女の髪が、何故だかやけに気になってきて。 

 

 これはヤバい。何がヤバいなんてのは口が裂けても言いたかないがとにかく、ヤバい。――――死ぬ気で、この気持ちは振切らなきゃならねえ。

 

 だってそうだろ。同じ境遇でここにきて、美里はなんとか立ち直ったってのに俺はまだヘタレたまま。負け犬度合で言えば断然に俺がぶっちぎってる。

 その上、何だ……このヤバさを認めちまったらもう、情けないとかいうレベルじゃねえだろ。……そんな考えがよぎったその時。

 

「あ、そだ」と美里の声。瞬間に――――このタイミング偶然じゃねえわ、とか訳の分からないことを何でか思って。

 

「正直若干揺れ始めてるから、ここで言っときたいんだけどさ」

 

「奇遇だな。俺もちょっとばっか言いたいことあんだわ」

 

 結局んとこ、俺たちは根っこのトコが似てるのかもしれない。……そりゃあまあ、メンタルの強さは向こうのが上かも知んねえが。

 それでも、同じタイミングで突撃して玉砕して、同じ場所に逃げ込んでくるあたり、考え方は近いんだろう。

 だからこそ悔しいって思った。……こいつがこんなに強いんだから、俺だってそのレベルくらいにゃあなれんだろうがよ。

 

「これがきっかけとかになったら、あたし嫌なんだよね」


「そりゃ同感だな。傷の舐めあいみてえでクソダセえわ」


 これは宣誓だ。みじめな負け犬同士の、けれども譲れない一線を護るための決意の言葉。

 簡単に破る気はねえし、忘れるつもりだって微塵もねえ。何でって、この誓いが破られる時ってのはそりゃあもう一大事の筈で。

 だからそんなこと絶対にあり得ねえし認めねえ。挫けてなんてやるもんかよ。

 

 そんな泥臭い負け犬の決意がどこまで続くかなんて、ぶっちゃけよく分かんねえけど。そんでも。

 

 俺たちは互いをビシッと指差し合って、腹から思い切り声を出したんだ――――

  

『お前/あんたにだけは、絶対に惚れてやるもんか――――』

 

 

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