第43話「昨日の出来事」
「ごめんください」
再度の声は、入り口からだ。
「
「はい」
「
「おまえ、こんなところで何をやっているんだ!」
珂惟が驚きの声を上げたのと、
「こちらです、どうぞ」
その声に、「失礼しますよ」と入ってきたのは、腰の曲がった老人。幼子の手を引きながら、いささかのんびり廊下を進んできて、茗凛に示された室内を覗く。そして、
「おお、本当に昨日のお坊さまだ」
老人の目の先には、
室内にいた三人の視線が集中する中で、昨日から変わらず見せていた険しい表情を解いた琅惺が、呆然と呟く。
「あなたは、昨日の……」
「昨日の? って、どういうことだよ!」
珂惟が琅惺に詰め寄るが、琅惺は慌てて視線を逸らしただけだ。ならばと珂惟は老人に大股で近づき、飛びかからんばかりに訊いた。
「昨日、何があったか詳しく説明してください!」
珂惟の迫力に気圧された様子の老人だったが、思按が珂惟を宥め諭す間に落ち着きを取り戻し、いささかのんびりと口を開いた。
やたら間延びし、あちこちに飛んでいきがちな話をまとめると、こうだ。
昨日の昼過ぎ、老人が
「で、先にこのお坊さまが孫を見つけてくださって。しかも転んで怪我をしていた孫の手当てまで……。袖は洗ってまいりました。わざわざ破っていただいて申し訳ねえことです。本当にありがとうございました。あのあと、まあ、あんなことがあってバタバタしたまま、満足にお礼もできず申し訳ねえと思ってたんですが、隣に住む
「あんなことっていうのは?」
だらだら続く話に切り込むように語気鋭くつめよる珂惟に、「いやまあそれは……」と老人は口ごもる。
その時だった。
ドタドタと乱暴な足音が乱れ入ってきた。かと思ったら、
「娘を呼び出すとはどういう了見だ。申し出を受けるにしても、そちらから出向いてくるのが筋と言うものだろう!」
野太い声を響かせてきたのは、
父は室内の人間にぐるりと睨みをきかせると、小さな子どもは怯えて祖父の影に隠れた。子どもをあやしながら老人が顔をあげ、非難めいた目を父に向けたとき、背後の彩花に気づいた。その視線に驚き、慌てて姿を隠そうとする彩花だったが、老人は近づいてその姿を確かめると、
「――あんたは昨日のお嬢さんじゃないか」
彩花は袖に顔を埋めたまま、無言である。
「ご老人、昨日はこの琅惺だけではなく、こちらのお嬢さんにもお会いになったのですね。どういう状況だったか、ご説明いただけないでしょうか? さきほど、琅惺が迷子になったお孫さんを一緒に探し、その後、怪我をしたお孫さんの手当てをして――そのときに袖を破ったとのことでしたが――彼女にお会いになったのは、そのあとのことでしょうか?」
「ああ、まあ、そうだったかなあ……」
思按の言葉に、老人は彩花の様子を気にしながら曖昧に頷く。思按は静かな声で言う。
「ご老人。ここにいる者は全て事情を存じております。――ですが念のため、ご老人のお言葉で確認を取りたいのです」
「そうかい。まあそうだな。確かに坊さまとお嬢さんは知り合いだと言ってたものなあ。余計な気回しでしたな」
それならばと老人は安堵したように頷き、説明したことは、要約すると以下の通りである。
琅惺と二手に分かれた老人が、とある小路に入ったら、彩花が男数人に囲まれ、地面に突き飛ばされた場面に遭遇した。声をあげたら男たちは逃げたものの、彩花が激しく泣いているのでほおってはおけず、しかし孫も気になるため弱り果てていたところ、孫の手を引いた琅惺がその場に現れた。すると琅惺は彩花を見て大層驚き、「知り合いだから連れて行きたい」と老人に申し出た。その際この宿の道筋を尋ねられ、ちょうど帰り道だったので、そこの角までご一緒した。道中お坊さんはお嬢さんの様子を大層気にされていたから、簡単に事情をお話した。角を曲がったら、お知り合いの姿を見つけてたようだったので、そこでお別れした――。
「俺は見ました、琅惺がそこの角を曲がってくるのを!」
老人の声に被せるように珂惟が言い、茗凛も「私も!」と声を張り上げる。琅惺以外の視線が彩花一身に集まったとき、思按が一人視線を移し、
「ご老人、本日は大変ありがとうございました。琅惺は仏弟子として当然のことをしたまでと存じますが、わざわざのご来訪、心より感謝いたします。――然流、お送りを」
「はい」
然流に伴われて、老人は去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます