第40話「返らない答え」

 そこへ、

「失礼する」

 思按しあんの声。

 茗凛めいりんは慌てて立ち上がる。部屋の前に現れた思按は、室内にいる茗凛に軽く目を瞠るがすぐに目を逸らし、次に珂惟かい琅惺ろうせいを、そして最後に彩花さいかの父に目を留めた。

「――おまえは確か、そいつの兄だったな。ワシは責任者を連れてこいと言ったはずだ!」

 思按の後ろからそそくさと付いてきた然流ぜんりゅうを、父親は睨めつける。「いやあの……」おどおどと口ごもる然流の言葉を遮り、

「あいにく、比丘びくが私しかおりませんでした。上座かみざの帰りは明朝になりますゆえ、本日は私がお伺いいたします。――それで、どういうことでしょうか?」

「どうもこうも……そこの坊主が、うちの娘を!」

 唾を飛ばしながら、琅惺と自身の娘である彩花を指差した。思按はその示すほうをいちいち見てから、

「なるほど、おっしゃりたいことは分かりました」

  そう頷いて見せたものの、

「それは――事実なのでしょうか?」

  静かな問いかけ。それに彩花の父は激昂し、

「貴様まで庇い立てするか。娘がそう言ってるのだ。事実に決まっている!」

「なるほど」思按はそう言って、肩で息をする父の横をすり抜け珂惟と琅惺の前に立つ。目で珂惟にどくように促すと、障害なく自分の前に立つ琅惺を見下ろし、

「そうなのか?」

 やはり静かに問う。

 琅惺は思按をじっと見つめたまま、何も言わなかった。

「見ろ、言えないのが何よりの証拠だろう!」

 父が張り上げる声を無視し、思按は重ねて、

「声が出ぬわけではあるまい。諾否、その程度が何故言えぬ?」

 琅惺は、それでも答えない。思按は軽くため息をついて彩花の父に目を向けると、

「彼が語らぬ今、一方の話だけを聞くわけにも参りません。いずれにしても上座のお戻りを待たねばなりませんし、今日はどうぞこれでお引き取りを。――然流、ここの奥の物置は、外から鍵をかけられる造りだったな。今宵はそこに琅惺を入れるから、少し片付けてきなさい。私も今日はここに残ろう」

「そんな話が聞けるか、そいつが逃げたらどうする!」

 「はい」と答えた然流の声を掻き消す大音声だ。しかし思按はうっすらと笑い、

「その時は、彼が負うべき罰を私が負いましょう。――今はどうぞ、お引き取りを。これ以上の騒ぎは、お嬢さんのためにもならぬと存じますが」

「……」

 毅然と言い放った思按に、彩花の父は言葉に詰まる。いまいましそうに思按を睨みつけると、突如身を返して大股で部屋に入り、間もなくして妻子を引きずるようにして出てきた。

 彩花に集まる視線。だが彼女は、両親に挟まれた中でうつむいたままだ。

その父は廊下に立つ全ての人間に一瞥を残すと、妻子を抱え込むようにして、宿を後にした。

 三人を建物の外まで見送った思按だったが、ほどなく戻ってきた。思按が琅惺の前に立つと、琅惺はうつむく。

「――おまえと一緒に講義に言った沙弥しゃみが『おまえを見失った』と言って寺に戻ってきた時間と、おまえがここに現れたと然流が言う時間とを照らし合わせると、半刻(三十分)ほど空白時間があることになる。その間、おまえはどこで、何をしていたのだ」

「琅惺、どうなんだよ」

 思按の台詞に、珂惟がかぶせるようにして琅惺に迫る。しかし彼は、相変わらず微動だにしない。思按はため息をつき、珂惟はもどかしげに歯噛みしている。そこへ、

「片付きました」

 小走りで然流が戻ってくる。思按は軽く頷くと、「では」と傍らの琅惺を振り返った。琅惺は白い顔で小さく頷き、思按に促された然流の後に続く。

「おまえは、もう帰りなさい」

 そこで思按は茗凛に向き直り、幾分優しげな声で噛んで含めるように言った。

「では送って参ります」

 思按の声に応えたのは、茗凛ではなく珂惟だ。

思按は少し眉間に皺を寄せ、しばし思案風だったが、やがてそれを解き、

「――頼む」

 それだけを言い、然流らの後を追うように廊下を奥へと進んでいった。

 珂惟と茗凛は思按の後姿を並んで見送っていたが、「行こうか」珂惟が声をかけたのを契機に、揃って外に出た。

薄暗かった屋内を一歩出ると、外は嘘のように明るく、熱気に満ち満ちていた。

眩しすぎる日差しが目に染みる。茗凛は思わず目を閉じ、手を額にかざした。 

「大丈夫か?」

 やけに真剣な声。目を開けると晴れやかな青空に反して珂惟の表情が曇っている。

「目が暗いのに慣れちゃってたから、ちょっと眩しかった……」

「そうじゃなくて」

 茗凛の弁明は途中で遮られた。そこでようやく気づいた。珂惟が何を心配しているかに。

茗凛は「あああれ」と苦笑して見せると、明るい声で、

「大丈夫に決まってるじゃん。あんなのよくあることだって。もう慣れてるし」

 笑いながら、そう言った。つもりだった。なのに……。

 ふいに、耳元に指が伸びてきた。びっくりしていると、そのままゆっくりと引き寄せられる。珂惟が、どこかやるせない目をしたまま正面を向いていた。導かれるまま彼の肩に頭をもたせかけると、じんわりと温かさが伝わってくる。

茗凛は目を閉じ、静かに涙を流し続けた。

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