事の次第-4
*
風・二六 昼
時間は戻り昼。
琴子が食堂で働き始めて三日たった。
思っていた通り慣れないことがほとんどであまり役に立っているとは言えないが、ユズリさんたち食堂の人は琴子を叱るわけでも甘やかす訳でもなく、端的に原因を指摘するだけで根気強く仕事を教えてくれた。
「赤イモ洗い終わりました!」
「じゃあ次、倉庫から緑豆二袋持ってきて軽く湯がいてくれる?」
「ハイ!」
朝営業が終わって朝食を食べ終わると今度は夜の仕込みが待っている。
目が回るような忙しさだがそれがなぜか心地よかった。
琴子は洗い終わった赤イモをテーブルの方へ運び出すと倉庫に向かった。厨房の奥にはもう一つ扉があって、そこから一階の倉庫に行くことが出来る。タンタンタンと階段を駆け下りながら教えてもらった緑豆の場所を必死に思い出した。
この国の人は色んなものを食べる。豆やイモ、根菜に葉物、森の中にあるだけあって、キノコや山菜のようなもの頻繁に登場する。ミュルネさんたちが自分たちでとってくるのだそうだ。肉や魚は毎朝新鮮なものが運ばれてくる。シャンは魚が一番だと語っていたが、肉も同じぐらい食べられているようだ。
琴子は何とか緑豆の居場所を突き止めると、二袋もって厨房へと戻る。
帰ってきた琴子にすかさずユズリさんの指示が飛んだ。
「それが終わったらテーブルの片づけしてくれる?」
「わかりました」
「右の鍋使っていいから」
言われた通り一番右の大なべに水を入れ、湯を沸かす。豆を湯がくときはたっぷりのお湯で遊ばせるように混ぜることというのが料理長であるミュルネさんの教えだ。
お湯が沸くのを待っている間豆を入れるためのボールとザルを用意する。お湯が沸々としてきた時点で二つかみの塩を入れた。ぐつぐつと泡がはじける。
お湯が沸くとその中に乾燥した緑豆を入れた。ザァァという音と共に、茶色い波がお湯の中に入っていく。途端その粒たちは鮮やかな緑色になって、琴子は少しだけ頬を緩めた。もう一袋も同じようにお湯の中に入れる。綺麗な緑色になった豆たちを大きなしゃもじで混ぜながら、ゆっくり十秒数える。十秒たったらもう充分だ。それをザルですくってボールにあけ、冷水で冷やした。
「もう充分よ。ありがとう。テーブルが終わったら休憩していいから」
背後からユズリさんがそう声をかけた。琴子は素早く場所を彼女に明け渡し、テーブルの方へ向かった。
布巾でテーブルを拭き、調味料の量を確認して極端になくなっているものがないだろうか確認する。
琴子がお休みをもらっている間、ユズリさんたちはお茶をしながら大量のイモや野菜たちの仕込みをするのだ。本当はそれも手伝わなければならないんだろうけど、ご好意に甘えてその時間はロウと手がかりについて調べていた。
テキパキと動いていた琴子の手が止まる。考えても仕方がないことがふっと心の中に湧き出てしまった。
(手がかりが、見つからなかったらどうしよう)
ゾクッとする感覚に背中が跳ねる。
(もし……このまま帰れなかったら……)
布巾を強く握り、ぎゅっと目を瞑る。いくら考えないようにしてみても、不安は波のように琴子の足元にまとわりつく。どうしようもない。どうにもならない。無意識のうちに大きなため息をついていた。
食堂の仕事は楽しい。
ロウもシャンも、今の琴子にとっては心の支えだ。
それでも夜が、どうしようもなく怖かった。
怖くて、怖くて、息が詰まる。一人で部屋の中で、布団を体に巻き付けるようにして、朝になったら全部夢にならないかと願うのにも疲れてしまって、もうこれが当たり前になるんじゃないかってうっすら思い始めている。そんな自分にも嫌気がさす。
「しっかりしなきゃ……」
「コトコちゃん?どうしたの?」
「えっ、あ、いや、何でもないです」
作業が終わったのかミュルネさんたちが厨房から食堂の方へやってきていた。あわてて琴子はテーブルを拭きなおす。心配そうなミュルネさんの後ろでケーナさんとユズリさんが仕込みの準備をしていた。
ふと、何か遠くて奇妙な音が聞こえた気がした。
この建物のどこかだろうか。
「……今何か変な音がしたねえ?」
「また学生が何かしたんでしょうか」
「実験が失敗したかなんかじゃないですか」
ユズリさんが冷静に分析するが、その変な音はそのあとも断続的に響いた。
「なんか、銃声っぽくないですか?」
生の銃声なんて聞いたことない。だからあっているかどうかは分からない。
恐る恐るそういった琴子の言葉に、三人が顔を合わせる。
「まさか、そんな」
「+Aの子たちが何かしてるのかねえ」
ユズリさんがかすかに引き攣るような表情を見せたが、古株のミュルネさんとケーナさんはおっとしとしたままテーブルに腰を下ろす。その間も音はどんどん激しくなっていく。
「まあまあ。ちょっと騒がしいけれど大丈夫ですよ」
ケーナさんに促されて、ユズリさんもテーブルについた。ミュルネさんは既にもう慣れた手つきでイモの皮を剥き始めている。
(いやいやいや、おかしいってこの音)
動じない二人に琴子の方が動揺してしまう。食堂の入り口の方へ視線をやるが、何が起こっているかなんてわからない。
「私、ちょっと様子見てきます」
このまま訳の分からない状態が続くのは嫌だった。
「コトコちゃん、テーブルは全部拭き終わったのかい?」
「あ、いや」
ケーナさんに呼び止められて口ごもる。
「大丈夫。ここは上宮のお膝元なんだよ。そんな変なことなんてそうそう起こらないんだから、どうしても気になるなら仕事が終わってから見に行くといいよ」
「はい……わかりました」
どうにも音は激しさを増しているような気がした。ケーナさんたちにはこの音が聞こえないのだろうか。思わず琴子はユズリさんの方へ視線をやったが、彼女はいいから仕事をしろと目で琴子を諌めるだけだった。
騒々しい音は一種類だけじゃなく、人の声も混ざっているように思う。
やっぱりおかしい。
琴子はテーブルを拭く手を止めて、入り口の方をじっと見つめた。
ユズリさんも気になるようで、いつもよりずっと手の動きが遅い。
「コトコ」
音は少しずつこちらに近づいているようだった。ユズリさんが琴子の名を呼ぶ。
「はい」
「やっぱり様子がおかしいようだから、ちょっと様子を見てきてくれないか。テーブルは私が拭いとくから」
「わかりました!」
布巾を置いて入口へ向かう。やっぱりこの音はおかしいんだ。そう思ったら嫌に胸が騒いだ。テーブルの間を抜け、出ていた椅子を元に戻しながら入り口に向かっていた時、何かが琴子の背後を取った。
「──!」
こうみえても霊感とか第六感とか、そういうよくわからない方面はてんで駄目で、お化けも何も見たことがないんだけど、その時だけははっきりと見えない何かの存在を感じた。
「ん、ん、ん?」
絶対何かが後ろにいる。嫌な鳥肌が背中からぶわっと広がった。
深く考え込まないうちに、琴子はゆっくり背後を振り返った。
「あ、」
不気味な赤い能面が視界いっぱいに広がった。
「き、きゃああああああああああああああああああああああああああ!」
身体が痛む。シャンは焦っていた。影に投げつけたエフェクトを拾うとそのまま怪我を顧みず走り出す。食堂はすぐ近く。それでも、先にコトコを連れ去られてしまっては意味がない。
「コトコ!」
たどり着いた食堂は荒れていた。椅子が薙ぎ払われ、食材がばら撒かれている。
琴子は影に囲まれていた。全員が琴子にその手を向け、いまにも何かを発動させようとしている。間一髪間に合ったわけだ。そのそばに食堂のおばちゃんたちが倒れていた。
(ロウはまだかよ!)
一番早いルートをあの男に潰されてたせいで遠回りしているのだろう。結果的にシャンの方が先についたわけだが状況は芳しくない。
パッと見ただけでも十体近く影がいる。一体一体は倒せても、この数は簡単には行かない。
『散』
一瞬のにらみ合いの後に影が先に突風を生み出す。避けようとしたが傷の痛みで動きが遅れる。
風圧でシャンは吹き飛ばされた。
「シャン!」
コトコが悲鳴をあげた。
『弾け‼光の礫が影を打ち消さん!』
厨房の方から光の弾丸が撃ち込まれた。
弾は正確に影の面だけを撃ち抜いていく。
「……ロウ?」
琴子は瞬きを繰り返す。何が何だかわからない。さっき琴子の背後に現れた不気味な仮面は気づいたら一瞬のうちにその数を増やしていた。そして立ち上がり声を上げようとしたユズリさんたちに対して突風を放ち、食堂は一瞬にして景色を変えた。声は出なかった。
ハッとして駆け寄ろうとした時には周囲をすでに囲まれていて、もうどうしようもできない。
(なんなの…何なのコレ!)
琴子の目の前で仮面たちが撃ち抜かれていった。
呻くように残った影が身体を左右にひねる。
呆然としていると何かが厨房から飛び出てきて影の輪に突っ込むと琴子の手を引いて走り出す。
「ロウ、ロウ!」
琴子を引っ張るのは確かに見知ったロウの姿だった。
でも何かが違う。何かが妙に赤い。
ロウは琴子の手を握ったまま厨房を走り抜け、奥の扉から一階の倉庫へ抜けた。
「ちょ、ロウ、なんなのっ?」
階段を駆け下りて倉庫から外へ出る。訳が分からないまま琴子はロウの背中についていく。
(血だ!)
ロウの血で服が朱く染まっている!
建物を出たところでロウは立ち止まり琴子の肩を強くつかむと、その黒の瞳で琴子の顔を覗きこみ、真剣な顔つきで逃げるよう言う。
「俺がここで残りの影を倒すからその間出来るだけ遠くに行くんだ。途中結界に突き当たるかもしれないがとりあえず、走れ」
「待って、ロウ血が出てる。どうしたの?何があったの?シャンもなにか」
「後で必ず追いかける」
「ロウ、」
建物から影が追いかけてきた。
「行け!」
「―――っ」
琴子は走り出した。
慣れない森の中を夢中で走る。背後で何かが弾ける音がした。神術だ!ロウの詠唱が高らかに響く。泣き出しそうな気持を押えて、訳も分からず走り出した。
(なにあれ、なにあれ、なにあれ!)
ロウの服は血で汚れていた。
食堂に駆け込んできたシャンはぼろぼろになっていた。
突如現れた化け物が、ユズリさんやミュルネさんをどんどん倒していった。最後自分だけが残った。
訳が分からないものに囲まれて徐々に距離を詰められる。
(もうほんとうに、意味が分からない!)
不意にここに来た日の夜がフラッシュバックした。
我慢の限界だ。
涙があとからあとから溢れてくる。
それを拭いながら当てもなく琴子は走った。
走って、走って、走って。心細くなってどうしようもなくなったとき、またあの化け物が目の前に現れた。
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