事の次第-2

 ロウは神術で式を生み出すとシャンを呼び戻すように伝言を託した。蝶のような淡い光の瞬きが頷いたように上下に揺れ、すっと宙に消えていった。心臓が早鐘を打つ。血流が嫌なスピードで駆け巡り、妙に頭が落ち着いていた。

 そのまま真っ直ぐ廊下を走り、コトコのもとへ走った。




 はずだった。




「―っ‼」


 廊下をかけるロウの足が止まる。頭を劈く高音が矢の様に突き刺さった。

 詠唱も何もしていないのに自分の周りの空間が歪む。


 見えない何かが無理やり学院の中に入り込もうとしている。その量の膨大さにロウの中の〝気〟まで反応してしまう。見えないものを可視化する第三の目が勝手に開眼した。

 水の中に潜るような息苦しさがロウを襲う。


(なんだ!!)


 なんだなんだなんだこれは!

 視界が朱く染まる。蛇みたいな文字の羅列が視界を埋め尽くしていた。





 見慣れた、見慣れた術式だ。





(――学院に干渉して、場を乗っ取ろうとしているっ?)


 ロウが寮の私室にかけている術と同じようなものだ。

 結界を敷き、その中の〝気〟を支配することで他者の干渉を拒絶する。

 学院では自分の部屋にだけ使うことが許可されている術。


 そう難しいものではないが、この術の展開範囲は並じゃない。


「ここら辺一体すべてを取り込もうって魂胆か」


 頭がイタイ。イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ


(結界はどうなってるっ)


 学院にも上宮ほどではなくても〝腐蝕〟を拒む結界ぐらいは張ってある。でなければ永久追放なんてできるはずがない。

 窓を見れば、外もすべて朱く染まっていた。嫌な色だ。鮮血をこぼしたような、目に悪い色。あまり見続けていると吐き気がしてくる。これが〝腐蝕〟。鼻が曲がりそうだ。


 ロウはむりやり目を閉じると、コトコのところに急いだ。もしロウの仮説が正しければ、相手の狙いは間違いなくコトコだ。神術も何も知らないコトコが太刀打ちできる相手じゃない。


 廊下を抜け、階段を上った。

 他の学生の騒めきの声が聞こえた。何人かは事態に気付いて右往左往している。


「ロウ!」


 階下からロウを呼び止める。踊り場から下を覗くとシャンがそこに立っていた。

 練習着のまま銃を担いでいる。


「シャン早かったな」

「なんだよこの気持ち悪いの」

「見えるか?」

「見えねえけど気持ち悪い感覚がする」

「端的に言うと、敵襲だ」


 シャンは一瞬だけ目を開くとそのままロウのところまで上ってくる。

 二人は並び揃って階段を上る。


「敵の目星はついてるのか?」

「一応。コトコをここに飛ばした奴らがコトコを奪い取りに」

「ロウ頭下げろ」


 シャンにそう言われた瞬間、視界の端を赤いものが掠めた。


 途端シャンの腕がロウの頭を押さえつける。そのままロウの頭の上で銃を構えるとシャンはいきなり乱射した。銃声に気付いた学生の悲鳴が聞こえる。


 辺りが一気に騒々しくなった。わらわらと学生が逃げ出していく。

 今頃になって事態の異常性に気付いたのだろう。


「ロウ!ぼさっとすんな!敵襲だって言ってんだろ!」


 ひとしきり銃声が終わった後、二階を見上げると全身に火が立ち上る影がそこにいた。




「これは…」


 半透明の黒い影に赤い仮面。噂に聞く〝鴉の宿木〟の式神。

 

《なんだ。折角三人がばらけたタイミングを狙ってきたのに》


 手前の数体が燃え尽きると、その奥にもう一体、他の影とは形が違うやつがいた。


「何だアレ」


 素早くシャンが銃を構えた。

 黒い球体がそこにいた。


《それで僕を倒す気?》


 球体の表面がさざ波立つたび、妙に甲高い男の声が聞こえる。

 面食らう二人を馬鹿にするように球体は上下に揺れた。


「悪いか?」


 シャンの声が低くなる。


《天才の相棒はずいぶん頭が悪いらしい》

「腹立つ奴だな」

「シャン俺がやる」

「ああ?」

《おや、深窓の天才君が相手をしてくれるのかな?》

「お前がこの術の術者だな」

《会いたかったよ天才君》


 ふよふよと浮かぶ球体から吐き出しそうな腐臭がした。


「術者はお前の専門じゃないだろ。先に行け」

《フフフ嬉しいねえ。君と私どちらが強いかなあ》

「馬鹿言うなよ、もやしのくせに」

《それじゃあさっそく、邪魔者を排除しよう》


 一瞬だった。

 球体から足のようなものが伸びシャンを突き刺す。寸前のところで相手の攻撃を銃で受け止めたシャンはそのまま踊り場に突き落とされた。


「シャン!」


 壁に打ち付けられたシャンに、階下からあの影たちが襲い掛かった。









《よそ見している暇はあるのかい?》


 ハッとしてロウはその場から飛びのく。一瞬遅れて氷の刃が突き刺さった。


『北風が吹く!』

《散》


 ロウが放った風の刃を雹が打ち砕く。背後でシャンの雄叫びと銃声が聞こえた。

 とりあえず、後ろは任せて良さそうだ。


『光は弾け目を焼いたっ、私は闇を覗きこむ』

《フフフ、随分古めかしい呪文だ》


 球体は光の斬撃も影縫いの術もすべて受け流し、氷の斬撃をロウに放つ。


『奔れ!劈く轟音と共に!』


 間髪入れず雷撃を放った。相手の攻撃が頬をかすめる。

 向うの命中率は大したことない。ロウの雷撃は正確にその中心を貫く。


 しかし、それは不発に終わった。


「くそっ」


 ロウは舌打ちをした。


 球体は変形して雷撃が貫こうとした中心部を空洞にして避ける。これじゃどれだけ正確に狙いを定めても意味がない。


 その間も向うからの攻撃は続く。

 呪文を唱えて盾を作るが間に合わない。

 かすり傷が増えていく。


《ああでも、古典神術をそこまで攻撃的にアレンジする人なんて初めて見たよ。君は随分好戦的な神術師だ》

(……ペラペラしゃべりやがって)


 絶え間なく続く攻撃にどうしても防戦一方になってしまう。

 背後で猛々しい銃声が響いた。影を蹴散らしたシャンがロウの後ろにつく。


「あんま近づくと流れ弾に当たるぞ」

「は?ちゃんと防げよ馬鹿野郎!」


 階下の影はなかなか減らない。上下を相手に挟まれてどこかに逃げることもできない。


「あと狙うなら仮面を狙え。多分それが核だ」

「おま、もっと早く言え!」

《散、散、散》


 球体は詠唱をしない。起動の文言だけで術が発動するのは既に呪文がその中に組み込まれているせいだ。間髪いわず連射される氷の刃にロウは盾を構えることしかできなかった。


「これじゃあジリ貧だ!」

「わかってる!」


 シャンに怒鳴り返し、ロウは次の一手を打った。


『足跡が残っている。いつまでも消えない。夜の闇だ。幸せに思うなら逃げるといい。常闇はすぐそこまで来ている』

《!》


 呪文がすでに組み込まれているのなら、それをなかったことにしてしまえばいい。


『歩いてきた道を辿る。昨日までの記憶をなぞる。暖かい日差しがお前を照らす』


 詠唱に呼応して、周囲の空間が歪んだ。〝気〟が蠢くように立ち上がる。


《散!散!散!》

『溶かせ。その刃もお前の意思も』


 球体が詠唱に反応して大きくゆがむ。溶け出す何かをこらえるように自身の中をかき乱す。

 ロウはさらに詠唱を続けた。言葉を重ねれば重ねるほど術の威力は強くなる。その背後でとめどめなく銃声が響く。


「ロウ先に行くぞ」


 影を倒したシャンがロウの脇を滑るように抜けていった。球体がシャンを狙えないよう術の威力を上げる。苦しげに球体が変形し、腐臭がさらに濃くなった。

 階段を駆け上ったシャンが球体の下を滑りぬけ食堂の方へと走る。

 それを見届け、ロウは最後の詠唱を唱えた。


『澱みを吐き出し流れに戻れ。すべては必ず無に立ち返る』


 ロウが詠唱し終えた瞬間、球体は四方にはじけ飛んだ。


 ヘドロのようなものが周囲に付着する。耐えがたいほどの腐臭にロウは思わず顔を背けた。



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