── 優しい人
*
風・二四
午前中の日差しがやわらかく都を照らしている。
「皇様、本日のご予定ですが」
皇国の中枢を担っている上宮には強力な結界が張ってある。結界自体は建国初期から張ってあったが、それが神域とも呼ばれるほどに強化されたのは最近のことだ。
ここには神官や官僚をはじめ、多くの貴族・皇族が住んでいる。尖塔がいくつも建ち並び、広々とした道路を馬車が通る。
全体的にヤツーシカの地形は中央に行けば行くほど高台になっていく、山のような形をしているので上宮とその北部に位置する学院は、南の繁華街に比べればだいぶ高台に作られていた。
繁華街に住む都人の多くが神力を原動力とするバイクや蛇車を使っているが、結界の中である上宮では神力の使用が制限されるため、昔ながらの馬車が主流だった。
梅門といわれる正門から中に入ると、しばらくは上宮で働いている召使たちの住まいが続く。だんだん大樹に近づいてゆくにつれ、重要な建物が多くなっていき、現皇の住居である天宮はほぼ大樹の中に組み込まれるような形で建設されていた。
天宮は現皇の住まいであると同時に、政の行われる場所でもあり、そして最高レベルの神事が行われる場所でもあった。
「午後から会議が一件入っていたな。それ以外に何か入ったか?」
「はい。南東部のアレン諸島の貴族から水害の報告書が一件、そしてタラチネ将軍から皇国空軍についてのご相談が一件、最後に各部所からの書類が新しく届いて参りました」
「やれやれ…今日は予定があまり立て込んでないと思ったんだけどな」
「書類の方は出来るだけ早くとのことです」
「わかったよ。とりあえずは食事をとりながら報告書に目を通そう。目を通したところでどうしようもできないとは思うがね。一応農水産業の担当大臣に連絡を。彼のところにも報告書は?」
「回っています」
「素晴らしい。そして食事が終わったら会議まで書類を片付けるか。今日の会議は連絡会だからあまり長続きはしないだろう。タラチネ将軍に夕食の誘いをしといてくれ」
「かしこまりました」
「ああ、あの人はあまり肉を食べないから食事は極力魚介を使うように頼む」
「伝えておきます」
「それじゃあスズ、ご飯を食べるとしようか」
「ただ今お持ちいたします。少々お待ちください」
日はもう随分高く上っていた。
現皇の仕事は禊から始まる。朝起きてすぐ天宮の最上階にある祭場に向かい、祝詞をあげ、身を清めなければならない。厄介な仕事だとは思うが、もう十年近くやっていればすっかり慣れてしまった。禊が終われば少しだけ空き時間がある。あまりに早く執務室に行ってしまうと下の者たちも大変になってしまうので、毎日九時過ぎぐらいに執務室に入るようにしている。
最奥の宮から渡り廊下を渡ったところが、この国の政治を執り行う建物だ。石造りの堅固な建物で、慣例で議事堂と呼んでいる。
「失礼します。お持ちしました」
「入れ」
入室の許可とともに、スズが一礼して朝食を運んでくる。
「今日も美味しそうだな」
「最近は寒くなってきましたので赤いものスープを作ったと料理長が申しておりましたよ」
「赤いものスープ!私が好きなやつじゃないか」
右手に下げた大きな籠の中には、料理長が腕を振るったスープと皇国で朝食として親しまれているサンディが入っていた。
米粉で作られたパンを軽くあぶって、好きな具材を挟む。
定番なのはたくさんの野菜と味噌漬けの魚の炙りを挟んだものだ。今日は濃厚なスープに合わせてあっさりとした蒸し鶏が挟んである。
「皇様に喜んでいただいて、料理長も喜ぶでしょう」
「悪いね。ここまで持ってきてもらって」
「それなら私ではなく、侍女たちに言ってあげてくださいませ。彼女たち、日ごろから皇様をお世話する機会がないとぼやいていましたから」
「それは申し訳ないことをした。ぞれじゃあ今日は午後にお茶でもしようか」
「それは良いですね。侍女たちに声をかけておきます」
「お願いしよう」
「では一旦失礼いたします。こちらが水害の報告書です」
「ありがとうスズ」
「いいえ。お食事が終った頃にまた参ります」
スズはにこやかに一礼して執務室を出ていった。
現皇は彼女が置いていった報告書を手に取りながら、ホカホカと湯気を立てているスープを一口飲む。
(水害…今度は津波か。被害は少ないようだが、先月も大雨で東部の都市が被害にあっていたな……)
皇が記憶している限り、今年に入ってから中規模の自然災害が何件も起きている。地震や台風、大雨からの土砂災害。三か月前には西部で火山の大噴火が起こった。幸い近くに人里がなかったからいいものの、獣人や旅団なのが一部犠牲になった。
(多いな)
国土の半数が人の住めない自然地域というこの国で、自然災害は珍しいことではないが、こう立て込むのはあまりいい気がしない。
現皇はあらかた報告書に目を通すととりあえずそれは横において、朝食兼昼食のサンディに齧りつく。
いろいろ支援をしなければならないが、その具体案は担当大臣と詰めればよいだろう。
コンコンという音がした。ノックだ。しかし扉の方ではない。
むっとしながら口に入れた分を飲み込む。
「シザー、いいぞ。入れ」
皇が声をかけると、背後にあった窓がゆっくり開き、ひょっこりシザーが顔を覗かせた。
「お食事中でしたか。申し訳ございません」
「仕方ない。それで?」
「具体的なことはまだ何も。ただ一つ仮説を立ててまいりましたのでご報告を」
そういって胸元から紙切れを取り出すと皇に差し出す。
それを受け取り一瞥すると、即座に皇はそれを燃やした。
炎が爆ぜる音がして、紙切れはかすとなった。
「……なるほどな。ふむ。あまり、考えたくない事態だな」
「そうですね。可能性でも考えたくない話ではありますが、だからこそ、きちんと検証する必要があります」
シャンは窓辺に腰をかけるといつでも動ける状態で現皇に報告をする。
その言葉を聞きながら現皇はふっと目を伏せた。
そして笑みを浮かべながら言う。
「それで、検証する目途は立っているか?」
「一応。お暇をもう少しいただきますがよろしいですか?」
「構わん。スズは張り切って務めてくれていることだしな」
「そうですか。それではスズに乗っ取られる前に戻らなければいけませんね」
「ふふふ。私はどっちでも構わんよ。何か必要なものはあるか?」
「できれば、私を地下街に送り込んでもらいたいのですが、可能ですか?」
「シザー、私を誰だと思っているんだ?」
不敵に笑うと皇は引き出しから金属製の栞を取り出すとシザーに差し出した。
「私の神力が込められている。あいつらにはすぐわかるだろう」
「有難く頂戴いたします」
「返せよ」
「生きて帰ってきたらお返しいたします」
「…それぐらい上手くやってくれ」
軽口にシザーは微かに笑みを浮かべ、そして音もなく窓から離れた。
風が少し皇の髪を揺らした。
別に動じることもなく、慌てて窓の下を見るわけでもなく、皇は飲みかけのスープを手に取る。獣人ならではのしなやかな動きのおかげで、シザーならこれぐらいのことは朝飯前のことだった。
残り少ない赤いものスープを眺めながら、皇はそっと目を閉じた。
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