雪丸 挽歌ー中世葬送秘話―

第6話

　 ある日はアンダを使う際、組みになった者と喧嘩をした。※アンダ=運搬用台車

　ある日は黒塗りの器を手に入れることができた。

　中の供物もさることながら、こんな高級品を得たのは初めてで幸運に浸った。

　往来で行き倒れた男を河原まで引いて行った日は大変だった。

　行き倒れにもかかわらず、この男が恐ろしく太っていたせいだ。

　要領のいい仲間は、皆、負担がって逃げ散ったが、雪丸は音（ね）を上げず最後まで頑張った。

　そういう仕事ぶりを検非遺使（けびいし）や衛士たちが評価してくれると知っていたから。

　命じられるままにただ立ち働くのではなく、明日に繋がることを為すべきだと、〈犬狩り〉の件以来、雪丸は考えるようになった。

　それにしても、疲れた。

　あの太った男は富裕の旅の者だったのだろうか？　だとしたら、家族は今も帰りを待っているだろうな？

　男の体に巻きつけて引いた葛（かずら）が雪丸の手に食い込んで、血が滲んでいる。

　その手をつくづくと見つめていると、唐突に花挿（かざ）し姫を思い出した。

　──　この手から、清らかな水を汲んで、姫に飲ませたっけか……

　 天を仰ぐと鈍色（にびいろ）の重い空が広がっている。

　その空の何処を探しても、姫と市（いち）へ行ったあの日の、澄んだ青は見つけられない。

　木枯らしが吹いて、いつの間にか季節は冬になっているのを知った。

　我ながら馬鹿げたことだ、と思いつつ、雪丸は久しぶりに中納言邸に足を向けた。

　遠巻きにでも、様子を窺おう。

　万が一、乳母（めのと）殿に見つかって怒鳴られたところで、それがどうだというのだ。

　初めてここへ来た時同様、雪丸は堂々と四足門（よつあしもん）から邸の中へ入って行った。

　入った途端、雪丸は足を止めた。

　あの日、息を飲んだのは、あまりに見事に咲き誇った花の群れのせいだ。

　ところが──

「一体……これは……どうしたんだ？」

何があった？

　わけがわからなくて、雪丸は暫（しばら）く立ち尽くしてしまった。

　あの、目を見張るばかりに手入れされた花園は何処へ行った？

　目の前に広がるのは邸同様、荒れ果て、打ち捨てられた庭……

　 これでは、〈内野（うちの）〉と変わらぬ。いや、むしろ、自然に任せた結果、自由に草木が生い茂っているあっちの方が安らかで目に心地よい。

　だが、これは──

「これでは〈河原〉と一緒じゃ」

　自分の生まれた、そして、今現在、寝起きしているあそこ……塵芥（ちりあくた）や屍骸に埋まった土地……

　顧みられることのない世界……

　かつて花畑だったそこは、もう長いこと手を入れられた形跡が見られない。

　秋の陽光を浴びて誇らしげに咲き競っていた花たちは全て立ち枯れ、腐り果てていた。

　人の屍骸は見慣れている雪丸も、見渡す限りの花の残骸は初めてでゾッとした。

「ハッ、姫？　花挿し姫は──どうしたんだ？」

　雪丸は主殿を振り返った。

　あの夜、〈花神〉が消えて行った透渡殿（すきわたどの）に目をやる。

　雪丸は身を翻して走り出すと高欄を飛び越えて邸内に駆け上がった。

　金襴（きんらん）の沓（くつ）を履いた花神のようにはいかない。無様で耳障りな音が響く。

　だが、そんなことに構ってはいられない。無我夢中で姫の姿を捜して狂奔した。

　貴人の邸になど足を踏み入れるのはこれが初めてだったので、何処をどう行けばいいか皆目わからなかったが──

　とうとう一室の前で足を止めた。

　そこは塗篭（ぬりごめ）と呼ばれる窓のない部屋。

　何故、そこで足を止めたかと言えば、微かに慣れ親しんだ匂いを嗅いだせいだ。

　花ではない。死の匂い。

「……姫？」

　雪丸は一気に襖（ふすま）を引き開けた──