第9章 仮面の商人とカナンサリファの狐(9)

 その紳士の男は軽く一礼をしたあと、アヴァイン・ルクシードに対し、薄く笑みを浮かべ口を開いてきた。

「わたくしは、この地から西にあるゼーファレストの評議会議員ハウルオム・ロメスと申します。 

もしや貴方が、最近噂になっている仮面の商人アーザイン殿ではありませんか?」


 噂……?


 属州国コーデリアでは、それなりに名声を得ていたとは思っていたが。まだこちらでは、それほどではないだろうと思っていた。ところが、このハウルオム・ロメス評議員という男が言うには、最近噂となっているらしい。

 正直いって初耳だし、驚きだ。

 見ると、ハインハイルもミカエルも隣で互いに顔を見合わせ驚いている。


 やはり、普通はそうだよなぁ?


「ええ……属州国コーデリア周辺を中心に商売をしております。アーザイン・ルクシードと申します」

 相手が名乗ったのだ。こちらも名乗るのが礼儀なので、仕方なくアヴァインも会釈をし、名乗ることにした。しかし本当の名前ではないので、いつものことだけど気が引けてしまう……。


「おお! やはり……噂通りのお姿だったので、もしやと思い声を掛けてみたのですが。正解でしたか。

それにしましても、思っていたよりも随分とお若い。大変に失礼ですが、年齢は?」

「今年28になります……」

「ほぉ……これはまた、創造していたよりも若い! それなのに、大したものです」


 大した……もの?


 アヴァインはその言葉の意味するところがどうにもよく理解できず、怪訝な表情を示し、次の相手の言葉を待った。

「ああ……はっは♪ そうでしたねぇ……こんな田舎に居ては無理もないことです。

実は、アーザイン殿がファインデル・ヒルデクライス評議員に対し、『政治献金を行っている』との噂がありまして……首都キルバレスでは最近、よく囁かれております。そういう事ですので、今後はくれぐれもお気をつけになることをお勧めします。ご注意ください」


 気をつける……?


 最後あたりからの言い方が、更に、どうにも気に掛かるニュアンスだ。


「それは……どういう意味なのでしょう?」

 アヴァインの返答はその相手の男としては意外だったのか? なんとも困った顔をし、声を低くして答えてくれた。


「……ファインデル評議員が、ディステランテ派なのは御存知でしょうか?」

「ええ……」


「ならば、今回の議員選挙でディステランテ派が大勝したことについては?」

「それも噂で耳にしております」


「ふむ……。ならばもうお分かりだとは思いますが、反ディステランテ派であるファインデル評議員は今、大変な苦境に立たされて居ります。恐らくは、次の選挙かそれまでに何か嫌疑を突きつけられ、その評議員としての職を失う可能性だって十分にあり得ます」


 職を……失う? 


「しかし、ファインデル評議員には今、大変なが居るとの噂がある。それが、貴方です。

この意味、お分かりですか?」


「……」

 つまりは、下手をすればその資金提供者である自分も、身に覚えの無い嫌疑を掛けられる可能性がある、ということか……。


「なるほど。貴重な情報、大変にありがとうございます」

 アヴァインは礼を言い、それからその相手を改めて見つめ、再び口を開く。

「失礼ですが。私からも、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」

「ほぉ……なにを、ですかな?」


 アヴァインはそこで切れのある真剣な表情を見せ、口を開く。

「……ハウルオム・ロメス評議員様は、『に立つお方』なのでしょう? 出来ましたら、お答え頂けませんか?」

「……」

 アヴァインの言葉を受け、ハウルオム・ロメス評議員は苦笑し、軽く会釈をしてその場から離れていった……。



「なんなんだよ、あの男は一体……。こちらの質問には、何一つ答えもしないでよッ!」

 ハインハイルさんだ。

 その隣に立つミカエルさんは、その相手の男を見送り。それからこちらを向いて、ふっと笑顔も見せ口を開いた。


「今の会話のやり取りから……私は疑うこともなく、あの方はディステランテ派なのだと思っていましたが……。

アーザインさんのひと言を聞いて、、ということに気づかされましたよ。

それを見抜くとは、アーザインさんも流石ですね」


 ミカエルも、アヴァインの本当の素性を知っている。カルロス技師長の身辺警護や、フォスター将軍の副官をしていた頃の、もう一人の、本当のアヴァインの素性を、だ。


 ハインハイルはそのミカエルの言葉を聞いて振り返り、納得顔に言う。

「なるほど……ワタシは、ミカエルさんの今の言葉でさっきの会話がようやく理解出来ましたよ。ハッハッハ!」


 それを聞いて、アヴァインとミカエルは互いに苦笑する。

 そこはハインハイルさんらしくて、とても良い。凄く心が、休まる思いだ。

「まあ……実のところを言うと、単に中立の立場だった可能性もあるんですけどね?」

「今の男がかぁ?」

「ええ。そういうコトもまた、よくある話なんですよ。

そういう所なんです。は……」


 政治権力の魅力に従順な者は、ああやって常に時代の流れには逆らわず。力ある方へと付き、従うものだ。

 正義ではなく、力に従う。その力を使い、権力を振るう。

 評議員となった者には、民衆から選ばれた、という大儀がある。その大儀をもって、権力を振るうことが許されている。それが例え、どのような手段で手に入れたモノであったとしても……。


 アヴァインは今の者から、そうした匂いのようなモノを嗅ぎ取っていた。つくづく……パレスハレスを中心とした、政治の卑しさを肌で感じ取る出来事だったといえる。


 しかし中には、カルロス技師長やオルブライト・メルキメデス貴族員のような者も居る。そして、ファインデル評議員のような者も……。

 一概には、言い切れないのだ。

 そしてこの地、カナンサリファのホーリング貴族員がどのような人物なのか……?

 

 アヴァインがふと、そう思いその方が居ると思われる方向を見つめていると。その当のホーリング貴族員が、真っ直ぐこちらへと向かい歩いて来ていた。


「何やら、随分とこちらの方が賑やかだと思えば、君がもしやか? 

噂に聞く、仮面の商人アーザイン殿かね?」

「…………」


 いきなり、カナンサリファの領主に声を掛けられ、アヴァインは思わず言葉を失ってしまった。

 その身なりからいって、間違いはない。

 これには、ハインハイルやミカエルばかりではなく。周りの者全員が、この出来事に驚いていたのである。辺りは、一気にざわめいた。


 一方、その時のなんともいえない場の空気に、スティアト・ホーリングは困り顔でこめかみ辺りを軽く掻く。


「ああ……大変に申し遅れたが。ワタシは、この領地を預かっているスティアト・ホーリングという者です」

 直ぐには何も答えれずに、呆然として立ち尽くして居たアヴァインを見つめ。スティアト・ホーリング貴族員は、困り顔を浮かべたまま苦笑し、挨拶を改めて行っていた。


 どうやら、『自分が誰だが理解されなかった』と勘違いされたご様子だ。


「あ、いえ! こちらこそ大変に申し遅れました!!

わたくしは、属州国コーデリアを中心に商売をしております。アーザイン・ルクシードと申します。

この度は招待に預かり、ありがとうございます!」

 あわてて深々と頭を下げてはみたものの、これはちょっと……いや、かなり失礼だったかもしれないなぁ~……?


 そう思い、顔を上げて見ると。意外にも、まるで気にしていない様子で。なにやら寧ろ、楽しげに口元に笑みを浮かべている。

 それが不思議と、この人の場合は嫌味に感じられない。


「ハハ♪ そうか、やはり君が例の噂のかね?」

 そう楽しげに言うと、スティアト・ホーリング貴族員は小指を立て、ウインクをしている。


「商売ばかりではなく、こちらの方も随分と盛況らしいが……。この噂は、本当なのかね?」

「…………」

 普段なら、気づかずに居たのかもしれないが。つい今しがた、ファインデル・ヒルデクライス評議員の話が出たばかりだったので、属州都アルデバルでのローズリー・ヒルデクライスとのささやかな向こうでの日々が思い浮かび、思わず頬が赤らんでしまった。


 それを見て、スティアト・ホーリング貴族員は吹き出し笑う。


「ハッハッハ! まあ若い内に楽しむのは、寧ろ健全でいいコトだよ♪」

 そう言い、スティアト・ホーリング貴族員はアヴァインの肩を軽く叩き愉快そうに笑い、他の者に声を掛け行った。


 正直、誤解もあるようだが……初顔合わせで声を掛けられるなんて、実に運がよかったといえる。

 ハインハイルとミカエルもそのことを喜び、アヴァインにしがみ付いて互いにこの日は喜び合った。


 その後、それを機会に色々な者たちから声を掛けられるようになり。この地方一帯での商売は順調に広がっていくことになったのである。



 それにしても、スティアト・ホーリング貴族員……初めて直接会って話をしたが、なんとも不思議な魅力のあるお方だ。

 その後、リリア・ホーリングが結婚するという話をアヴァインは耳にし、ふと……遠い過去の思い出を浮かべるかのように、屋敷から見える満天の星空をほぅと見つめ、こう零す。


「ケイ……君は、元気にしているのだろうか…?」


 もしかすると、ケイリング・メルキメデスも自分が知らない誰かと、すでに結ばれたのかもしれない。そう思うと、なんだかとても勝手な話だが、寂しい気がしてしまう……。


「本当に……勝手なモノだよなぁ…。

ケイのことにしても、コージーのことにしても……」


 カナンサリファを含むキルバレス北部周辺の商圏の交易情報も、十分に掴み、地盤も固まった。いよいよ明日にでも、首都キルバレスへと向かうことになるだろう。


 部屋の片隅に置いてあった《聖霊兵器》を見つめ。アヴァインは、小さく吐息を漏らし。それから改めて、満天の星空を厳しい表情で見つめ直していたのである──。


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