第1章 カンタロスの女神(8)

 それから四ヶ月後のこと……グレイン技師が発ってから、もう五ヶ月も近くなっての事だ。先遣隊が沿海都市国家アナハイトの北、千キロほどの地にある砂漠地帯の《オアシス・オルレアミス》に到着した、との知らせが入った。


 先遣隊の主な任務は、本軍が行軍する為の街道の整備であった。これが完成すれば、物資や人の移動がこれまでよりも容易になる。話によれば、既にグレイン技師等パーラースワートロームへの現地調査部隊は先遣本隊を離れ、彼の地へと向かっているとの事である。


 この日、そのグレイン技師からカルロスの元へ一通の手紙が送られて来た。



〝やあ、カルロス。元気にしてるかな? 君がもし、心配しているといけないと思い。今度から暇を見ては手紙を書くことに決めたよ。

妻にも同様に手紙を書いて送ってあるから、そちらの方は心配しないでくれ。

正直、途中から砂漠地帯に入り、少々苦しい思いをさせられてな。ここに街道を整備しようと言うのだから、彼らも大変な話しさ。私たちはそんな彼らとは別れ、先へ先へと兎に角進み、ようやくオアシス・オルレアミスに到着出来た。

いやあー。ここまではとにかく、長い道のりだったよ。

だけど、これから我々が向かうとされる方角は今までとは違って、ゆるやかな斜面の平原が長く続き。次第に、山々の多い高冷地になるのだと聞く。その先には、高く聳え立つ標高八千メートル級もある人の立ち入りさえも拒むかのような霊山とその山々が連なりあるのだという話だ。そこがどんな所なのか早く行って、この目で確かめてみたいものだよ。

おそらくはその先に、我々が望む目的地があるのだろう。そう今は期待している。

では、またな。カルロス、また手紙を出す。私が帰るまで、無茶だけはするなよ〟



「……ふっ、あいつらしい手紙だな」


 カルロスはその手紙を大事そうに机の引き出しの中へと納めた。

 とにかく無事に戻って来てくれたら、それだけで良い……。カルロスは目を静かに閉じ、そう切に願った。



  ◇ ◇ ◇



 その二ヵ月後……。


 カリエン・ロイフォート・フォスター将軍の妻であるルナの誕生日が盛大に執り行われていた。

 首都キルバレスの中心部にある評議会議事堂パレスハレスから南へ三キロほど離れた場所に、フォスター将軍の屋敷がある。ちょっとした貴族の邸宅といった風だ。屋敷内は今、コークスがもたらす明かりで輝かしく照らし出され、ここを訪れる客をもてなしていた。


 それへ招かれたアヴァイン・ルクシードは、礼装の軍服に身を包んだ姿で馬車から吐息と共に降り立ち。その屋敷門前で豪華絢爛な屋敷本宅へと遠目に見をやり、緊張した面持ちに切り替え、招待状を確認している者が居る門前へと重い足取りでため息と共に向かう。


 どうにもまだ、こういう場には慣れないのだ。


 立場上、こうした所へは何度か来ているものの。所詮、彼はうだつの上がらない商人の小倅こせがれだ。屋敷敷地内の見事な庭園、屋敷建屋内の信じがたい絢爛豪華な装飾類、そしてテーブルの上に並ぶこれまた豪華な料理の数々……。そうしたモノを見て感じる度に、生来の品格と質の違いというものを否が応にも感じさせられてしまうからだ。



 なんだか自分には、場違いな気がしてならないなぁ~……? と、つくづく思いため息をもらす。



「お、アヴァイン。来ていたのか?」

 振り返ると、フォスター将軍とその妻であるルナ様が立っておられた。


「あ、この度はお招きに預かり……」

「ハハ。まあまあ、ここはもう無礼講でいいよ。私もそういう言葉は聞き飽きた。そもそもお前からそんな改まったことを言われても、なんだか白々しいだけだしなぁ~ハハ。

まぁ、このルナにだけは一言頼むよ、アヴァイン」


「あ、はぁ……。えと、では……改めまして。ルナ様、お誕生日おめでとうございます!」

「これはご丁寧にありがとう、アヴァイン♪」


 ルナ様は優しげにこちらを見つめ、微笑んでくれた。自分は思わず、頬を真っ赤にしてしまう。


「おいコラ、アヴァイン! なにを顔なんか真っ赤にしてんだよ。私の妻に、変な気なんか起こすんじゃないぞっ!」

「わ──わかってますよっ……そんなコトくらい……」


「ハッハ! じゃあな、アヴァイン。楽しんでいけよ♪」


 ルナ様はそこでチラリこちらを見て、クスリと優しげに微笑み。フォスター将軍と共に、他の客人に挨拶をして回っていた。


 自分の目から見ても、ルナ様はとても美しい女性であった。栗毛の長い髪に、青い瞳。そして艶やかな白い肌。年齢は、自分よりも1つ上の二十歳だ。フォスター将軍とは、六歳以上も離れている。



 ズルイや!

 ルナ様は、この私との方が年齢からしてもお似合いなのに……。


 そうふてくされながらそう思い、自分は目の前に並ぶ豪華な料理を遠目の半眼でジーッと見つめたあと。悔しいので、今日はガツガツと自棄喰やけぐいすることに決めた。



「これはこれは、アヴァイン衛兵隊長ではないですか。とても良い喰いっぷりで、なによりですなぁあ~♪」

「──ごほっ! ぐほっ!」


 『どこの無礼者だ!』と思い見ると、カスタトール将軍だった。

 また会いたくない時に、遭いたくない人に会ってしまったものだ。


「カ……カスタトール将軍。今晩もご機嫌がよろしいようで、なによりです…」

「ああ、そりゃあ~まあな。友人の祝いの宴だ。ご機嫌が悪い、訳がない」


 そう言って、カスタトール将軍はワインをグイグイと飲み空けていた。それから自分の肩に腕を馴れ馴れしく回して来るなり、


「それよりもお前、ルナ殿のことが好きなのかぁ? さっきの目は、それを物語ってたぞ♪」

「──え! そ、そんな訳は!?」


「まあまあ、そう心配をしなさんな。この私だって昔は、好きだったさ。なにせあの美貌だからなあ~。仕方がないってもんさ」


 ……それは、初耳だな。


「そんな私も、今じゃ別の女性と結婚をした。だからお前も、もう諦めておけ。

なんなら、他に誰か良い人を紹介してやってもいいぞ? どうする?」


 

 ……カスタトール将軍。またかなり、酔ってるなぁ……?

 参った。この人、絡み上戸だからどうも苦手なんだよ。それでなくたって、普段からひどいのに、堪らないよなぁ~。


「そもそも今日のこの場には、多くの《評議員》や《貴族員》のご令嬢だって来ている。

ホラ、見てみろよ! あの娘なんか堪らなく綺麗じゃないか」

「…………」


 カスタトール将軍からそう言われ、勇み心にも喜んで指さす方を眺め見ると。確かにそこには、見目にも可愛く綺麗な女の子が二人、愉しげに談笑し合っている。

 ただその二人、どう見てもまだ子供だから参った。流石に恋愛対象に成り得ようもない……。


 と、その時。

 その内の一人が、自分の視線に気がつき、こちらをしばらく『ジーッ……』と、驚いたような表情で目を見開き真顔なんか向けていたが、間もなく『プイっ!』とあからさまな程に視線を反らし、もう一人の女の子と再び会話をわざとらしくも愉しげに始めている。


 その様子を見て、つくづくため息だよ。


 アレはきっと、『アナタになんか興味なんてモノは、これっぽっちも沸いてないんだから、勘違いしないで!』と、態度で伝え表そうとした結果なのだろうなぁ?

 子供のやることとはいえ、流石に今のは傷つくよ……もう少しやり方・伝え方っていうモノがあるだろうになぁ?


 そう思い、再び深いため息をついてしまう。


 ところがその後も、その娘がまるでこちらを気にしているかの様にチラチラと横目を偲ばせ向けて来る……しかもその目の色が何故か、目が合う度に凄く真剣過ぎて怖い。


「あれは大国 《属州国コーデリア》を治めていた、メルキメデス家のケイリング嬢だなぁ~。《貴族員》の中でも有力な筆頭株だぞ!

但し、まだ十三歳っていうのが惜しいところだが……間違いなく、アレは将来、美人になるね! 

しかもこのオレの目から見て、今のは《脈あり》と読んだ! 

て、ことでだ。ダメ元で、ちょいと試しに声を掛けてみたらどうだぁ? アヴァイン」

「…………」


 カスタトール将軍、また他人事だと思って、いいように楽しんでるなぁ……?


「ハハ……貴族員のご令嬢が相手では、話しかけるだけ無駄ってモンですよ。しかも相手はまだ子供です」


 そもそも今、それとなくフラレた直後な訳であって、つまるところ脈なんて有り様もない。


 アヴァインはそう思い込み、軽くため息をつく。


「お前は色恋沙汰だと、どうも諦めが良すぎるな。そんなことでは何一つ実る恋も実らないぞ」

「ハ、ハハ……」


 大きなお世話です。


「……そういや、ルナ殿はあれで。娘をひとりだけ産んでいたっけなぁ? 

お前くらいの年齢なら、まだまだギリギリセーフでいけるんじゃないのかぁ~?」

「あ……!」


 そういえば……一度だけ、お会いした事がある。シャリル様だ。


 確か……もう六歳か七歳になるんじゃなかったかな?? ってことは……あと十年後には、十六か十七歳で。私が二十九歳かぁ……ン~確かに、何とか出来ないこともなさそうだけど。


 ──いやいや!


 十六歳の娘に、二十九歳の私が求婚なんて出来るものか!! そもそもフォスター将軍がお許しになる筈もない。



 ──ゴンンツッ☆



「お前っ、アヴァイン。なにをそこで真面目な顔してロリってんだ。ぶわあぁ~~~か! じゃあ~なぁあ~♪」



 ──くっそぉ~~~ッ!! 今に見てろよぉ──っ!



 こうして……この件でもまた、カスタトール将軍から後々まで散々からかわれることとなる。




 一方、それで遠ざかりゆくアヴァインの後ろ姿を、遠目にも追い駆けるかの様に女の子は見つめ続けていた。


「急に黙り込んだりして、どうかしたのケイリング? アナタらしくもないよ、そういうの」

「……ねぇ、リリア。あのさ、一つだけ素朴なコト聞いてもいいかなぁ~?」


「それはいいけど、急になに? どうしたの??」

「あの人……誰だか知らないかな? さっきね、あのフォスター将軍やカスタトール将軍とも親しく話していたのよ。しかも随分と仲よさそうだった。

きっとそれなりの身分の人だとは思うんだけど。私にはまるで見覚えがないから『どうなのかな?』と思ってさ。理由はわからないんだけど、ちょっと気になって……。

名前はね、どうもアヴァインって人みたい。さっきね、たまたま聞こえたのよ。

ホラ! わたしってさ、耳が凄くいいから!!」


「ふぅ~ん……耳ねぇ?」


 『決して耳が良いからだけではないな』と思いながらも、リリアはその友人が見つめ続ける方を同じくそれとなく相手に気付かれない様に横目に眺め、間もなく正面を見つめ困り顔に肩を竦めて見せた。


「ン~……残念だけど、私にも記憶に無い人ね?」


 その友人リリアの返答を得て、ケイリング・メルキメデスは軽くため息をつき。それでようやくいつもの彼女らしい笑顔を浮かべ、その友人と同じく肩を竦め見せた。


「まさか……一目惚れ、ってヤツだったり?」

「──!?」


 普段のケイリングらしくもない慌てた様子と反応を見て、リリアは思わず吹き出し笑いそうになる。


「ちょっ──ま、待って! 今の、そういうんじゃないんだからさあー!!」

「はいはい。解ったわ。もう今ので、十分に解っちゃったから♪」


「いや、違うしさ! そもそも何にもわかってないでしょ?! 大体がわたし自身がよく解って無いし! つまり絶対勘違いだし、それさーッ!! あーもう待ってよリリア、待って!」


 だけどもう何を言ってもクスクスと笑い続け追い回しても上手く逃げ回る友人リリアを見て、ケイリング・メルキメデスはその足を止め、諦め顔にその場で静かにため息を零す。


 そうして再び、アヴァインという人の後ろ姿を遠目に偲びながら見つめ。しかしそれでこちら側から声を掛けるという機会が訪れることもなく、この日はこのまま別れることになる……。



 『どうやら〝運命の出逢い〟というモノではなかったみたい』と思い、そんな自分に今さらだけど呆れため息をつき。どこか寂しげに夜空の星を見上げ、ほぅ……とそれを遠目に見つめた──。


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