事の端あはせ

佐久良 明兎

治承の秋

祇園精舎の鐘の声

 空が高い。

 琵琶の音色を耳にして、男は立ち止まった。しゃなり、と手にする錫杖しゃくじょうが、静かに音を立てる。

 どこからか聞こえてくる琵琶法師びわほうしの旋律は、雑多に往来する人の流れを暫し狂わせ、小さな一つの流れを作り始めていた。紡がれる音色に呼び寄せられるように、子供らが騒々しくそちらへ集っていく。


「ぎおんしょーじゃのかねのこえーっ、しょぎょ、むじょーのひびきあり。しゃらしょーじゅのはなのいろ、じょーしゃひっすいのことわりをあらわす……」


 呂律ろれつのまわらない子供が、母親の手を握りながら男の横をすっと駆けていった。漆黒の衣をひるがえし、彼は子供の姿を見送る。程なく出来はじめた人垣を避けるようにして、男は再び歩き出した。


 冷たい風が肌を撫でる。霜月である。


 男は笠をついと上にやり、遠くを見遣りながら、幽かに憂いをたたえた表情で誰にともなく呟く。


「偏に風の前の塵に同じ、……か」


 琵琶の音が、風に紛れて虚空に響く。

 風に吹かれてたゆたう彼の身は、霜月の暮れにただ寒い。

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