第5話 アイとトゲ
アイとトゲ
駅から人が溢れてくるのを、ヒトミはうんざりとした顔で見ていた。
その駅の西口から出ると目の前にはバス停がある。そこのベンチに座っていたヒトミは隣のおばちゃんに話し掛けられることに気付かない振りをして、シャボン玉の様にあふれる人を眺めていた。駅から思い思いの方向へ向かう人々は年末の空気に浮足立っている様だった。
忘年会という名の接待を終えたサラリーマン。肝臓はアルコールで満たされている。周りの見えなくなった、マフラーで繋がっているカップル。へその緒で二人が絡まっても一つにはなれない。太った豚の様に着膨れした子供。余すことなく食材にできるだろう。寒さを感じなくなった枯木の様な老人。鶏ガラにはしたくない。周りの友人に付いていけない大学デビュー。赤血球は白血球の様に固まれない。毛虫のようなマフラーを巻き付けているおばさん。溢れる脂肪は隠せない。大声で騒ぐ女ども。どうせ一つの国家でなく、各々が敵国だ。
そして彼女らは嬉しそうに「何それうっざぁい!」と喚き散らしている。
ヒトミは駅から出てくる人のあらすじを雑につけていく。しばらく名前も付けられないような凡庸な人を遠目で見ていた。
すると、颯爽と現れた赤いセーターの男と目が合ってしまった。見知った相手だっただけでなく、ヒトミにとっては顔も合わせたくない男だった。とっさに隣のおばちゃんに顔を向けたが、色のうるさいセーターを着た男はこちらに気付いた様だ。目の前のおばちゃんはやっと話を聞いてくれた、とあきれ顔で口を動かす。その口からは白い煙がぬっと顔を出しヒトミにまとわりついた。
「うざい」
そうヒトミは覚えたての言葉をその口に返して、立ち上がった。色のうるさいセーターから逃げなくては。
足をすすめながら、立ち上がった際にジーンズに違和感を感じた。ヒトミは手をやるとガムが付いていた。ああ、あのおばさん、うざくなかったわ。そう少し後悔しながら肩掛けのカバンからティッシュを出してガムにふれた右手を拭く。
このジーンズ捨てなきゃ、ヒトミはそんな事を考えながら角を曲がった。
「こんにちはヒトミさん」
赤いセーターの首の上に付いている口は分厚い煙を出しながら声をかけて来た。
「あら、奇遇ですね。有馬さんでしたか」
このガムも捨ててしまいたい。
「さすがに覚えてくださいよ。それにコウでいいですよ。実はさっきまで旅の奴らとご飯食べてたんです。奢りますからコーヒーでも飲みに行きませんか?」
「誰と一緒だったんです?」
真っ赤なガムに興味のない振りをするのも煩わしい。
「いつもの連中ですよ。ほんとあいつらとはバカバカしくて付き合うのもアホらしいですよ」あはは、と笑いながらヒトミの顔を窺う。
ヒトミは視線を無視して駅のあった方を一目見て、
「そう、今は昆布茶の気分だからルノアールでいいかしら」
「はい! 昆布茶なんて飲むんですね。意外です」
ヒトミは男が本当に驚いた顔をしたので私のイメージよ壊れろ、と心の中で唱えた。
「実家は山形の田舎ですから」
「いやいや、そんな田舎だなんて。実家山形なんですね。僕の出身は山梨です!似てるけど遠いですね」あははと男はヒトミの速足に付いてきながら笑う。その恰好はまるで飲み屋の呼び込みをしているようだった。
「山つながりと言う事で、今度山形行ってみようかな。あ、さすがにヒトミさんの実家に行く気はありませんよ。そこら辺のナンパ男じゃないんで。僕の出身は海なし県ですし、海も見たいなあ」
「お近くの富山にでも行ってみたらどうですか? 海もありますし」
「あー日本海側ですか。曇りが多いと聞いたんで、さすがに」そこで、あ、と男は山形も日本海側であることに気付いて、真っ赤のセーターと顔が同化する。
ヒトミはこの男はステレオタイプでしか考える事が出来ない、想像力に乏しい男だろうと内心バカにしながらルノアールまでの長くて短い道のりを進める。
「いや、僕晴れ男なんで日本海側の気候変えちゃうのは生態系に影響でちゃうんで、あ、いや、だからこそ行きますよ。富山と山形の人を元気づけますよ」しどろもどろになりながら男は必死に取り繕う。
ヒトミはついてくる後ろの男のその場の会話に一定のリズムしか刻めないメトロノームを思い浮かべた。それも真っ赤のだ。いくつかのメトロノームをめちゃくちゃにしてもそのすべてが一定のリズムになるそれは、同調したがる日本人を感じた。いくら着飾ってもメトロノームであることからは逃れられない。しかもこの男は私のリズムに合わせようとする、それが腹立たしくて仕方ない。ヒトミはそう考えていたら、自然と口が動いた。
「私はメトロノームじゃない」
「え? なんて言いました?」その男はかがんでもう一度言わせようとする。
「そのセーター派手ね」
「ああ、趣味じゃないんですがね、元カノからのいただき物ですよ」
その赤は元カノの血の涙。他の女から嫌われる呪い付き。
そうヒトミは続きを勝手に付け加えた。
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